今になって思うのですが・・
旦那さんはもしかして、私が人生で重要なことに気づき、勉強するために必要な人格の人だったのでは?と。
旦那さんとの結婚生活はそのための試練?と・・・。
たぶん、
私の選んだ人が、母のお眼鏡にかなうような、良い大学を出た高給取りのサラリーマンで、
更に母の顔色を見て、母の機嫌をうまく取ったり調子を合わせてくれたり、
母の味方について母と同じ意見で私にダメ出ししたり・・
もしくは私と同じように流されて言われた通りにするのが当たり前のような常識を持った人、いわゆる『良い人でいようとする人』であったなら・・・
私はそれまで通り何も気づかずに、母の言う事をきき、結婚生活も今まで生きて来た常識通り母と同じように送ることを当たり前と思い、
そのまま母と同じような価値基準で子育てをし、人生何の変化もなく続いていったんではないかとも思うのです。
・・・ただ、
自分の内側には常に正体のわからないモヤモヤと闇と、抑圧された大きな怒りのような、なにかとてもどす黒いものがずっと渦巻いていましたが、
たぶんその正体にも一生気づくことはなく、
いろんな不満を抱え、何があってもずっと『不幸』のまま、ただただ流されて人生終わりまで行ったのではないかと。
・・でも考えるとやっぱりそれもなかったような気もします。
だって、私はたぶん母の思うような人とは出会うことはなかったと。
私の中に巣くっているこの心の闇が、たぶんそういう人に出会うような状況を作らなかったんではないかと今では思のです。
私はたぶん無意識に、心の真の欲求を解消する術を、旦那さんの人間性の中に見たのだと思うんです。
母に育てられた中で私の中に生まれた私の習性、足りないもの、欲しているもの、自信のなさ、焦燥感、責任感、罪悪感・・・
いろんなものが、旦那さんの持っている人間性(言葉や態度やいろいろ)に吸い寄せられたような、そんな感覚です。
だから、母には散々「なんでよりによってこんな人を!!」と言われましたが、
いや、私は出会うべくして出会ったのじゃないかとも思うのです。。
『あなたに育てられた私だから選んだ人』
と。
たぶん自分の中にあるもので、人の選び方も変わるのです。
それは『好き』とか『嫌い』とか、恋愛感情以前の問題なんじゃないかと。
もっともっと深いところで、人は人を選ぶような気がします。
このことについては後で書こうと思っていますが、
例えば恋愛で失敗する人は、何度も、いつも同じような人を繰り返し選んでしまうってことがあります。
DV、モラハラ、ダメ男・・・
こういう男が好きでマゾなんだと思われがちですが、きっと本人は「どうしてこうなってしまうのだろう?」と辛いのだと思うのです。
辛いのだけれど、吸い寄せられてしまうのです。
よく『引き寄せの法則』って言葉を耳にしますが、きっとそれと同じことだと私は思います。
何か自分でも気づかない吸い寄せられる原因が、自分の中にあるのです。
・・それと同じで、私は、確かに人間的に少し偏っていて未熟な部分を持っていた旦那さんを、必然的に選ぶことになったのだと、今では思います。
そしてまるで真逆とも言える価値観の偏りがある母と旦那さんの間で私はますます混乱していくことになります。
私の『何が正しいのか』『何が悪いのか』『どうしたらいいのか』を探す生活がどんどん深刻な迷路にはまっていきます。