67話 母の娘への嫉妬

毒親
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私は小さい頃から母に貶し文句を言われ続けて育ちました。

よってすごい劣等感の塊なんですが(笑)
よくよく考えると母以外の人にそんな酷い言葉を言われたことってほぼないんですよね・・。

なぜ母は私にそんな酷い言葉ばかりを私に言ってきたのか・・・
少し考えてみようと思います。

というか、そもそも親が我が子のことを貶すということ自体私にはよくわかりませんでした。
“親は子供を愛するもの”だと信じていたし、なにより「お前のため」という言葉を事あるごとに聞かされていましたので。

・・なので、どんな酷いことを言われたとしてもそれが悲しいとか悔しいとかいうよりかはもう普通にその言葉をそのまま受け取り、
ただただ『私ってそんなにダメなんだ』『なんでこんなにダメなんだろう』『どうして普通の人と違うんだろう』と自分を責める方向に考え、
そんな自分への嫌悪感やら周りへの罪悪感ばかりがどんどん自分の中に募って卑屈になっていったのでした。

特にほんとうにしょっちゅう言われていたのが
「この子は女特有の底意地の悪さを持っているんだ」という言葉。
弟のNは男なのでさっぱりしているけれど、女である私は底意地が悪くネチネチグチグチしているということです。
これをお客さんやらいろんな人にことあるごとに言うのです。
小学生時分の私は“底意地が悪い”の意味すらよく分かっていませんでしたが、何度も言われているうちにそのフレーズは耳に残り、同時に私の中には『底意地が悪い』というセルフイメージが強く強く刻みこまれていくことになりました。

その他にも「引っ込み思案で何も言えなくて、暗くて陰険で、執念深くて、シンネリグンネリしていて・・・おおやだ!」
・・たくさんのフレーズが思い出されます。

中でも高校生になって言われた「この子は男の前で態度が変わるんだから」という言葉はかなりショック・・というかとても嫌な気分だったので忘れられません。
私は男性の前で態度を変えた記憶がありません・・
もしかして無意識に緊張して変わってしまった時があったのかもしれませんが、、それでも思い当たるようなことがありません・・。
だから明らかな母の思い込みと思うのですが、それにしても私の何を見てそう思い込んだのかはずっとわからず、とにかく不思議でなりませんでした。
それでも私は『自分の何が悪かったのだろう?』ということをずっと考えていました。
もう、“自分の方に問題がある”と思うのは癖ですね(笑)

それと母は、なぜか私が女の子らしいことをしているととても嫌な顔をしたのを思い出します。
例えばこれも私が高校生くらいの頃の話ですが、オシャレをしようと髪をいじっている私を見て母がすごい剣幕で怒り出したのです。
「この子は髪のセッチュウ(?)なんかばっかりして!色気づいてまったくもうほんとにどうしょもない!もっと他にやることがあるんじゃないんけ!!」

それ以来私はオシャレ心を持つことに罪悪感のようなものと後ろめたさを持つようになって行ったのを覚えています。

・・ところが、これはこの前の出来事なんですが・・
母はそんな過去私に対して言っていた言葉などすっかり忘れたように
「お前は学生時代に恋人とか全く連れて来なかったんね。N(弟)は何回か連れて来たのに。モテなかったんね~なんでだろうね(笑)」
・・と、なんともデリカシーのない言葉を楽しそうに言ってきたのです(笑)
それを聞いた私は『えええ?』でした。

いや、そもそも連れてなんて来ないですけどね;それこそ何言われるかわからないし(笑)

・・昔は気づかなかったことなのですが、不思議なことに母は私がダメだとどこか“楽しそう”だったり“嬉しそう”だったりするのです。
まあ母は自分の子供のことを自慢げに言ってくる人なんかを忌み嫌っていますので(笑)そういうのから『自分の子供を他人に謙遜して冗談ぽく言っているだけかな?』と思っていたこともありますが・・それともやはり違います。
なんというか・・謙遜にしても笑えないレベルで言い過ぎですし、人がいない時でも言ってきます。
しかも私1人の時はすごく憎らし気な顔をしてバカにしたような口調で言ってくるのでこれが他人に示すためだけのものとはやはり考え難い。
そして人に対して私のことを悪く言う時はやはりとても楽しそうです。
「まったく、この子はこういうんだよ!ど~うしょもない!アハハ」
大概は笑っているのは母だけでお客さんなんかは気まずそうに私をチラ見しながら苦笑いですが・・。

