自分が毒親に育てられ“毒”を受け継いだ毒子であるということに本当の意味で気付けたのは実に40歳を過ぎてからのあの“離婚事件”以降なわけですが・・・
それ以前の長い間私は『何か生き辛い』ということにずっと悩み続けていました。
今思えば、私は完全なるアダルトチルドレンでした。
定義で言うと、アダルトチルドレンとはもともとは“子供の頃にアルコール依存の親の元で育ったことで心に傷を負ってしまい、そのまま大人になった人”のことを言っていたようですが、
今はそれだけに限らず“機能不全家庭で育ったことによりトラウマを持ったまま大人になった人”全般を指す言葉として使われているようです。
私の親はアルコール依存なわけではありませんでしたので、その他の意味での“機能不全家庭”になります。
そんなわけで私は昔から、常にその抱えていた“生き辛さ”を解決するヒントになるようなものを見つけようといろいろな心理学の本などを読み漁っていました。
“学ぶ”ことで解決の糸口が見つかるんじゃないかとなんとなく感じていたので・・。
そんな中で見つけたキーワードが“毒親”だったり“アダルトチルドレン”だったり“インナーチャイルド”だったりするわけです。
『もしかして原因はここにあるのかもしれない!』
そしてそこらへんに焦点を当てて更にいろんな本を読みます・・。
・・・まあ、結論を言えば間違ってはいませんでしたが、一つだけ私は大きな勘違いを持ったまま勉強を続けていました。
それは“自分は被害者でしかない”という思い込みです。
『こんな苦しいのは誰のせい?』
・・・もちろん“親のせい”なのだと思っていました。
毒親のせいで自分はこんなに苦しいのだと。
だから、解決するには毒親をなんとかしなければならないのだと考えていました。
親に対し自分の子供にやってきた間違いに気付いてもらって謝ってもらう・・とか、そんな類のことです
そして、そんな風に親との人間関係のわだかまりが解決できた時にやっと自分は救われるんだとマジで思っていたのです(笑)
・・今思うとなんていう依存的な思考回路なんだと。
『親がこうしてくれなかったから自分は不幸で、親がこうしてくれれば全て解決するはず!』・・とか。
はっきり言って他力本願もいいところです。
じゃ、親が思ったようにやってくれなかったら結局何も解決しないまま人生は終わるのかと(笑)
・・ほんとに、肝心の“自分のこと”見てなかったんだよなぁって思います。
全部周りのせいにしてました。
だから焦点がいつも自分以外の“周り”。
結局“毒親”っていう外部のもののせいにして自分は“被害者”。そこで終わっていたのです。
だから何も解決しなかった・・。
まあ、言っちゃえば、まさか『自分の甘えというものも自分の苦しみの大きな要因の一つ』だなんて認めたくなかったのかもしれません。
・・だって、明らかに毒親の被害者なのに自分も悪いなんて思いたくない・・・
でも大人になって、守るものができて、
自分がどんなに子供だったか、“本当の大人”にならなければ人のことなんか守れないのだということを思い知らされました。
いつまでも親のせいにしてウダウダ甘ったれて前へ進もうとしなかった愚かな自分。
アダルトチルドレンだからこんなに辛いんだ、こんなに苦しんでるんだ、こんなに弱いんだ、私可哀そう・・・
うぜぇ(笑)
歳だけくったいい大人が自分の苦しみがどうのって・・いや、自分に対してヘソで茶が湧きます。
『親は親だろ。親の人生だろ。誰だって失敗するさ。親だって子供だった。』
だからって、失敗された立場だからってそれを自分の子に連鎖させることこそ大罪なんではないでしょうか。
自分は失敗しないように、そのために学ぶのです。
“被害者意識”や“復讐心”は不幸しか生みません。
今では思うのです。
親に対して恨んだり、責めたりしていたその気持ちこそが『甘え』であり依存だと。
いい大人になっていつまでも誰かに愛されたいとか・・
愛する立場だろ!
しっかりしろ!
・・と(笑)
“毒親”“インナーチャイルド”・・
誰かのせいにするためにそんな言葉ばかりに固執していた自分をを恥じる気持ちでいっぱいです。
私はがっつり『共依存』でした。
全ての苦しみの正体は毒親というより毒親との共依存。
共依存とは相手と自分の関係性であり、責任は相手だけじゃないことを意味します。
つまり相手のせいでもありますが半分は自分のせい。
その自分側の愚かさが見えなくて(認めたくなくて)ずっと苦しんでいました。
親との共依存のせいで他の誰とも共依存の関係を築こうとしてしまう性質こそがアダルトチルドレンの本当の苦しみの原因だったことに気付きました。
言ってしまえばアダルトチルドレンはみんな共依存。
自分に不足しているもの(愛とか)を埋めるためにあらゆるものに依存してしまう、
親から離れても他の場所で共依存できる片割れを探してしまう・・。
その相手とは・・
恋人であったり中毒性のあるギャンブルだったりいろいろです。
なにもその対象は人間だけではありません。
拒食症に陥った過去の経験、 そこに至るまでの経緯を書きました。
・・完全に『拒食症』であることに依存していました。
そして恋愛依存症だった過去のことも。
相手に尽くし、甘やかし、依存させて離れないように仕組んでいました。
私がいなきゃダメな状態にさせようとしていました。
相手のためじゃなく、“自分が1人になるのが寂しいから”。
・・・私は被害者だけじゃなく加害者でもあったのだと今でははっきり自覚しています。
『共依存の片割れ』という加害者であったと。
本来人は1人で立つものです。
そして相手に愛があるなら“1人で立てるようにしてあげる”もの。
それこそが健全な関係であると思うのです。
変な言い方をすれば依存するのもさせるのも憑依霊となんら変わらない行動(笑)
『なんでもやってあげる』『なんでも誘導してしまう』これは暴力して従わせるのと同じくらいの大罪です。
いえ、むしろ同じこと。飴か鞭かの違いでしかないのだと思うのです。
子供に対してもそう。
本当に愛しているなら、“1人で立てるように強くしてあげる”ことが大切です。
誰がいなくても、一人で選び一人で自分の道を進めるように。
毒子である全ての人の苦しみをなくすために、今後もこの共依存の罠なんかを実体験を交えてわかりやすく発信していけたらなぁなんて思っています。
毒親とその子の関係に於いて、 毒親ばかりが悪者に書かれることが多いですが実はそんな単純なものではないんだと、
というか、もはや“悪者が誰か”の問題ではないのだということ、被害者である誰もが加害者にもなり得るのだということ・・等々。
誰もがそれを認められて、自分の陥ってる間違いに気付き、知らないうちに自分が加害者になってしまうなんてことなく生きていけるように、
毒親からの連鎖があるならば毒親を責めるだけでなくその連鎖を“自分の代”で断ち切ることが本当に大事な事なんだと気付けるように。
かん子が毒子ゆえにやらかしてきた失敗談の数々が、ほんのちょっとでも世の毒子達の“同じ地獄に陥らないための気づき”のヒントになれたなら・・なんて思いをうっすら抱きながらこのアホ体験談をこれからも書いてゆきたいと思っているかん子なのであります。
かん子もいろんな“情報”に救われてきた1人ですので(笑)
・・世の中の全ての毒子達の幸せを心から願って。