(前の記事のつづき)
というわけで前回の続きです。
子供達は現在2人とも中学生。
小さい頃と違って、大きくなるにつれてまた違ったことで手がかかるようになってきました。
お金がかかるのはもちろん、心配も増えたし、まだ力も判断力も未熟な中で自我が出てきて主張もあるから、人間として接するのはほんとうに難しく大変です。
世の中には『中二病』なんていう言葉もあるくらいですしね・・・。
なんかこの頃のお年頃ってとっても複雑で不安定で、こちら側が伝えたいことを思うように伝えることすら一苦労だったりします(笑)
・・でもここで、大変だからと親の力で子供を押さえ込んだりすることは絶対に間違った子育てだと私は考えているのです。
言ってしまえば親が子供を押さえ込んで言う事を聞かせるのは簡単です。
子供は親がいないと生きて行けませんから。
小さい頃からそういうふうにやっていれば子供はたとえ納得していなくても『言う事を聞く』ようになります。
でも親が親子関係に於いてその絶対的な力を振るってしまったら、そこで人間同士の関係は終わると私は思っています。
その時点で親と子は“支配する側”と“される側”になります。
この親子関係に持ち込むことはいわゆる『手抜きの子育て』だと私は思っていますし、絶対に反対です。
・・私はそのような親子関係で育って形成された人格(思考の癖?)のために、その後の人生で本来必要のないような様々な問題にぶち当たることになりました。
そして次から次へと起こるそれらの不毛な問題に苦しまされ続けることがどれだけアホらしいことかということが身に染みて分かっています。
そんな風になる考え癖なんて付けちゃいけない、
だから絶対に反対です。
子育てとは手がかかるものです。
人間相手だもの、手がかかって当たり前。
親はそれくらいのことは承知で生んでいるばずです。(程度は別にして)
いえ、一人の人間を育てるということがどんなに大変で責任重大なことかは、ドラえもんに出てくるのび太が人間を作る話(『人間製造機』)を見るだけでも容易にわかるくらいのことですから想像力の欠如は言い訳になりません(笑)
そう、本来子育てって“めんどくさい”んです。
問題が起こる度、それを話し合いやら喧嘩やらいろんな煩わしいことを経て地道に解決し続けるめんどくささ・・
ほんとに大変です。
でもこれが子供を一人の人間として認めるなら親子にはあって当たり前のことなんじゃないかと私は思うのです。
親の都合じゃなく、子供の都合で親が振り回され悩みまくってあっちゃこっちゃ走り回る、
親になった人はそれで初めて自分じゃない人間のことでいろんなことを本気で悩み一緒に解決していく大変さを知るんじゃないだろうかとも思います。
手がかからない子供が良い子、とか、いわゆる“親にとって都合の良い子”が良い子だと言われることは私からすると意味がわかりません。(私はそう言われて来ましたが心に闇を持った最悪の大人に育ちました(笑))
子育てで一番大事なことってまず、『手をかける』ことだと私は思っています。
それが基本で、全部はそれから。
『手をかける』とは、なんでもやってあげることではありません。
めんどくさい原因を全部取り上げてしまうことでも、物やお金を与えて放っておくことでもありません。
それらは全部親の“思考停止” でしかなく、どれも実は手はかかっていません。
放任も、支配も、過干渉も親の怠惰です。
親が自分の時間と頭を使い子供のために常にめんどくさいことで悩んでいくこと、
伝えるべきことが通じなければ腐る程話すこと、
何度も何度も、例え受け入れられなくても、一生懸命に“1人の人間”に対しての誠意を持って。。
それが『手をかける』ということであり、そんな地道な親の姿勢から子供は少しずつ親の愛情を感じ取るものなんじゃないかなと・・
そして自分は人に時間をかけさせるだけの価値のある人間だと、少しずつ子供自身が実感していくんじゃないかなと思うのです・・。
子供には、うんこな大人にはなって欲しくない。
これが私の願いです。
うんこな大人とは、『自分には価値がない』と思う人間のこと。
価値がない=自信がない→自分がない→自分で考えない→受け身→周りに振り回される
私になかったもの、それゆえ苦しんだこと、 それらのことをこれからも考えつつ子供らと接して行こうと思っている私です。
できることとして・・
親から受け継いだ悪い習慣等を子供に受け継がないこと。
悪い連鎖を自分の代で断ち切ること、
それにはいちいち考えること。
『自分のやっていることはどうなのか』『自分の常識は幸せのために正しいことなのか』 と。
これらを常に意識して行きたいと思っています。
・・親も未熟なんだってこと、子供を持って初めて気付きます・・。
子供を産むこと、子育ては簡単なことではありません。
わからないことだらけだしほんとに日々反省と勉強。
でも親になる以上その覚悟は持つべきだと、、やはり私は思うのです。
まあ、ほんとのところ、どんなに一生懸命やっても全ては精いっぱいの想像であってそれが正解かどうかなんてわかりません。
答えはかなり、何十年も後に出たり、もしくは出なかったりするものなのかもしれません・・・。
ただ思うのは、子供が人生の中でいつの日か振り返った時にでもふと
『ああ、自分は愛されていたんだ』なんてことに気付いて幸せを感じる瞬間が少しでもあったとしたら・・それでもう親としては十分『成功』と言えるんじゃないかな?なんて。
子育てなんてそんな気の遠くなる程に長い時間をかけてしかわかんないもので、いやわからないかもしれないもので・・
それでも子供が幸せを感じるかもしれないその“瞬間”を願い『愛』というものを注いでいけば、、そんなもんでいいんじゃないかなと、思ったりするのです。
そして、だからこそ、答えばかりを焦るんではなく“毎日ちゃんと向き合う”ことや“間違っていれば速やかに反省し改める”こと、そんな“今できること”を精いっぱい誠意を持ってやること・・その繰り返し、その積み重ねで日々を送って行くことこそが大事なんじゃないかなぁと思うのです。
何だってどんな答えになるかわからない、
ただ、「あの時逃げずにやっていればよかった」
なんて後悔する人生は嫌だと思うから、
今できることは今しかできないのだから、頑張ろうと。
精いっぱい。
子育てに関してはそんな思いを胸にこれからも愛を持って試行錯誤、暗中模索で奮闘していきたいと思っている私です。
・・といっても考えてみたらあと何年でもないんですけどね(笑)
ほんと光陰矢の如しです。
自分の年も・・・。
人生って短い(哀)