離婚事件が一段落した年の大晦日にいろいろと一年を振り返り反省したのを覚えています(笑)
・・いやぁ本当に大変な年だったなと・・。
落ち着いて毎日が送れる日が来るなんて思わなかった(笑)
とにかくやり切りました。
それまでの人生の集大成のような年。
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まず離婚を考え仕事を再開するにあたって、
仕事に対する姿勢を変えなければと真剣に考えたのを覚えています。
ただ従業員として務めていた以前とは違い、きちんと店を受け継ぐために気持ちを切り替え、
もっともっと、全てのことに主体的に取り組んでいかねばならないと強く思った私でした。
『これからは私が一家を支える大黒柱。家庭でも職場でも強くならなければ。』
・・そう思って物事に取り組んだ時にまず気付いたことは、それまで“人に伝える”ということを怠って来た自分の“間違い”でした。
なのでそれを改め、きちんと自分の気持ちを言葉で伝え、自分側のやるべきことは逃げずにやろうということを決意しました。
と、その前に、今までないがしろにしてきた自分の心ときちんと向き合って自分の本当の気持ちを知るところからのスタートでしたが・・・
何しろ“自分の気持ち”自体さっぱり分からなくなっていた私なので(笑)
とにかく流されずに“考える”ことを意識し、
『自分はどうしたいのか?』ということをちゃんと知ろうと思いました。
『○○がこう言ってるから』
『これをしたら○○に悪いから』
『常識と外れてるから』
『○○が怖いから』
・・そういうのを全部排除して、自分のほんとの気持ちを考えること・・
生まれて初めてちゃんと考えたと思います。
そして、
『自分の間違いや思い込みを認め、変わる』ことを決意。
全ては自分と子供達のこれからの生活を守って上手くいかせるためです。
・・しかしものすごい葛藤、難しさでした・・。
自分の中にあるブロック、いわゆる心理的ストッパーは何か、
そしてその原因、意味、全部、全部考えました。
催眠療法とかに頼ったわけではありませんが(笑)
・・生まれた時から今までの自分の考えの偏りと原因を思い返せる限り思い返し、
そしてそれらが本当に必要なものなのか、抜け出せないものなのか、変えられないものなのか、
・・なんてことを腐る程考えました・・・。
そして・・
自分を知ってから、これから仕事でも生活でもそれまで以上に深く関わることになるであろう母に、伝えるべきことを言葉にして伝える決意をしたのでした。
私自身が変わり、それまでの人生で全くできていなかった“伝える”ということをしていくことで、これから取り組む仕事の環境や自分の環境を良くできるのだと信じて。
ちゃんと話せば母もそれを受け取り、考えて、私のために改善すべきところは改善するように協力してくれる、
信頼関係のある人ならみんなそうであるはず、
人は鏡だ!鏡の法則!
・・そんな思いで(笑)
結果は・・
みごとに玉砕です(笑)
母からは私が思い描いていたことは何一つ返って来ませんでした。
母は、全て『自分が責められてる』としか取らず、返って来るのは伝えたこと一つ一つに対する言い訳と正当化。
「おまえだって小さい時こんなこと私に言った。こんなこともやったじゃないか。だいたい親に対して偉そうな口きくのは辞めなさい。やっぱり私は正しくてお前が間違ってる。私は直さない、お前が直しなさい。」
伝えようとすればすぐにファイティングポーズを取られて戦いに持ち込まれ、あらゆる対抗する言葉を探して来て矢継ぎ早に浴びせかけてくる。。
・・ああ、そうだったなと。
私はその時改めて思い返しました。
『私が子供の頃からずっとそうだったんだ・・』と。
なにも私は最初から伝えようとしない人間だったわけではなく、いつからか諦めてしまっていただけだったのだということを思い出したのです。
・・だからこそ、いつしか私は何も言えず自分の中に気持ちを閉じ込め、自分でも自分の気持ちがわからなくなるくらいに自分を見失ってしまうような人格になっていたんだった・・
私はそういう人に育てられたんだった・・と。
母が私の言葉に必死になって反撃してくる姿を見ながら、なぜか冷静にそんなことを考えていた私だったのでした。
どんなにこちらが誠意を尽くしたとして、
話し合って意思を通わせ、物事をお互いにとって良い方向に持って行くために協力し合おう・・なんて考える理想的な人間ばかりじゃないのだということ・・。
そのことを確信した年でもありました。
・・そして自分の親がそうだったという痛い事実。
いえ、どこかでずっとわかっていて、でも認められずにいただけなのかもしれません。
けれど私はその時生まれて初めて受け入れたのです。
『母もそんなただの人間なのだ』ということを。
“絶対正義”だと思っていた母、
“最大の脅威”だと思っていた母、