とにかく私のあれがダメ、これがダメ、
それは内面のことだけではなく外見(容姿)のことまで及びました。

脚が太いだとかお尻がデカいだとか、痩せて見えるけど実はデブだとか・・・
どうしてそう見えるのかは分かりませんが、具体的に数字で言うと157cmの身長で体重42~3キロだった時も変わらず「脱ぐとデブ」と言われていました。
そりゃあモデルや芸能人なんかと比べるんであればそう言われても仕方ないのかもしれませんが;
それにしても140cm台で52~3キロの母にデブと言われる意味が分かりませんし、この田舎界隈でそんなこと言ってたら他の人に対して嫌味に取られかねません。
母は私の何を見ているのかと本当に疑問に思った時もありますが・・
それでもそう言われ続ければそんなふうに思い込んでしまうもんで(ほんとになんなんだ(笑))、
私は若い頃からずっと『自分はデブだ』とか『脚が世界一太い』だとか『お尻が巨大すぎて恥ずかしくてGパンは履けない』だとか・・なんか要らぬ劣等感に苛まれていました。(まあ、それが後々の拒食症にも繋がるわけですが)

そしてこれは大人になってからの話ですが、仕事に於いても『え?』と思うことは多々ありました。
私がお客さんに褒められたり指名されたりすると母は決まって良い顔をしません。
昔は不思議に思っていましたが・・

毒母の性質上、自分が満たされていないことから自分よりも誰かが褒められたりすれば娘であろうと嫉妬するというのがなんとなく分かって来たというのもあり『ああ、そうかぁ』と思えるようになりました。
そうやって考えれば確かに全て合点が行きます・・。

お客さんが私の技術を褒めるようなことを言うと母は根に持ちます(笑)しかもシツコイ;
そして事あるごとにお客さんに言います。
「やっぱり年数が大事。若い子がいっくら上手そうに見えても長い経験でしかわからないことがいっぱいあるんですよね。何の職業だってそう。長年やらなきゃわからないことがたくさんあるのに若い子はできた気んなって天狗になる。」

ちなみに私は劣等感満載のアダルトチルドレンなわけですからもちろん謙虚です(いや卑屈です(笑))天狗になんかなれるわけがありません。
どんなに褒められたってそんな言葉は信じられませんし、自分がそんなにできるわけないと思い込んでいます。

しかし母はそんな私の劣等感に追い打ちをかけるように「かん子はそこがダメ、あれがダメ、ここはもっとこうやった方がいい。まだまだ若くてわかんないんだから。やっぱり私がいなきゃダメ。」と私が接客しているのを横からダメ出ししてきます;
それを聞いたお客さんはもちろん不安になります(笑)
『この子じゃまだできないのかしら?』

当たり前です・・・;(てかそもそも若くないっていう)

そうしてお客さんは母を指名し、私はどんどんお店での立場がなくなる・・という経験を長年してきました。(これは私だけに限らず従業員全員そんなでしたが(笑))

母はよく言います。
「この子がやるとみんな丸くしちゃうんだから。若い子じゃあるまいし、私らの歳んなるともっとシュッとしたいんだよ普通は。」

そんなこと言われて不安にならないお客さんはいません(笑)
(てか『丸くなる』ってなによ。
100歩譲って“ひし形”のフォルムを意識したりすることはありますが丸って・・・(←私もシツコイ笑))

とにかく私がやることなすこと全部・・・
料理に関しても同じです。
離婚事件の時に実家にお世話になった3か月、私は母のキッチンで料理をしていたわけですが・・・
子供達や義父が「おいしい」と言って食べる私の料理がとにかく気に食わなかったようです。
それからずっと、いつまでもいつまでも「この子の料理は手が込み過ぎててダメ。年取ったらこってりしたものとかはなるべく食べたくないんだ。それに仕事しながらそんな手の込んだ料理なんか作ってたらダメ。もっと効率的に、炒めるだけとか、茹でるだけとか、サッと作んなきゃ。子供らや旦那を甘やかすことにもなるしダメ。」(とにかく“ダメ”連発)

それを関係のないお客さんやいろんな人にとにかく言い続けます(笑)
・・それはたぶん母の周りにいる全ての人が私を否定し母の方が正しい、やっぱりすごいと認めるまで・・。

というわけで母の昔からの私に対する言動をいろいろ書きましたが・・
こうやって改めて考えてみると分かって来ることがあります・・。

それは『母はいつでも娘である私より上にいたいのだ』ということです。
・・つまり、母にとっての私は常に母を輝かせるための引き立て役のポジションにいなければならないのです。
褒められるにしても例えば「かん子ちゃんはお母さんのおかげでお店で仕事ができて幸せね。お母さんに感謝よ。」と言われれば母は大満足ですが、「かん子ちゃんは実力があるから1人でも立派にできるわね。」とか言われたらNGです。

