73話 人の言う事きいて生きるという癖

毒子エピソード
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40過ぎてから気付いた事の一つ。
「人の言うことなんて案外テキトーなんだな。」ってこと。

毒子である私は長い間ずっと“自分以外の人”の言うことを“絶対”なんだと思って生きてきました。
・・と言ったら『?』な感じですが、、
“自分は人よりも劣っていて、自分が誰よりも一番正しくないように思える”“自分に全く自信がない”だから“人が正しく思える”とでも言ったら分かりやすいでしょうか・・。

とにかく人が言ったことは正しく思えても自分のすることに関しては常に間違っているような気がして不安でいっぱいで、周りの目ばかり気にしてオドオドビクビクしていた私でした。

まあ結局、『間違っていて誰かに怒られるんじゃないか?』ってのが怖かったんですね(笑)
結論から言ってしまえば、いつもいつも何をやっても怒られて育った結果の『考え癖』です。
『パブロフの犬』と同じようなもんでしょうか。

子供時代に何を言っても何をやってもダメ出しされバカにされたり怒られ続けてきた結果、
『結局私の選ぶことは全部間違っている、自分は無知で無能なダメ人間。だから私は自分で物事を判断しちゃいけない。』
・・そんなふうに無意識に思い込むようになってしまっていたんだと思います。

そしてこの思い込みはその後の人生でもずっと私を苦しめることになります。
・・そう、その思い込みのためにいつしか私は何をするにしても『自分では何も決められない』“指示待ち人間”となっていったのです(笑)
いえ、そりゃ長い人生たまには自分で決めなきゃならない時だってあるわけですが、例えその時勇を鼓して何かを決めたとしても、なんせ自分に自信がないもんですから後になって『やっぱり間違っているんじゃないだろうか?』『怒られないだろうか?』『いつか大変なことになるんじゃないだろうか?』という不安が押し寄せてきてオロオロドキドキ挙動不審・・
結局自分で選んだところでいつも誰かに“許可”や“承認”のようなものをもらい続けないと不安で不安でたまらなく生きた心地もしないという、そんなわけのわからない心理状態に陥ってしまうのです。

そんなわけで私は更に
『こんな不安で悩み続けなきゃならないなら最初から何も自分で決めない方がいい。
自分より“正しい”人に言われた“正しいこと”をやっていれば間違いないだろうし安心。
言われたことを一生懸命やりさえすれば怒られない。
・・だから言われたことだけやる。』と、
そんな思考回路を強化して生きていくこととなっていったのでした(笑)

で、『怒られたくない』という恐怖がよっぽどなのか無駄に責任感だけは強く真面目なので、誰かに何か言われればもう私の頭の中はその“使命”に向かってロックオン状態(笑)
自分の中で『絶対にやらなければならないこと』になってしまいます・・。

『とにかく言われたことを一生懸命頑張ってこなす!』
自分が考えたことだとあんなにオロオロビクビク及び腰だったのが、人に言われた事ならとりあえず“正しい”事なので迷いなく無心に頑張れます。どんなアホなことでも。(今考えると思考停止状態なだけ)

・・そんな感じでいつもいつも人に言われたことをこなすことで精一杯で人生自体が忙しくクタクタのヘロヘロ。

まあ、そんな忙しい人生でもやってることは全て“人に言われたこと”であって自分自身の目的のためではないわけですので・・
勉強も部活も、良い子でいることも・・確かに頑張ってはいましたがその頑張る動機が『怒られないため』では全然楽しくもないし充実感があるわけもなく、当然やる気も続かず(笑)
そんなですぐヘタレてしまう自分を時に責めたり嫌気がさしたりもして、頑張れば頑張る程ますます自信を無くしていくといった・・そんな悪循環がずっと続いていた若かりし日の私でありました・・。

“自分一人じゃ何も決められず、人に言われたことを一生懸命苦しんでこなす”・・この繰り返し・・。
いつしかそれは自分の生き方のパターンとなり、
そしてそのパターンは後々、大人になってからも形や対象を変えるだけで、基本変わることなくずっと続いていったのです。

そう・・だから私は、誰といても気が休まることがなく常に疲れ切っていたのです・・。
まあ、今思えば私のやることを決めたり指示するのは大抵は母だったわけですが(笑)
例え母がいない所に行っても・・とにかく指示してくれる人がいないと何もできない、だけど人がいると義務感で頭がいっぱいになり常に急き立てられているような責められているような感覚がしてしんどくてしょうがない・・。
・・たぶん、だから人といるとどこかでずっと『疲れる』『逃げたい』『自由になりたい』という感覚に苛まれていたのだと思います。
自分でも一体人といることの何がそんなに辛いのか、なぜ逃げたいのか、正直はっきりとは分かってはいなくてずっと不思議に思っていたのですが(笑)

『自分で考えるよりも人に言われたことをやる方が断然ラク』・・という思い込み。
そりゃ心境的にはラクかもしれません。。間違っていたとしても『人に言われたんだ』っていう言い訳ができるという点では(笑)

・・でも正常な感覚で考えたらやはりやりたくもないことをやったり人に使い倒されたり振り回されることがラクなばずがありませんし、楽しいはずもないのです。
本来“誰に何と言われようが自分の責任において自分のやりたい事をやりたいようにやって生きる”ことの方が断然健全な人生のはずですし、そんなことは巷に溢れる自分探しソングやら少年漫画やらにもたくさん描かれていますし誰もが頭では分かっていることです・・・。

・・でもなぜかその“責められるかもしれない”ことを、自分の人生を投げうってでも避けたい程恐れているという毒子の不思議・・。
今考えると私は何をそんなに怯えていたのでしょう(笑)

