8話 母の口出し 2

結婚と離婚
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前の記事の続き)
結婚生活での私の苦しみの本当の原因は実は他にあったのです。

もっと深い深いところにある、私を苦しめていた原因・・・。
当時は自覚していませんでしたが・・

それは『母の言葉』です。(自分の母)
子育て、家庭のこと、夫婦のこと、旦那さんの在り方・・・etc.に対する母の助言とダメ出し。

そもそも本とかの情報を得ること自体すら否定してきた母の存在・・
あれもダメ、これもダメ、お前のやり方が悪い、旦那が悪い、分かってない、
もっとこうしなさい、ああしなさい、どうしてできないの、本当にお前はダメだ・・・
全てに及ぶ母の口出し。

・・しかしこの時私は、本当の意味でこの事に気付いてはいませんでした。

『この事』とは、『母の言葉が私を苦しめていた』という事実、です。
それどころか私は全てのことに対して、母の助言通りにいかない周りや旦那さん、そして自分が悪いのだと思っていました。
『もう私の家庭はパートナーも自分も子供も全部ダメダメだ』、と気持ちがどん底に落ちてしまったのも、
そう言われ続け、なによりそれを信じたからそうなったに過ぎないのだと今では思います。

今の私の思考で言えば、そんな悲観的になったってやることはやらねばならないんだから落ち込んでるだけ無駄なんですけどね(笑)

とはいえ当時は『当たり前だと思っていることには疑問さえ持たない』ていうのがそのまま私に当てはまり、
意識したこともありませんでしたが、当然のように母は絶対的正義の神ように私の中に君臨していました。
そして、正義の名の下にあらゆる事に対してダメ出し、口出しをしてくる母の言葉を、全て『正しい事』として受け入れることが正解なんだと思っていました。
というより、私はずっとそれを『有り難いもの』として受け取らなければいけないと思っていたんだと思います・・。

それがどんなに私にとって嫌なことでも、不合理な事でも・・というかそんな風に思ってしまうこと自体が私の甘えや我儘や、更には人間としての未熟さや弱さであって、
母は全部、正しいことを私のために言っているのだから母の言うことを聞くのが正しいと・・・そう信じていたように思います。
何より、全ては根本にある『親としての愛情』から出ている言葉なのだからと。

『親の愛情』
そこが肝です。
それがあるから私は、結婚後に限ったことではなく、振り返ればそれまでの人生で全てのことを『愛情から』のこととして受け入れて来たのです。
どんなことでも。

たとえ暴言を吐かれても、無視されても、意地悪をされても、八つ当たりされても、言葉を奪われ意志を封じ込まれても、
更には親の権力で抑え込まれても、「言う事きかないとこれしてやらない」やら「金出してやってるんだから」やらのいわば『卑怯』な言葉で誘導されてしまっても・・・

全ては根底に『愛情』がある躾なんだという思いで、私は自分の怒りやら不満やらの『悪い気持ち』を封じこめ、自分の中の母の存在を大切にしてきました。
母が常に口にしていた「全部お前のため」という言葉、それは私の心に深く深く刻み込まれていたように思います。

「お前のため」というのは非常に、、便宜な言葉です。
自分のやっている事を深く考えない人というのは、大義名分があれば何でもできてしまうような気がします・・。というのは言い過ぎでしょうか。

・・でもやはり、
幼い子供の私にとってはかなり無理はあったのだと思います・・。
そりゃもう実際にそれだけいろんなものを受けているんだから自分の中には何か自分でもわからない得体の知れない鬱屈したものが溜まっていて、
自信もすっかりなくして、常に複雑でなにかどよ~~んとした感じの子にはなっていました(笑)

・・そしてそれすらもののしられる材料となりました。
「暗い」「陰険」「何考えてるかわからない」「ずん黙って何も言えない」「意気地がない」「女だから底意地が悪いんだきっと」「しんねりぐんねり」「すぐ言う事きかないひねくれた子」。(言われていた言葉そのまま書きます)
母はまるで嫌な虫でも見るような顔をして、これでもか、これでもかとそんな言葉を浴びせかけてきましたが・・
冷静に客観的に考えたら酷い言葉の数々です。
もしそれらの言葉が本当だとしても、相手を一人の人間として見ていたらこんな言葉を使うことはNGでしょう。

