63話 母の意地悪

母の行動と言動
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そんなわけでもういっちょ。
先日あった職場での母の子供のような意地悪(笑)を書いてみたいと思います。

と、その前に、私の仕事の勤務時間なのですが、
私は現在(離婚事件後変えて)子供が休みの土日は、仕事を午前中のみということにしてもらっています。
理由は・・
お昼のこともありますが、、やはり小中学生の思春期ともなればいろいろな事情がありまして(機会があれば書きます笑)丸一日子供達から全く目を離して忙しくしてしまうということはしたくないのと・・
その他にも例によって家庭重視の生活がしたいという私の思いもあります。

「私も働いてるんだから!」とか旦那さんにキリキリ威張りながら家事を半分やらせる、なんていう母と同じようなやり方をしたくないのも本心(笑)
実際そういうのが“正しい態度”なんだと思い込んでいた時期は、私もまた母と同じように鬼のような顔をして旦那さんに悪態をついたこともありましたが・・
その時は「俺の半分も稼いでないだろ!」と、たぶん今思えば“売り言葉に買い言葉”的に言葉を返され顔面蒼白になりました(笑)
当時の私はそんな旦那さんの言葉に「モラハラだ!!」と更に腹を立てまくり、
『私は毎日大変な思いをして家事育児を一人で頑張りながら仕事をしているのにこんなことを言われるなんて!一体どんだけ働けっていうの?!!死ぬよ!なんで私ばっかりこんな大変な思いをしなきゃならないの!!』・・と、怒りと悲しみとで絶望の淵に追いやられていました。

・・まあ普段はそんなベタな台詞を吐くような人ではないですから;旦那さんも旦那さんでよっぽど私の敵意剥き出しの態度に憤りを感じていたのでしょう。。
冷静に考えれば結局私が引き出してしまったセリフなのです・・。
今思えばこれぞ“悪い方”の鏡の法則そのものですね・・。

考えてみると当時は生活が始まって子供も生まれたばかりで、旦那さんも家族を養うプレッシャーの中で神経すり減らしてこれまた始めたばかりの自営業を軌道に乗せようと四苦八苦していたわけですから、ストレスを溜めたり不安だったり孤独だったりしたのは私だけではなかったのです・・・。
そんな中で誰にも感謝されず、それどころか家族である私が母と一緒になって「仕事ばっかりで最低の男」だのなんだのとギャーギャー責め立てていたわけですからたまったもんじゃなかったはずです・・。
でも私はそれが全然見えませんでした。
とにかく自分ばっかりが大変で、自分が可哀そうなことしか頭にありませんでした。
本当に心の底から『なんで私ばっかりこんな大変なんだろう!』と嘆いていた日々・・・。

私がもし旦那さんの立場だったらと思うとゾッとします(おい)

そんな反省もあり、今度はちゃんと家族や自分の体のことも考え自分のできる範囲で仕事をすることにしようと決意した私です。
もちろん母も納得したからの私の仕事の継続だったわけですが・・
母にしてみれば別に“快く”納得したわけではなく、
やはり私が辞めることは母にとっても不都合があったため“仕方なく”承諾したことだったんでしょう。。
そんなわけで、前にも書きましたが何かと私に対し気に食わなそうな雰囲気満載で当たりは厳しいです(笑)

・・ちなみに母の理想は、私が離婚して実家に住み、母の代わりに店をバリバリやって、母は引退して孫の世話等の私のサポートをやりつつのんびり暮らす・・というものだったようです。
しかし私が離婚をやめたことでその人生設計は完全に崩れて今の状態です;
しかも途中まで母の設計通りに行きかけての私の心変わり(私の中ではパラダイムシフト笑)、いわゆる母にとっては“裏切り”ですから結果的に母は“自分勝手な娘に振り回された可哀そうな親”という被害者となり、その嘆きと憤りはハンパないものになりました;
そんなで母は例のごとく“裏切者の娘”に対する不満や愚痴を怒りに任せお客さんや周囲に散々吐き出しまくったわけですが・・・
結果私は店では完璧アウェイ、しかもお客さんの間のみならず地元界隈でもう完全に“極悪な娘”という悪評を得ることとなったのでした(苦笑)

