前に書いたRちゃん(母の10歳年の離れた妹で、母の店で一緒に働いていた)について少し書こうと思います。
母とRちゃんは年が離れているせいか、姉妹というよりも親子みたいな感覚で育ったそうです。
とはいえ私から見た二人は“親子”という感じとも少し違って見えました・・。
なんというか、事あるごとに金銭面で母がRちゃんをサポートし、その代わりにRちゃんが母の手伝いをいろいろやらされている・・というような、悪く言えばRちゃんが母に“頭が上がらない”関係・・?
Rちゃんは昔から何かと母に協力していました。
母が店を出した時も美容師免許を持っていたRちゃんがオープニングスタッフとして一緒に働きましたし、母が忙しかったのもありその頃まだ小さかった私や弟の面倒もよくみてくれました。
その他母ができない時は家の掃除洗濯等も手伝ってくれたりとか、買い物に行ったりだとかの雑用もやってくれたり、よく私を泊めてくれたりしていたことも覚えています。
小さかったのもあり忘れていることもたくさんありますが小学校の遠足なんかも仕事が忙しかった母の代わりにRちゃんが行ってくれたりと、本当にいろいろなことをやってくれていました。
・・ので、私はRちゃんにとても懐いていました(笑)
“叔母さん”という感じではなく、“家族”のような感覚だったと思います。
と、同時に幼かった頃の私はRちゃんにとても甘えていました・・。
というか、私に対し優しかったRちゃんを『甘えていい人なんだ』と思っていたのかもしれません。
思い出すのはワガママを言っていた記憶ばかり・・。
わけのわからないことを言ってRちゃんに飛び掛かっていったこともあります;
ある時は何が悔しくてかRちゃんのバッグの中身を道路にぶちまけて泣き叫びました。
Rちゃんが誰かからプレゼントでもらった何万円もする香水を部屋にばら撒いて困らせたこともあります。
・・・どうしてRちゃんに対してあんな悪さばかりしていたのか、、自分でもその時の気持ちがよく分からなくて後々後悔した私ですが・・;
それでもRちゃんはそんな悪ガキだった私の面倒をよくみてくれていました。
大人になってから考えると申し訳ない気持ちでいっぱいになります・・・。
しかし今になって妙だったなと感じるのは、それらの私の悪行に関して私の親である母がRちゃんに謝るといったようなことが全くなかったことです。
・・ただただ「まったくこの子はどうしょもない!」と私が怒られて終わっていた記憶しかありません。
それどころか母は常にRちゃんには威張ったような大きな態度で接していました。
まあ後々に「あの子には多めの給料を払っていたし、いろいろお金やってたんだからいいんだ。」というふうなことを母から聞きましたが・・・それにしてもRちゃんはそれで全てを納得していたのでしょうか。
・・いえ、そうでなかったということはRちゃんが度々母と大喧嘩を繰り広げていたことからも伺い知れますが(笑)
こんなことがありました。
私がずっと欲しがっていた『ミルクモーモー』という当時流行っていたおもちゃを誕生日にプレゼントしてくれたRちゃんなのですが、ある日母と大喧嘩した時に、怒ったRちゃんはそれを叩きつけて破壊してしまいました・・(笑)
私はいろんな意味でショックでした。あまりにショックすぎてよく覚えているのですが(笑)
その他にも母とRちゃんはけっこういつもものすごい言い合いをして物を投げ合ったりだとか尋常じゃないような喧嘩をしていました。
完全に家庭内の姉妹喧嘩といった感じですが・・;
私が悲しかったのは、母とRちゃんが喧嘩すると、Rちゃんが私に冷たくなることでした。
母が何かRちゃんに言うと「かん子なんか私にこんな迷惑かけてるんだから!!」とRちゃんが言い返します。
その時私は『ああ、私はRちゃんの子じゃないんだよな・・』となにかすごいショックな気持ちになったのを覚えています。
それから変にギクシャクして、Rちゃんと距離を置いてしまったりだとか・・そんなこともありました。
母もそんなRちゃんのことを『ワガママだ』とか『生意気だ』とか『私に反抗ばかりしてる』とかなんだとか悪口ばかり言っていましたし、
とにかく私から見た限りでは“親子のような感覚で育った”とは言え、母とRちゃんは到底仲の良い姉妹とは言い難い感じでした。
Rちゃんはそんな中、結婚して3人の子供を産み、その後離婚しています。
母はこの時にもお金の面で相当サポートしたらしいです。
後から聞いたところによると、おばあちゃんから「Rを助けるため一緒に協力して欲しい」と頼まれたそうですが・・
母は『兄弟姉妹のことは協力するのが当たり前』という感覚で親に相談されるがままお金を出していたとの事です。