それが実際に子供の頃から何度も何度も母に言われ続けてきた日常の言葉でした。
・・そして私のセルフイメージもまさにその通りになっていったのかもしれません。

口答えもしなかったし、とにかく母の言う通りにしたし、自分では母に嫌われない『良い子』でいようと努めていたつもりでした。
なのでどこをどう直せばそれが直るのかもわからなかったしどうにもできず、ただそんな『ダメな』自分を責めることと落ち込むことしかできなかったのが子供の頃の正直なところです。
まあ確かに、他では違ったとしても母の前では複雑な気持ちからか『普通』とは言えない程の陰気な雰囲気の子だったのかもしれません。
屈託のないような笑顔でいることはできなかったし、言葉が何も出てこないような状態になったり、恐怖と緊張で態度も相当ぎこちなくなっていたようにも思います。
それが悪循環になり更に母のイラつきを大きくしていたのもあるでしょう。

私はそれらの言葉を言われれば言われる程にしょぼくれていき、
どうしたらよいかも分からず、ただただ怒られる怖さに毎日布団に入ると泣いていました。
「もう怒られたくないから早く大人になりたい。死んだひいおじいちゃん、助けてください」
どうして死んだ曽祖父に助けを求めていたのかは不明ですが(笑)
・・小さい頃はそう言って一泣きしてから毎日寝ていたのを覚えています。

・・・それから何十年、
今思うと、結局私は『愛』というものについてちゃんと考えたことがなかったのだと思います。
・・全然分かっていなかったしいろんなことが見えていなかった・・。

そもそも人にはその人の『愛せる度量』とか時期、いろんなものが絡み合って存在し、
しかも人の感情も心も常に一定なんてことはなく、状況や成長によって変化し続けるものなのだということも。
・・と、そんな現実的なことなど何一つ見えず、
ただただ『親は子供を愛するもの』『自分は愛されている』と信じたい気持ちが先に立っていた・・・。
本当の意味で子供だったんです。
たぶん真実に向き合うことは怖くて、考えないようにして逃げていたのかもしれません。(かなり最近まで)

本当は母の私に対する“それら”の行動や言動の数々が、全て純粋な愛情からのものとは限らない、なんてことは分かっていたのかもしれません。
でも考えてしまうと傷ついてしまうから考えること自体放棄していた、
それで都合の良いように解釈して自分の中で収めていた・・
『これは愛情なんだ』と。
そういうことなのかもしれません。

盲信することは怠慢であり依存。
今の私なら思います。
大変でも痛くても、常に現実を直視して自分の頭を使って考えないと、真実は見えてきません。
その強さを持てなければ物事に正しい対処もできませんし、対処できなければ自立した大人にはなれません。

そんなこんなで、『そこに親の愛はあったのかなかったのか』云々をグズグズ言いましたが、
そもそも簡単なことで、実は母自身がまだまだ子供に愛情を持てるような大人にはなっていなかった、そういう状況じゃなかった、
つまり人間として未熟な状態のまま親になってしまったということに尽きるのだと今では思うのです。

人間というものは、未熟な段階であればなかなか他者に愛情を持つのは難しいものです・・。
親であろうがなんであろうが、自分のことだけで精一杯な人はたくさんいます。
もちろん親になってから成長する人もたくさんいますが(その方が多いと思いますが)、その時期もペースも人それぞれです。

・・特に母の場合は、母自身も過去の成長過程に於いて何かしらの問題等はあって、何かを拗らせたまま、未熟なまま年齢が来て親になったというのが大きいのかなと、今ではそんなふうに思います。(それについてはまた後で書こうと思います)

