6話 子供が生まれて

結婚と離婚
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そんなこんなで・・・

私は「何があっても私の選んだ人生、前向きにやっていく」
・・とかいう明確な自分の意志と覚悟がないまま、母が大反対をしている結婚をし、子供を産みました。

反対されている後ろめたさと、
これでいいのかという思いと、
そこへ来て旦那さんの悪いところを一つでも見つければ
『やっぱり間違いだったのか・・・???』と困惑の日々

旦那さんを疑い、何より自分の気持ちを疑い、
一体どうするのが正解なのかを、毎日毎日考えて暮らしていました。

子供が生まれてからは更に大変になりました。
初めての子育て、何もわからない子育て。。
正直、子育てというものがこれほどに大変なものとは思っていませんでした。

わからないことだらけで、
子供が泣くごとに『何が悪いのか』『自分が悪いのか』『何が間違っているのか』
わからなくて本を読み漁り、考えました。

時には本の通りやらないからだと私を責める旦那さんに対して怒りを覚えたりもしました。
『本の通りにやることがどれだけ困難か、実際本の通りにはいかないし、やっていない人にはわからない』と。

なかなか眠ってくれない子、
やっと寝かせたと思っても夜中に何度も泣き、ミルクをあげおむつを替え、
私は常に睡眠不足状態でした。

旦那さんは家で仕事をしていたのですが、
家にいるからといって父親のできることは限られています。

よく主婦の人が
「男はちょっとやって、やった気になってる!全然できてないのに!」と怒っているのを聞きますが、
たぶん・・できることを精いっぱいやっているのです。
ただ、できないことが多いのだと思います。
家事育児に関しては、男性よりも女性の方が効率的にできることは多いし、
女性にしか見えないこと、できないこともたくさんあります。
目配りや細かいことがわかるのも女性です。
それにきっと、二人以上の人間が、一つの事に同じレベルで責任を持つことは、子育て以外のことでも難しいんじゃないかと私は思ったりします。
何事に関しても一番責任を持つリーダーがいるものです。
二人での子育てのリーダーは母親です。(ここは違う家庭もあると思いますが)
だから母親が、必要であれば『指示』『お願い』すべきなのかなぁと今は思います。
逆に「家庭に二人男はいらない」っていう言葉もよく耳にしますが、
それぞれの役割を果たしてこその『家庭』なのだと思います。

だから『なんで何の決まりもないのに私ばっかりがこの役を引き受けなきゃなんないの!?』『あんたも同じことを同じだけやりなさいよ!』
て怒るのはナンセンス、
『家庭を良くして幸せでいたい』っていう思いは同じはず。(そこが違ったらもう家族でいない方がいいですが)
そこへ向かってそれぞれが家族のために自分のできることをやり、できないところをやってもらえばいいだけです。
お互いが、自分の損得を考えるのではなく、協力し合って家庭全体にとって必要なことをやろうとすれば、
それが自分にとってもパートナーにとっても有益で、円滑な生活を送れる行動になるんじゃないかと思うのです。

・・・と、今だからこそそんなこと言ってますが、
当時の私はといえばもちろん視野が狭く、自分のことしか考えていませんでした。
やってくれることはまず「そのくらい当たり前(私なんかもっとやってるんだから)」、
やってくれないことの方がいくつも目に入ってきました。

確かに・・大変でイッパイイッパイだったっていうのもあります。
やることが多すぎて、しかも不安でパニックぎみだったので余計です。
どこか自分一人が責任を負ってるような孤独感もありました。
余裕は全然なく、
『私がこんなにいろいろ大変なのにどうしてあなたはやってくれないの?自分はやらないのにダメ出しばかり言って私を追い込んで、どうして他人事みたいなの???』
・・あの時の気持ちを正確に表すとそんな感じだと思います。
そしてそんな思いはどんどん大きくなっていきました。

・・健全な考えで言うならば、大変な時はちゃんと説明してその都度頼めばよいことなのですが、
もともと人に何かを頼むことになぜかすごい罪悪感を持っている上、伝えることが苦手だった私、(いわゆるコミュ障)
明確に説明できること(お風呂に入れてとかミルクをあげてとか)を言うのが精いっぱいで、
それに伴う細々したことなんかは説明しようと思うだけでも疲れてしまうし、
それこそ何か言って嫌な顔などされようものならたぶん自分が傷ついたり不愉快になったり・・何より嫌われたり捨てられたりする『恐怖』を異様に感じていたので、
そんな面倒な事は避けて自分でやってしまった方が精神的に楽なような気がしていて、無言で黙々と頑張ることで何事も解決しようとしていました。
・・今思うとそれも『自分の苦手な事でも人と生活する上で克服する必要がある事』に向き合うめんどくささから逃げていたという事なのですが・・・

私は殆どのことを一人で全部抱え込んで解決してしまえると安易に考えていたように思います。
できると思っていました。

それまでの人生でそうしてきたから。

たぶん・・子供の頃からずっと、
何があっても自分が黙って我慢することで、親の機嫌を損なわずになんとかやり過ごせて来たからだと思います。
だから私はそれまで通り、自分の人生でうまくやってきたやり方で、
自分一人が嫌なことも全部我慢して、頑張ってこなしてしまえば全ては丸く収まる、平和に暮らせるだろう、という気持ちでとにかく頑張りました。

・・最初は精神的にも肉体的にも自分に限界が来ることなど全く想像でもしていませんでした。

なので大変で抱えきれなくなってくるにしたがって、予想外に私の中に『やってくれない』不満は募ります。
頼むことはそんなこんなで嫌なので自分でちゃんと頼みもしないんですが、
『そもそも頼まなくても気づいてくれるのが人として普通でしょ、だから頼まない私じゃなくて気づかないあなたが悪い』までの思考に発展していきます。

・・なんか面白いですね。
これだけのことでも、それまでの人生のいろんなものが絡み合ってこじれて、それでこのような思考に至っていく様子が客観的に分かります・・・。

それまでの人生の集大成が、正に『今』の自分の思考、行動、そして選択なんじゃないかと、大げさではなく思うのです。
なのでたぶん・・どんなに『今』だけ見て原因を探し悩んでも解決できないことって、思っている以上に多くあると思います。
実は自分の内側に問題がある場合はたくさんあって、
それに気づけなければ、必然的に問題は相手や周りになるし、
全て周りが問題だと片付けてしまうのは気持ち的にはすごーく楽で簡単ですが、
そう思い込んでいる限りは永遠に問題を解決できず苦しみ続けることになったりするのです。
本当の問題点が見えてなくて改善することもできないのだから当たり前です。

・・だから本当の原因を見つけるために過去を探ること、必要なんじゃないかと私は強く思います。
問題をちゃんと解決し、幸せを感じて生きたいのなら。

それで行きついたのが育てられる過程で形成された自分の人格とその原因である『毒親』問題なのですが(笑)
そこまで遡って、エグって問題を見つけないと、結婚生活(だけに限らず全ての事ですが)の本当の問題点もハッキリとはわからなかったのです。

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