母と母の実家は協力してRちゃんが結婚した時に買った建売住宅のローンの残金を全て支払い、Rちゃんの旦那さんだった人には出て行ってもらったそうです。
そのためRちゃんは子供達3人とそのままその家で暮らし続けることができました。
(なんか後から聞いた話によると母はこの時家の権利書を自分のところに持って来させて取られないように隠したりだとか、裏でもいろいろ協力していたらしいです;)
その後にも、母によればRちゃんの子供達の進学のためのお金なんかをその都度協力してあげていたとの事です。
といっても自分の店でRちゃんを雇って、少し高めのお給料を支払っていたこととかも含めて『面倒みてやった』となっているようですので、
正直どこからどこまでが“サポート”なのかはボヤっとしていますが・・。
・・と、母はそんな風にお金の面でRちゃんにかなりのサポートをし続けていたわけなのですが・・
母はそれらのことを後々までずっと言い続けることになります。
「私が〇〇万出してやった。」「あの子の子供は私のおかげで大学へ行けたんだ。」と。
とにかくそれもあり、Rちゃんはどんどん母に頭が上がらない様子になっていきました。
何かあると「あの時私は払ってやったんだ!」ということを言われていましたので。
これは後に親しいお客さんから聞いた話ですが・・
Rちゃんは裏ではこう言っていたそうです。
「私だって姉ちゃんのために一生懸命いろいろやってるのに。お金があったら今までもらったお金全部返して自由になりたい、威張られたくない、宝くじでも当たったら・・・」
とにかく「がんじがらめで辛い」、と。
私が思うに、どうも母とRちゃんとの間では大きな認識のズレがあったようです。
もともとRちゃんが母の店を手伝うことになった一番大きな理由は『母を助けるため』だったようです。
しかし母からしたら『親に頼まれて使ってやった』だそうなのです。
なんという行き違い(笑)
・・後から分かったことですが、どうやらおばあちゃんという人は『兄弟姉妹が一緒に協力してやっていくのが一番幸せなことなんだ』という価値観を強く持っていたようです。
それに加えとにかく末っ子であるRちゃんのことをいつも心配していて、事あるごとに長女である母に
「Rのことを頼むよ。あの子はほんとにしっかりしてないから。あの子のことが心配で心配で。」という事を言っていたそうです。
なので母も『私が面倒みてやらなきゃ』という長女としての使命感がどんどん強くなっていったと・・
それもあってRちゃんのことを“特別に”多めの給料で(いくらかは私は知りません(笑))店で使ってやって面倒みてやることを決意したのだということを後に何度も言っていました。
・・ところが、後々Rちゃんは笑ってこう言ったそうです
「離婚した時はどうなるかと思ったけど、何事もなんとかなっちゃうもんだね。」
母は怒り心頭(笑)
「私がいろいろやってなんとかしてやったのに!!ほんとにあの子は分かってない!!」
・・どうでもいいですが、私は母がRちゃんへの不満なんかをRちゃんがいない時にお客さんに愚痴りまくっているのを聞くとウンザリした気持ちになります(笑)
かと言って下手にRちゃんをかばうようなことを言えば「お前は苦労してないからなんにもわかってないんだ!」「Rに感化されて!!」ととばっちりを受けることになりますので黙っているほかなんとも仕様がありません。
と、そんな感じで決して“良い関係”とは言えない母と妹Rちゃんのことを書いてみましたが(笑)
私が感じるのは、母とRちゃんの関係に於いてだけではない、母と母の実家の奇妙な強い結びつきです・・・。
子供達がそれぞれ独立してもなお同じように続く母の実家の“家族”の関係。
おばあちゃんはせっせと料理を作っては独立した子供達の家に届け、ついでにいろいろと家事等手伝いました。
子供や孫達もなにかとおばあちゃんの家に行き、おばあちゃんの作った料理を食べ、まるで自分の家のようにくつろいだり・・・。
かん子に至っては途中までおばあちゃんの家で育ったというのもあり、より堺がなくなっていたというのもありますが、
かん子のみならず、おばあちゃんの子供孫全員がなんというか・・外に住んでいるにも関わらずぐちゃっとした家族みたいな関係なのです(笑)
確かに“悪いこと”ではありません。
良い風に見れば『微笑ましい』とか『絆が強い』とか言う人もいるのかもしれませんが・・私的には少し気味の悪い感じがしていました。
うーん・・
だって、こんなに離れず何かと関わり合いくっついているわりに別にお互い“仲良い”わけでもないので(笑)
お互いがお互いを必要以上に心配したりして大事に思っているというのはわかりますが・・
だからと言って別に楽しく仲良く、一緒にいて楽しいから一緒にいる、というわけでもなく、
言ってしまえばただ“ラク”だから甘えている感じ・・・?