事実をそのまま見れば、それだけの単純なことなんですが、
なんせ『親というものは絶対に子供に愛を持つもの』という我儘な希望的理想が私の中にあったもんですから、
その理想を貫きたいがために、そこにある単純な現実を難しく偽ったり装飾してしまったりと、どんどん複雑にしてしまっていたのです。

ぶっちゃけ自分には『美しい理想』である『世の中の常識』がありました。(テレビとかでやってるやつとか)
「母の愛は海より深い」とかいった幻想です。
それが自分の母にないなんて・・・
認めたくないです。そんなうんこな事実(笑)

だからそんなうんこな現実を捻じ曲げたいがために一生懸命言い訳をしたり辻褄合わせをしたり無理くりプラス思考で考えたり、悩んだり苦しんだりしてました。
そうまでしても、自分の信じたい世界で生きたかったんです。
現実や真実なんてもう見えていようがいまいが無視してますね(笑)

こう書くと滑稽ですが、たぶん私以外にも同じような心境に陥っている人は多くいるはずだと私は思っています。
自覚している人は少ないと思いますが。
だって自覚したら失望してしまいますから。
そういう感情が入るから自分のことって見えなくなってしまうものです。

では本当の愛情、人を思うとはどのようなことなのか。
・・それはこのブログでの最大のテーマでもあるので追々ゆっくりと書いていこうと思っています。

しかし、その人が本当は何を愛して、何のためを考えているのか、
本当にその対象は相手なのか、それとも実はその人自身なのか。。
今ではその人の発する言葉を聞けば、人に対する愛情から言っているのか、ただの自己愛なのかがよくわかるようになった気がします(笑)

どんなに綺麗な言葉で装っても、奥底にある心根は言葉の端々に現れますから隠すことは無理なもんです。
けれど本人は無自覚です。
『人を愛せない段階の人』であっても誰もが『自分はちゃんと人を愛している』『人のため』と思いながら本心にある自分のための行動をしています。
良い人の皮を被り、しかもそれを皮だと思ってない、自分すら騙している場合が多いです。
誰も悪い事していると思って行動する人はいません。
誰もが自分が正義と思い込んでいるから平気で行動するのです。
そこが問題です。

・・そして、知らず知らずそういう人の茶番劇に巻き込まれてしまうと、その人と道連れに『不幸』という地獄を彷徨うことになります・・。
それが親だと、他と比べ物にならないくらい自分にとって影響力が強大な分、大変なことになります・・・。

ずいぶん話が飛びましたが(笑)
要するに問題は『未熟な母の影響力』を自分の家庭に持ち込んだという未熟な私の行動でした。
実は家族にとって必要なかった母の世界に巻き込まれて、振り回されて、
私が子供の頃からずっと経験していた苦しみと同じものを、
今度は旦那さんや子供も巻き込んで一緒に味合わせることになってしまっていたのです。
家族は運命共同体ですから、私が持ち込んだものの影響をどうにしても一緒に受ける羽目になります。
大人になってさえもどこまでもついて来るその不幸の源を断ち切れないがために、周りも巻き込んでしまうのです。

結婚は、本来それを断ち切ってからするものなのです。
違う言い方をすれば『人として自立できてから』、親離れ子離れが完了してからです。
経済的だけじゃなく、精神的に。
それができてないなら本来結婚する段階じゃない。相手に迷惑です。

結婚生活がうまくいかない本当の理由、
実は自分の親子の関係にある場合が多くあるのだということを自覚している人はどれだけいるでしょうか・・・。
たぶんそんなことは考えもしない人が大多数なのではないかと私は思うのです。

・・そう、母の言葉、いえ存在は、
人生においてずっと私の心の大部分に侵食し、物事を判断する時の思考、行動、全てに影響を及ぼし、道を狂わせ、迷わせ、私を苦しめてきた言わば『諸悪の根源』だったのです。
そしてそれを、結婚した後もずっと変わらず持ち続け、当たり前のように家庭に持ち込んでいたことこそ、結婚というものを不幸にしてしまった最大の原因だったのです。

・・今でもこんなこと言うと『罰当たり』的な罪悪感に苛まれますが(笑)

本当のことなのでエグっていきます。

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