自分がいなければこの子はダメ、
娘は小さな頃からずっと自分の子供で、弱く守るべき、躾けるべき存在。
そして、だからこそいつまでも全てが自分よりも下でなければならない。。
・・当然自分と比べて娘の方が肯定されたり評価されたり力を持ったりすることは母にとっては屈辱的で許せないことで、もう気が収まらないといった状態になってしまうのです。

だからシツコイ(笑)
『もういいかげんいいでしょう;』と思ったりしますが、とにかく母は気が済まないことがあると昔から同じことをずっと何度も、繰り返し繰り返し言い続けます。

・・思い返すと母はよく私のことを「執念深い女」と言っていましたが、最近思うのです、、実は執念深いのは私ではなく母の方だったのではないかと(笑)
もう「底意地が悪い」も「男の前で態度を変える」も、全部全部、実は母自身のことなのではないのかと思ったりもするのです。
その自分の嫌な部分を私に投影して嫌悪しているだけなのではないかと・・・。

とにかくもう私はお客さんや周りの人には母の前で私を褒めたりしないで欲しいとお願いしたい(笑)
母からの嫉妬を受けめんどくさいことになるから。

語弊を覚悟で言えば、母は自分の優越感を満たしたり存在意義を見出すため、、すなわち自分に足りていないものを埋めるために、いろんな意味で一番近くにいて自分の好きにできる(と思っている)娘を“利用”してきたのです。
・・そういう意味で娘である私が“必要”だったのです・・。

必要と言えば一見それは“愛情”にも見えたりしますが、全く別のものです。
自分の“不足”を補うために必要な存在、、それを時に人は『かけがえのない存在』だとかのなんか美しい言葉で表現することもあり勘違いしてしまいがちですが・・これは『愛情』ではなく『依存』です。
“かけがえのない存在”である娘に“愛情”だと言って味噌も糞も一緒くたにして全て受け入れさせようとしてしまう・・他でもない“自分のため”に。
これは愛ではありません。
もちろんやってる本人は『全て自分のやっていること(言っていること)は愛情である』と信じているので罪悪感などミジンコもありません。
なので受け取る方も愛情であると思い込むわけです。。
・・そりゃ愛情を一身に受けてるはずなのに苦しくもなるわけです(笑)

本当は・・娘がいなくても一人で輝けるようになることが母の“依存”からの脱出であり、本当の母自身の幸せに繋がるのでは、、なんて思ったりもするのですが、
それはまた母側の課題であり私の関与すべきところからははみ出ていますし、実際何が母の幸せかなんて本当のところは母自身にしかわからないことです。

私ができること、それは私自身のことを頑張ることのみ。
如何なることがあっても巻き込まれず、自分をしっかり持つこと、場合によっては距離を置くこと、つまり“共依存”に陥らないこと。
その上で余裕を持って協力するならすればいい。
これを自分側の課題と自覚してしっかりとやることしかないかなと今では思っているのです。

毒子であることから抜け出そうとしない母は私にとってはいわば反面教師(笑)
傷つくのを恐れ、小さな世界で人に依存し自分を満たすことに必死になって生きるのではなく、
せっかく生きているのだから、大きな世界でいろんなものを見て、受け入れ、その中でも強く強く生きて行けたらと、心から思っている今日この頃の私なのです。

そんなわけで、昔は母の言動の理由がよくわからなく戸惑うことしかできなかった私ですが、『ああ、そうなのか・・。』ということがよくわかるようになった今はもうほんとに良い意味で“どうでもいい”感じになりました(笑)

簡単に言えば母は自分が褒められたい“子供”だっただけなのです。。
母もまた“傷ついた子供”を心に持ったアダルトチルドレン=毒子=毒親。

・・・それだけのことだったんですよね。

ずっと自分が悪いのだと思っていたことも、毒親の心のからくりがわかることで『母側の問題だったのだ』ということに気付きます。
そうすれば私はまた一つ意味のわからない罪悪感や劣等感から解放されるわけです。

そうやって一つ一つ分析していくことで、それまで不思議に思っていたことが何も不思議じゃなくなって行き、同時に毒子である私の心は一つずつ解放されて行くのです。

・・というかこれはなにも毒親問題に限ったことじゃなく、人生においての全てのことに言えるんではないかなと。
『何事も気付けば心が軽くなり楽になるものなんだよな~』・・とシミジミ思ったりするのです。

ちなみに過去言われた酷い言葉とかに対しての恨み・・・というのはありません。
だって・・
自分も含め、人は間違うものですから。

まあ間違いを認めず現在進行形で言って来る場合は噴火ですけどね(笑)
あしからず。

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