・・というか私が言うのもなんですが、、こんなふうに共依存の関係では一方の行動がもう一方の期待に沿えなくなった場合、相手がいわゆる“被害者”になってしまうというということは往々にして起こるのです・・。

まあとにかく共依存のややこしい話はさておき、昔のうんこすぎる私がうんこな考えで人に依存し、起こした行動によって結果人を振り回してしまったことは事実。
もう過去には戻れないので心から詫びるしかありませんが・・
だからといって『ここまでこれで来てしまったんだから償いのためにこれからの人生も捧げる』みたいな共依存的な考えに至るということはもう今の私にはありません。

やはり私は母の一部ではなく、『私』でありたい。
気付いてしまった以上、もう二度と共依存の関係には戻りたくない。
というかあんな苦しい関係には誰ともなりたくありません。
私は完全に間違っていました。
それに気づいたから変わる、それだけです。

まあそうは言っても、私が1人で突然「変わったのだ!」とかぬかしたところで周りが付いて来ないのは当然のことですし(笑)環境を一変でもしない限りはしばらくはいろんな逆風や抵抗勢力に遭うことも覚悟してやっていかなきゃならないのは承知の上ですが(笑)
・・それでも、誰に身勝手と言われようとこれからは生まれ変わって自分自身の人生を生きると決意した私です。
これまで依存し依存させてしまった人達には、、申し訳ないけど「ゴメンナサイ」で進んで行くつもりです。

長年かけて自分が作ってしまった人間関係のしがらみみたいなもんを全部解消するにはやはりそれなりの時間はかかるでしょうし、時にぶった切る勇気が必要になってくることもあるでしょう・・。
それと自分が過去やっちまったことの挽回も含めていろいろ覚悟の上今後軌道修正頑張っていこうと思っている次第です(笑)

そんなわけで全体の問題はまだまだ解決したとは言えない不安定な状態でやっている店なので、いろんなゴタゴタは起こって当然といった感じなのですが・・・

そんな店での先日の土曜日の出来事を一つ書きます(笑)

12月の下旬。年末近くなって来た頃です。
時期的なこともあってやけにお客さんが来るなぁとは思っていたのですが・・
店は完全予約制なのでお客さんの入り具合等は何日か前にはわかっていますし、調整もきくので私はいつも通り午前中のお客さんが終わったら帰宅しようと思っていました。
土曜日には帰ったら昼ご飯を用意し、家の大掃除をすることにしています。
特にその日は娘と一緒に買い物に行く約束もしてありました。

ところが、帰る頃になって母が突然
「今日は帰られちゃ困るよ。」と。

「子供達のご飯はお父さんに頼んで何か買って持って行ってもらえばいい。忙しいからお昼に一旦外出させるわけにもいかないよ。」

それを聞いて私は思わず言い返しました。

「え、今?!そんなこと一言も聞いてないけど?!」

予約表は小さな手帳で、母が常にバッグに入れて持ち歩いているので私にはなかなか確認はできません。
私に店を任せてどこかへ出かける時にも持って行ってしまうので予約を入れる時にはいちいち母に確認の電話を入れなければならないという形。
さすがにやりづらいにも程があるので予定を共有できるソフトがあることとか、紙に書いて貼っておくとかいろんな提案はしたのですが一切受け入れず(笑)
結局母が小さな手帳を持ち歩くというやり方は変わらず;
私にとっては非常に把握しにくくやりづらい状況が続いているというわけです・・。

そんな中で突然の勤務時間の変更。

「事前にいくらでも言うことができたはずなのになんで言葉で伝えてくれないの?」

前にも何度かそういうことがあって、早めに言って欲しい旨を伝えていたこともあり私もつい意見しました。
・・ですが私のその偉そうな口調に相当頭に来たのでしょう(笑)
母はカンカンになって怒り始めました。