まあ、やはり“母に怒られること”なんですよね。
これに尽きます。

これが私が何よりも恐れていた“恐怖”の正体です。
実際はいつでも母が私のことを監視しているわけではないですし、そもそも非力だった子供の頃のように今や母がそこまで自分にとって自分の運命を左右する程の絶対的な脅威なわけでもありません・・
なので理屈で考えると意味がわからないのですが・・
・・それでも・・
条件反射。
そう、“母恐怖症”ってやつです(笑)

子供の頃にガッツリ植え付けられた母への恐怖心。
見放されたら生きていけないといういわば命に関わる程の恐怖です・・。
それを『トラウマ』と呼ぶんですけどね。

正直私は自分が何にそこまで怯えているのかということが長い間わかっていませんでした。
でもよくよく自分と向き合って考え、結果辿り着いた答え、
いつでも私に付きまとっていた恐怖の正体は紛れもなく“母”でしかなかったんですよね・・。
いえ、“母に怒られること”。
あの子供の頃に感じていた恐怖を、私はいつでも人に何か言われる度に同じように感じていたのです・・。

ほんとつまらん理由なのです(笑)
とにかく母に(母でなくても誰かに)怒られるのが怖かった。
褒められたい、
安心したい、
無意識に持っているその強い思いにより人に言われたことを一生懸命にこなそうと頑張ることで人生を消耗するのが常になっているのですからそりゃ疲れるし辛いです。
常に気が休まる時もなく、もう人といる以上いつでもヘトヘトなわけです。。。

それでも人に言われたことしかできないわけですから常に人の指示待ちなわけで『次は何を言われるか』『どんな無理難題がやってくるか』でずっとビクビクオドオド。

もう完全に“独り舞台”ですが(笑)
ほんとに、、無駄に大変で疲れて恐怖満載の人生・・。
・・私の人生って一体・・・て感じですね(笑)

ほんと、後ろから蹴とばしてやりたい(←)

そんな風に思う今日この頃なわけですが・・・

先日、シミジミと思うことがありました。

それは冒頭にも書いたように
『人の言うことなんて案外テキトーなんだな。』ってことです(笑)

まあ、きっかけは旦那さんがなにげにした発言なんですが・・
なんか、何年か前に言っていたことと全く違うようなことを言われまして(笑)
・・それでしばし混乱したかん子だったのですが・・・

少し考えた後に
『・・別に旦那さんじゃなくたって、考えてみたらみんな案外適当なこと言ってるんだよな・・。』とふと思ったわけです。

何年か前に言ってた時から考えが変わって特に訂正することもせず違うこと言ったりとか・・いや、ともすれば前に言ってたこと忘れちゃってたりすることなんかも・・普通にあるんだよなぁ・・
なんて・・・。

もう、ロックオンされて頑なに言われたことをやり通そうとしていた私にとってみれば拍子抜けというか・・
いや、ちょっと頭がカオスになってしまったりもするのですが(そこまで笑)

考えてみたら別に政治家でもあるまいし、そんな一言一句矛盾も間違いもないように完璧にしてから発言する人なんていなくたって、そんなの当たり前じゃないのかな・・・なんて思ったりもして。

そう考えると私の必死こいて従おうとしてた“自分以外の人の言うこと”って・・・。

そう。
人なんてみんなけっこうテキトー。
その時思ったことを自分勝手に口に出したりするのも普通だったりするんです。
人ってそんな生き物。

思い返せば過去、私はいつも人の言った通りに振り回り、前に言われたことと少しでも矛盾したことを言われたりするとその度酷く混乱していました。
あまりの混乱にもしかして自分の受け取り方の間違いかとか、はたまた自分が何か悪いのかとか、一体どっちの言葉の通りにすればいいのかとか・・そんなことまで考えて悩んでオロオロしたりして(笑)

そんなずっと“人に言われた通りにすること”を頑張ってきた人生(遠い目
ちゃんと言われた通りにやったことを怒られたりすると『どうしたらいいのーどうしたらいいのー』て真剣に悩んで生きた心地もせずにやっぱりオロオロオドオド。
もうほんと、挙動不審子もいいところ(笑)
ほんといつまでも“ちっさい子供”みたいだったなぁ・・って。
今は過去の自分のアホさ加減に笑いが出てまう感じです(笑)

それに、、ほんとにいろんな人の無理ゲーな指示とかを死ぬ程一生懸命になってこなして生きてきたなぁって思います・・・。
すごい闇・・。
とにかく恋人だろうが誰だろうが人と関わって無理難題を言われることがすごく辛くて、 いつもいつも逃げたかった。

特に母の言うことはいつも一番無理ゲーだったなって思います(笑)今考えると(笑)
店でもそう。
いつだったか店の顧客管理を「あんたパソコンできるんだからパソコンでやりなさい」と言われて、真っ青になってファイルメーカーちゅーファイルを作るソフトを探してきて1から勉強して作ったこともありました;
「出来ない」なんて言った日にゃものすごーく嫌な顔されて「この子は言う事聞かない底意地の悪い女!!うーーやだ!!」って怒られるからそれが怖くて怖くて(笑)

当たり前のことを言いますが・・・
人が間違っていることもあるし、
物事って「できない」って言ってもいんですよね・・・。
そんな当たり前のことに40歳すぎて初めて気付いた気がします。シミジミ

・・親が毒親だった人はほんと何かと生き辛くなります。

でも人生の中で何か“生き辛さ” を感じた時は『自分はダメなんだ』と腐ったり閉じこもったりするのではなく、
その都度ちゃんと向き合い、一つ一つ“幸せになるための間違った思い込み”を見つけ出して、そこから自分を解放していくことが毒子にとっては大事な事なんだと、今は強く強く思うのです。

まだまだ変な思い込みはたくさんありそうですが(笑)

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