4話 三十歳で結婚してから

結婚と離婚
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私は30歳で結婚しました。

出会い等はとりあえず端折りますが(笑)

私は美容師、旦那さんはその時バイトをやめ、仕事を探していました。
きちんと就職もしようと頑張っていましたが、なかなか難しく、
自分の得意なネットで、自力で稼ぐという方法を取ることを決意していました。

・・て、それだけ聞いても昔の親は反対する人が多そうな状況ですが・・・。
私の親はもちろんものすごい勢いで反対しました。

それでもなんとか旦那さんになる人を実家に連れて行って話をし、
両家の顔合わせまで行ったのですが・・・

顔合わせの時に私の母は旦那さん本人そっちのけでむこうの親に
いろいろ注文を並べました。
「まず息子さんに免許を取らせて頂きたい」とか、
お金のこと、生活のことetc.

向こうの親はもう全然私の方の実家とは状況も違えば常識も違うような感じ。
旦那さんになる人の母親は早くに亡くなり、お父さんは後妻さんと仲良く2人で暮らしていて、
子供達は(2人兄弟)学校卒業して家を出てからはもう
『自分達のことは自分達で』、といった感じであまり親子の関係性もなかった様子。。

なんというか・・
親が、二十歳を越えた子に何か命令して『させる』っていう意味がよくわからなかったような感じ?でした。
ほんとに全く、こちら側とは違った環境です。

それでも容赦なく私の母は向こうの親にいろいろな注文を言いまくっていましたが・・・
それを見ていた私の旦那さんになる人は、ふてくされた顔でずっと下を向いて笑顔一つ見せませんでした。

そこで私が思ったことは、
旦那さんに対して『親がいるのにそんな悪い態度してどうするの、もっと大人になってー』でした。
もうハラハラドキドキでした。

で、顔合わせが終わった次の日、
私の母は相手の実家に電話をし、
「お宅の息子さんでは娘を幸せにはできないと思います。」
と、結婚はさせられないとの旨を伝えました。
それだけじゃ足りないと思ったのか、
「実はうちの娘はバツイチですし、〇〇さんのことを本当は嫌がっています。」みたいな嘘のことも伝えたと後から向こうの親御さんに聞きました。

・・向こうの親側もその時はまあ、「そう言われても・・」みたいな感じだったんだと思いますが、
とりあえず話を合わせて
「息子に任せてありますから・・でも確かに至らない息子ですのでしかたないですね・・」みたいな感じで謝った様子でした。

で、この結婚はなかったことに、みたいなことで収まったと、母は思っていたみたいです。

しかし、今まではそうやって私をやめさせればそれで終わった問題かと思いますが、
今度はちょっと状況が違います。
私一人の問題じゃない、相手がいること。

私もこれまでのように母の言う事を聞いていれば全てが丸く収まる、みたいな事態じゃないことはわかっていたので実際青ざめていました。

ここまで簡単に書きましたが、旦那さんの方にももちろんいろいろなことがあって、
結婚するためにいろんなものを整理し、決意して・・
いろいろとやってきてここに至るわけです。
母の一存で私が「だめだって言われたから。ごめんなさい。」っていうのはあまりに人としてどうかと、さすがにゴミカスうんこな毒頭だった私でも感じていました。

でもね、今考えると、
それでも私がゴミカスうんこであることを腹を据え受け入れ、それに自信と誇りを持ち、相手をすっぱり切り捨てられるくらいにうんこ度が振り切っていたら、相手に一時的にすごいダメージを与えることはあっても『あ、違う世界だったんだね』ってお互い納得して終わった話だった、と思うのです・・・。
向こうも時が経てばまた立ち上がって自分の進むべき道に進めたでしょう。
こなきじじいのような毒母を背負った私がまたこなきじじいのようになって相手の背中に重くのしかかることがなければ・・・。
毒親子の毒毒ワールドに巻き込まれることもなかったんではないかと・・今でも時々ふと思ったりしてしまいます。

・・私のゴミカスうんこが更に救いようのないゴミカスうんこであったのは・・
ゴミカスうんこだという事実を認めず、良い子ちゃんでいたかったことにあると、今では思います。

私は矛盾の塊でした。
ゴミカスうんこな頭でありながら責任感と罪悪感だけは人一倍大きかったので、そこでスッと母の言う通りにするわけにもいかない、でも母を裏切り旦那を選び切ることもできないという、大きな迷路の入り口に立ってしまったのです。

まあ人のことばかり考えているせいでどちらも選べない、と言えばいくらか聞こえもいいですが、
でも実は自分の保身ばかり考えてどっちつかずで周りを混乱させる人間でした。
・・どっちも裏切れない→どっちにも良い顔したい=要するに誰にも捨てられたくなかった、が正解です。
ああ、うんこ。
本心、私は誰かが私から離れていくことが死ぬことより怖かったのです。
相手の言っていることが正しいとか間違っているとか、良い人か悪い人かとか、等はもう全部後回しというか私にとって大した問題ではなくて、
たぶんどんな人でも、です。
どんな人にも捨てられることが怖かった。
・・・それだけ人、いや、『愛』に飢えてたんではとも思います。

『愛してくれー
みんな私を愛してくれー
寂しくて死んじゃうよー
少しのことでも傷ついちゃうよー
誰も私から去るなー
なんでもするからー
私が我慢できることならなんでも我慢するからー』

・・たぶんこれが本心の心の叫びでした。

私は『結婚したい』という前向きで明確な自分の意志ではなく、
『失わないためにはどうすればいいの?』という受け身でマイナスな感情で結婚することを選択していたように思います。。
そしてそれは結婚だけではなく、私の人生の中で、全てのことを選ぶ基準ががそうだったんだと、今振り返って思います。

そんなこんなで、
常に受け身でマイナスな感情を持つ私の、
『母の反対する結婚をする』という長く暗い迷路、大きな不幸が始まります。
まさに地獄の結婚生活の始まりです。

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