文句を言い合いながら、酷い言葉を言い合いながら、裏では愚痴を言いながら・・それでもやってやったりしてもらったりしてくっついている・・と言った感じです。
金銭面においても「まあ、姉妹だからいいや・・」みたいな面があったり・・とにかくいろんな面で家族内でルーズ。
なにか私には変にお互いがお互いに甘え合うことを当たり前にし、だからこそのそれに対する不満やストレスをお互いに抱え合っているというような、あまり良くないしがらみがそこにあるように思えてならないのでした・・。
特に『やってやった』『やってくれない』『あっちの方がかわいがられてる』だとかの肉親だからこその愛憎みたいなものが見え隠れしていましたし、
支え合っているというよりかはお互いがもたれ合っているような、境界線が曖昧でお互いがお互いに絡みついてしまって離れられないような、そんな淀んだ空気を時おり感じてしまい、その度私は少しゾッとするような嫌な感覚になっていたのです。
今思うと、母の実家のこの感じはまさに“共依存”の感じそのものではないかなと。
母もまた、親や家族と“共依存”の関係にあったのだと思うのですす。
そしてその連鎖の結果がそのまま私と母の関係でもある、ということです。
そして私もまた、同じような共依存の関係を自分の家族に、、旦那さんにも求めていた・・・と。
簡単に言えばそれを受け入れようとしなかった独立心旺盛な旦那さんと衝突したというわけです(笑)
・・気付かなかったらきっと私はあのまま旦那さんと決別していただろうし、また再び元の共依存の世界に舞い戻っていたんだろうなぁと思います・・・。
まあ、母の店にいる以上、傍から見たら私のやってるこなんて大して変わらないとは思いますが(笑)
気持ちは全く違っています。
ほんとに、何事もやっぱ“全て問題は自分の中に在り”だと思う今日この頃なわけですが。
それにしても母のRちゃんへの不満等、解消される日が来ればなぁなんて日々思うかん子ではあります。
聞くに堪えないので(笑)
母の中でRちゃんに“やってやったこと”や“言われた”り“された”悪い事だけじゃなくて、“してもらったこと”なんかをもう少しでも思い出す余裕が持てたなら・・感謝の気持ちに気付いて愚痴も減るんじゃないかな、、とか理想的な考えを巡らせたりもしますが(笑)
いや、もしかしたら意地になって“してもらった”とは認めたくないだけなのかもしれないし、人の複雑な気持ちはやはり理屈で言うほど簡単ではなくわからないものですからなんとも言えません(笑)
まあ長い間ガッツリ毒子ゆえいろんなこと0or100で考えてキリキリ生きて来た私ですが、
最近思うのです・・
『もっと肩の力を抜いていいのかな』と。
この社会にいる以上、自分の中での優先順位なるものをちゃんと考えた上で、“解決できないこと”とも上手く共存し、少しゆるめに生きて行くことに慣れることも、ただでさえいろいろあって当たり前の“人生”というものを生き抜く術なんじゃないかななんて。
良い意味でテキトーに、です(笑)
誰だって何にもない人生なんてあるわけないし、みんな何かしらあって、その中で生きてるんだものね。
いろんなことがある中で、少しでも心穏やかめに楽しく生きていけたら・・きっとそういうのが私の望んでいる人生というものなんじゃないかなと、最近亡くなったハムスターのお墓の前でシミジミ思うかん子なのでありました。