私の中に神格化して君臨していた母・・
でも母も自分と同じただの一人の未熟な人間でした・・。
そう腹に落ちた時、私が感じていたのは母に対する怒りや失望ではなく、“理想の母”に執着していた自分の滑稽さです。
母が私のことを見ていないのと同じに、私も本当の母を見ていなかったのだなと・・。
この『未熟な一人の人間』という本当の母の姿を。
まあでもそれもこれも、私がちゃんと自分を変えて“気持ちを伝える”ということをしなかったらきっと一生分からなかったことなんだと、今では思います。
やってダメだと分かったこと。
痛いけど、それが事実だと気付けたこと。
気付けて、そして受け入れたからこそ前を向いてその先に進めました。
だからほんとに良かったと。(笑)
事実はただそこにあるだけ。
受け入れようと入れまいと・・。
過去の私はいつでも自分に信じられない真実を受け入れようとせず“理想”に執着するあまり、あらゆる物事を捻じ曲げてその結果できた歪んだ幻想の世界で生きていました。
そこにあるものをないとしたり、ないものをあるように思ったり・・
私の目はいつも何を見ていたのだろう・・なんてメチャクチャだったんだろう・・・。
・・だから苦しかったのは当然なのだ、と今では思います。
そりゃ辛いですよね・・
変わるはずもない真実を捻じ曲げようといつもいつも悪あがきで必死なんですから(笑)
親が子供を愛しているか愛していないか・・なんて実際のところはわからないことです。
でも子供を愛せない親もいます。
・・いえ、“愛すること”自体できない人はいるんです。
愛って少し難しい。
人を愛せるって、
自分が満たされて初めてできることなんだと思うのです。
母は明らかな“満たされないアダルトチルドレン”でした。
・・ずっと自分の心の穴を埋めるために戦ってきたのです。
そして今も戦っています。
『認められたい』
『感謝されたい』
『お母さんに愛してほしかった』
『みんなに愛されたい』
・・・ものすごい寂しい人なんだなって思うと同時に、
だからこそ人を愛せる程の余裕がある人ではないのだということが・・なとなんとなく理解できたのでした。
あの人はずっと自分を守り続けるために、固い殻を身にまとって生きている。
少しでもわかり合おうと手を伸ばしても、自分の身を守るためにものすごい敵対心で攻撃してくる・・・。
可哀想な人です・・。
で、私はというと、そんな母の心を救うために自分の貴重な時間を費やす必要は・・ないのだと思います(笑)
1人1人に与えられた人生の時間は有限です。
人は・・
自分自身で自分を救わなきゃならなりません。
母もまた然り。
例え親子でも、自分と違う人間のことは救えません。
『違う人間』だから。
自分のことを精一杯ちゃんと考えて、自分を救うこと。
そして自分を救えた人だけが、他人を愛することができるのだと・・
私は思います。
その年の一年を経て私は、『私のことを大切にしよう』と心に決めました。
可哀想ですが私がいくら母の思い通りになったとしてもそれによって母が救われることはありません。
自分を救えるのは自分でしかないから。
私が私自身で気付き、抜け出さなきゃならないように、
母は母の人生で自分で抜け出さなきゃなりません。
抜け出せなくてそのまま終わるのも、また母の選ぶ人生なのです。
いつまでも悩み、苦しみ続ける母を、
『私が救わなきゃ』と、どこかでずっと思っていたから離れられずにいたのかもしれません。
私がちゃんとすれば、母の言う通りにすれば、母は幸せになれるんだと、
どこかでずっとそう信じていました。
母がそう言い続けてきたから・・。
でも違います。
私は私。
母は母。
この意味が本当に分かった気がします(笑)
離婚事件があった一年・・
とにかくこの一年で学んだことは本当に大きい(笑)
まず“誠意を込めて気持ちを伝える”こと、これが大事なのは確かです。
だけどそれを受け取るか受け取らないかはその人の自由。そう、母であっても。
母だからこうあるべき、と期待しすぎた私もまた間違っていました。
私もまた『愛されたい』『愛が足りない』ガッツリなアダルトチルドレンでした。
そしてその人を理解したら、それがどうであれ批判も否定もする必要はないのです。
ただ、その“事実”に向き合い、自分はどう対処するか、
それしかありません。
それが本当に、自分と違う他者を尊重するということであり、
人が自分を救ってくれる必要も、その逆もないのです・・。
私は私の仕事をやる。
条件を付けられて、それがのめるようなものじゃなかったら断る。
切り捨てる勇気。
もちろんそれは親とだけじゃありません。
だからそういった考えで今度は旦那さんとちゃんと向き合い、その結果また戻ることを決めたのです(笑)
人とは常にwin winの関係を持つこと。
誰とでも、です。
これがすごく大事なんだと知りました。
自分の人生を生きよう。
気付けたこと、試練に感謝。