71話 子育てについて 1

子育て
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ガッツリ毒子であった私もすっかり親の立場になり、今では子供達も思春期に突入しました(笑)

思えば私が毒子であったがために子供達が小さかった頃にはいろんな迷惑をかけてしまったと思います・・。
それは離婚事件も含めて。

今の考えで過去に戻れるとするならば、もっといろんなことに対して選択を正さなければならないところは沢山あります。
・・が、「こうすれば良かった」なんて、今だから言えることに過ぎません。
で、その“今”は過去の“やらかし”あって学んだ上での今でしかないわけで・・
もう「しかたない~~~」としか言えません・・・。(遠い目)

とはいえどれだけ私がその時『頑張ってた』としてもそんなことは子供達にいらん迷惑をかけたこととはまた別問題で、結果的に自分の至らなさで子供達を振り回してしまったことは本当に申し訳ないことだし反省しきり・・
「それでも食べさせてやってたんだから」なんていう母の口から出てきそうな高慢な思考は幸いなことに私には一切湧いてきません・・。

ただ・・あれが毒子であった私ができる精一杯のやり方だったのかなと思うと、それがどんな不器用であったとしても『子供達を幸せにするために』『自分が幸せになるために』という前向きな気持ちで行動したという点に於いては、唯一自分を褒められるところでもあるのかなぁなんて思う私でもあるのでした。

自分には「頑張ったんだからしゃーない」
でも子供達には「ごめんね」と。

今は正直それ以上言葉が出て来ない私ではありますが(笑)
今後の人生で“やらかし”経験も含め全てを活かし挽回していけたなら、なんて思っている次第です。はい。

そんなわけで、これまで毒親と毒子の問題に焦点を当ててきたのもあり、子供達のことにはあまり触れてきませんでしたが・・
まあ、子育てに於いてもいろいろなことはあります。良い事悪い事含めて(笑)
子育てについては、それだけでもう十分ブログが書けるくらいなのはもう、子育てしている方なら誰でもお解りになるのではないかと(泣)

ええ、普通に“難しい”です。
自分の感情すら理屈通りに行かないことは分かっていますが・・子供のことはなお更(笑)

しかし、子育てを通して気づけた自分のことも数多くあります。
子供がいなかったら考えもしなかったであろう事はたくさんあると思うので・・。
だから“子育て”というよりもむしろ“学ばされている”という点で自分も子供に育てられている感覚があるというか・・
よく「子育ては親も子供と一緒に成長するもの」とか言われたりしますが、今ではそれが実感してものすごーくわかります(笑)

・・もしも子育てしていなかったら、毒親毒子問題についても未だに気付けていなかったことがたくさんあるんじゃないだろうかとも思ったりして。
子育てってそれだけほんとに悩み、いろいろ考えさせられることばかりです。

しかしはっきり言えるのは、
『私は毒子だから上手く子育てできるはずはないし、産まない方が良かったんじゃないか・・・』なんて、思う事は全くもってないということです(笑)

今思うのは・・
毒子であろうがなかろうが、誰にとっても子育てなんて難しくて当たり前なんだということ。
確かに毒子であるがゆえに、ただでさえ無駄にいろんなことがやりづらかったり、すぐつまづいたり、問題を引き起こしたり、毒親になってしまう可能性も非常にデカい。
・・でも、だからと言って「毒子だから子育てできない」なんてのはただの言い訳に過ぎないような気がするのです。

だって、“毒子だからできない”のなら、毒子でなくなればいいだけの話です。

『はぁ~?誰も好きで毒子でいるわけじゃない!どうやったら毒子から抜け出せるっていうの!??』

・・ええ、簡単なことではないです。
でも本気で思ったことは人はどんなことをしてもやるものです。
いろんな例外があるにしろ基本“やらない”のはできないのではなくてやりたくないからにすぎません。
もちろんやりたくないならやれるはずないですしやる必要もありません。
子育ても然り。
素直に考えれば至ってシンプルです。

でもほんとに毒子をやめたいと思っているならば、解毒は待ってるだけじゃ絶対にできません。
そもそも受動的である癖そのものが“毒”と言っても過言ではないくらいなので。
解毒はあらゆることに果敢にトライする能動的な精神でしかできないものなのです。

で、子育ては受動的ではできないことの一つです。
子供のことを思ったら否が応でもあらゆることを能動的にやらざるを得なくなってきますから嫌でも成長させられます(笑)

・・というかそもそも子育てに限らず初めてやることが初めから完璧にできる人なんて毒子じゃなくたっているわけないんですよね・・。
それを考えると「毒子だからできない」というのはやはりあらゆることに於いてただの言い訳だと私は思ってしまうのです。

毒子であろうがなかろうが、全てのことはできないところから努力をし、上手くやれるように“なっていく”わけです。
それが人間としての当たり前の成長なわけで・・
それぞ人間の“修行”であり、人間としての人生の醍醐味とすら言えるんじゃないかと今のかん子は思ったりするのです・・。
(成長した先に何があるのかは・・わかりませんが(笑))

とにかくまとめると、
毒子だからと“毒子”らしいような人生を選んでしまってたら毒子から抜け出せるはずはない!ということ。
“脱、毒子”を目指すならば、毒子ではない人生に果敢に挑んでいけばいいだけのことです。
それはもちろん子育てだけじゃなく、あらゆることにおいて。
最初は上手くいかなくても、そんなこんなで奮闘してるうちにいつのまにか毒子から抜け出していたりするもんなんで。

とにかく毒の淀みでクダまいてたら一生何も変わらないことだけは確かです。
子供を育てる立場になってもなおクダまいてることを選ぶならそれを完全なる“毒親”というのでダメですが(笑)

まあ、“やりたくない”人は最初からやらないことを選ぶのもまた人生かもしれません。
・・例えば“毒子”でいるいことにおいても、
「実は人並みな大変な思いなんかしたくないという怠慢さの言い訳のために一生“毒子”という被害者であり続ける必要があるのよ。」と、そんな自分のズルささえ自覚した上で毒子のままでいることを選ぶという人はそれはそれで立派な決断です。

・・でも、たぶんそこまで覚悟して、人に迷惑をかけることさえも承知の上で自ら喜んで毒子であることを選んでいる人ってまずいないと思いますし(そもそもそこまで強い意志がある強かな人は毒子とは言わない(笑))
やはり毒子である誰もが得体の知れない苦しみから解放され、そのわけのわからん不毛な人生を変えることを心の底で望んでいることは間違いないと思いますので、
どんな形であれ、毒子にとって解毒をするための努力は必須であると、私は思っているのです。

まあだからこそこんな“脱、毒子”がテーマの体験記ブログなんかを書くことにした私なわけですし(笑)
これからも世界の中心で「脱毒子」を叫に続けて行きたい所存であります。

願わくば、全ての毒子達が毒子でいることのアホらしさに心の底から気付き、自ら“脱、毒子”を目指し立ち上がる日が訪れんことを。

で、今はそんなこんなの心構えで子育て奮闘中のかん子なんですが、、、

長くなったので続きは次回に。

(つづく)

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