76話 ペットロスについて考える

人生の学び
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可愛がっていたハムスターが2年半でお亡くなりになりました・・。
老衰です;;

悲しがっている私を見てある人が言いました。
「どうせペットロスになるんだからペットなんて飼わない方がいいんだよ。」

ということで今回は毒親とは関係ありませんが『ペットロス』について考えようと思います(笑)

確かに・・
ペットの寿命は人間より短い。
かわいくて飼っても何年か後に悲しみのお別れが訪れるのは免れません。
ペットなんて最初から飼わなければそんな余計な悲しみを味わうことはないのです・・。

でも・・思うのです。
『それを言ったら極論“生きてること”自体を否定することになるんやで。』って(笑)

どうせペットロスになるから飼わない
どうせ大変だから子供産まない
どうせ死ぬから生まれなきゃよかった

そう、そもそも物事に意味なんてないのです。
私たち人間がどうして生まれて生かされているかすら本当のところ誰も知りません。

意味があったとして・・ただこじつけているに過ぎないのです。

どんなに苦労して何かをやっても、その先に何があるかなんてわからないし、何にもないかもしれない・・
しかも生きてく先にどうせ待ってるのは100%『死』。
つまりどうせ意味なんかないんだから苦労したくなければ何にもやらなきゃいいってことになってきます。
生きたところで死ぬんだから『生きてく』っていう大変なことなんかしなきゃいいでしょ・・
つまり死んじゃえばいいでしょって(笑)

・・・楽しくないですよね(笑)
そんな考えだったらほんとに生きてる意味ないですよね。

なぜ私達は生きてるのか ?
生かされてるのか?
意味なく通り過ぎてく全て のものはなぜ存在しているのか?
・・・

考えてみれば不思議です。

でもそれが全てを作って大きな意味を成しているようにも思えます・・。
つまり私達は大きな大きな“全て”の一部なんじゃないかな?と。

・・では“全ての一部”である私達1人1人がができることって一体何だろう?と考えた時・・
『この与えられた命の“今”の一瞬を精一杯生きることでしかないんじゃないかな?』と私には思えてしまうのです。

そう。
だとすれば、今の一瞬を精いっぱい生きようではないかと ・・
それこそが生き物に与えられた使命ではないかなとすら(笑)

今、ハムちゃんがそばにいること
今、子供らと格闘していること
今、一緒の時間を生きていること

人が自分で“生き始めること”を選べないとしたら、これってすごい奇跡なんじゃないかな?って思います。

与えられた奇跡の時間の中で、誰かと出会ったり毎日悩んだりもがいたり感動したり悲しんだり 、
その一つ一つを噛みしめて明日に向かって歩いて行くけること、
それ自体が『生きる』ということなんじゃないかなと。

悩みも全て、生きてる証
苦しみも悲しみも喜びも
全てのことが生きてる証明

生きているんだから一生懸命泣いて笑ったらいいじゃないかと。
それが生きることの醍醐味なんだから と・・私は思うのです(笑)

でも・・・確かにペットロスでその後の人生がずっとずっとペットを飼う前よりかマイナスなものに向かってしまうならやっぱりペットは飼うべきではない・・と私も思います(笑)
彼らの存在が自分にとってマイナスになってしまったら、何より彼らの生まれた意味さえ自分にとってマイナスになってしまうので。

でも、違うよね、とも思います。
差し引いても全然プラスなハズなんですよね。ほんとは。
悲しい思い出よりか一緒にいて楽しかったり励まされたり、輝く時間の方が多かったはずです。
長い人生の中で一瞬でも一緒にいれたその奇跡の時間、
ほんとは、その幸せな思い出を糧に元気に今後の人生を生きることこそが、その子達の“生”に意味を持たせることなんではないかなと。

「ありがとう。君がいたから前を向ける。君がいたから生きて行ける」
そうやって楽しく元気に有意義に、私達は人間としての生を全うしていけばいいんだと・・
そう思うのです。

悲しむことを承知でこれからもいろんな出会いをしていく。
大変さ覚悟でいろんなことに挑戦していく。
それでいいじゃないか。
人生を精いっぱい楽しもう。
私ら生きてるんだ。
それ自体に意味はあるんだ。

そんなわけで『ペットロスについて考える』
でした。

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