猫が人間にとって都合の悪いことするとつい怒ってしまいたくなります。
そして怒って反抗すると更にキツく叱って“しつけ”たくなったり。
『ちゃんと躾けなければ!』なんて使命感や焦りまでわいてきたり・・・。
でも、ダメなんだって。
キツく叱って、いい子になったとして・・・
でも“いい子”ってなんだろう?
悪い事しなくなった子のこと?
悪い事しなくなって『なんていい子なんだろう~うちの子かわいい』
みたいになったとして、では猫はどう思っているんでしょう?
『なんか怖ぇ人間。こいつ敵かも、、信頼おけねぇ。とりあえずこれやったら痛い目あわされるぽいからこいつの前だけではやらないようにしよう。でもなんで怒られんの?人間てひでぇ悪だな』
・・・とか思うかはわかりませんが(笑)
人間を信頼しなくなるのは確からしいです。
言うこときいていると言っても恐怖で行動を支配されてるだけなので猫の方はというととんでも油断ならねぇ心境なわけです。
それを飼い主は『言う事きいてなんていい子~~』みたいにお花畑に考えてるという・・
ここに大いなる気持ちの“ズレ”があります。
てかこれって、子育てでも同じやないかい(笑)・・・と思うのです。
こんな風に恐怖によって支配されて育った子供って大概『いつか出てったらもう親に関わり合い持ちたくない。親から解放されたい』とか『散々我慢させられたこの毒親め』とかいう卑屈な子になったりするのです。
ほんとはやりたくないけど生きるために嫌々言う事きいていたわけで・・・。
しかもそれが習慣になるから親以外の人も信じられなくなったりする。
怒られないように行動するけど本当はやりたくないことばかり・・・みたいな。
こんな人生が癖になってしまったらもちろんつまらないし、いつでも人の顔色伺って受け身で息苦しいし、
しまいには人と関わるのが億劫になって一人の時しかほっとできなくなったり・・・。
確かに厳しく調教すれば動物は言う事をきく“良い子”になるでしょう。
・・・でもそれで満足するのは飼い主だけということが実は真実だったりするわけです。
知らなければお花畑。
猫の気持ちとかそんなことにこだわらなければ人間様からしたら何の問題もありません。
大いなる気持ちのズレを持ちながら、動物だったらそれで一生終わらせれば飼い主にとっては何の問題もないのです。
飼い猫は自立できないわけですから自分の元から離れていくこともなく、ずっと支配し続けられますしね。
だから子育てよりか動物を飼うほうがちょろいことが事実です。
人間ではそういうわけにはいきませんからね。
・・・でも実は本質は同じなのだと私は思います。
誰かが思い通りの人生を送っていたら誰かがその裏で我慢している可能性大だという事実は・・知らないですむなら知らない方がハッピーに生きられるのかもしれません。
逆に言うと、真実をいつでも追及しようとする人はお花畑では生きられないということですね。
果たしてどちらが良いのでしょう・・・?
私は辛くともやはり後者の方がいいなぁ(笑)