「ええ??何言ってんのこの子は?仕事なんだよ!!忙しい時期くらいわかるがね!!午前中で帰れないの当たり前でしょう?!あー、あー、わかったよ!あんたがそういうんなら私にも考えがある!金稼ぐってのはね、そんな甘いもんじゃないんだよ!!!」

「ちょ、誰もやらないって言ってないでしょう?でも私にも計画があるんだから事前に伝えてもらわないと困る。これからは言ってもらわないと・・」

母、更に噴火です(笑)
もう話にもならずですが、仕事は仕事だしお客さんも入っているのでなんとかこなして帰宅。
娘には謝って、一通り急いで家事等こなしその日は無事終わりました。

そして一週間後の土曜日。
またお客さんが午前午後と、二人でないとこなせない人数入っているではありませんか(笑)
・・しかも今度は母は何も言わずです。
完全無視を決め込んで、すまし顔でわざとそれに触れません・・。

そして午後になり、気付いた馴染みのお客さんが
「あれ?かん子ちゃん午前中で帰るんだよね?」と声をかけてくれたのですが、
母はそこに割って入ると
「ああ、だいじょうぶ。この子3時までだから。」

お客さん「あら・・そうだったんだ?私てっきりかん子ちゃん午前中で帰るのかと(笑)」

おいおい。
またお客さんの手前何も言えない状況でのこのやり方・・
あまりにも子供じみた“意地悪”(笑)

一週間前に私が言った
「事前に伝えて」の言葉が相当気に食わなかったのでしょう(笑)
まさか今度は完全に教えない方向で決め込むとは;
・・しかもこれからずっと土日半日では帰さないぞということで、そういうやり方に変えるということなのでしょうか・・。
母はそれについては「話なんかしたくない。」の一点張りで絶対に話し合いをしようとはしません。

・・今ではこのような母とのやり取りは“おかしな”コミュニケーションだということは分かります。
というか全くコミュニケーションになっていないと思います(笑)

ですが、こんなふうに母の機嫌一つで生活を変えられてしまうというのはずっと子供の頃から私の中では当たり前のことでした。

『ああ、だから私は母に意見するのが恐ろしかったんだ・・。』と改めて思った次第。

だけど私はこの店にいる以上はこれからはちゃんと自分の頭で考え、戦っていかねばなりません(笑)
自分の生活を全部母の気分にゆだね、流されて行くわけにはいきません。
もうそういうのはやめると決めたのです。

それには私側のあらゆることへの覚悟も要ります。
必要ならば辞める覚悟はいつでも持っていなければなりません。
いつまでも店にしがみついている理由もよく考えればないのです。

「店を譲る」と言い続け、いつになっても譲る素振りを見せない母。
旦那さんがいつか言った通り、母は悪意がなくとも無意識に人をコントロールしようとする人です。
何をどうすれば人を依存させ動かせるのかを本能的に知っています。
でもここに居るなら私側がそれらのこと全部を承知の上でいろんなことに対応していかねばなりません。
「言われた通りにしないと辞めさせるからね。」と言われそれを受け入れられなかったら、依存心を捨て「では辞めさせて頂きます。」と言えばいいだけの話です。

依存心があれば人に振り回されるのは当然なのです。
逆に言えば振り回されるのは自分自身の中に依存心があるからなのです・・。

考えてみれば離婚すると決めて仕事を再開した時に、
『店を譲ってもらって自分でやれば、どこかへパートに出るよりも稼げるようになる。私1人で子供達を養っていくには店をもらってやった方がいい。』という私の甘えた依存心満載の打算があったことは確かなんですよね。
まあ、今でも多少自由が利くという打算ありきの選択ですが、今はその打算も自覚して選択しています。

とにかく『依存心を捨て、全てを主体的に覚悟を持って』
この意識を絶対に忘れないよう何度も心の中で唱えながらこれからの人生のいろんなことに対処し、頑張って行きたいと思っているかん子なのであります。

・・・それにしても嫌がらせがやけに子供じみているなと;改めて考えると笑ってしまった今日この頃(笑)

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