62話 母との会話とトラウマ

母の行動と言動
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『ここに居ることは自分で選んでいること。自己責任。』

覚醒かん子はどこにいる時でも(嫌な場所に居る時でも)その心構えを忘れないようにしています。
逆に言えば“自分で選んでいる”と言えない場所には居ません。

時に我儘かもしれませんが、それが覚醒かん子の“美学”です(笑)

しかし・・そんな覚悟を決めた中でもあからさまな意地悪をされたりだとか理不尽な言葉を浴びせられたりだとかすればやっぱりカチンと来るものです(笑)
というかカチンと来るのが悪いことだとは今は思っていません。
ヘタレはヘタレですが、以前と違って“ダメな自分”を責めることはなくなりました(笑)
だって『神』じゃないもの・・てかかん子に於いては40過ぎて自我に目覚めたまだまだ生まれたてのうんこだもの(キリッ)

ということで・・そんなに立派な人間ではないことは自覚しているので、頭に来たことは封じ込めずに吐き出して、
更にそこで終わらず反省し学びに変える方向で行くことにしている今日この頃です。

ええ、そう考えれば毎日が学び。あらゆることが学び。無駄なことなど何もありません(笑)
そうやって少しずつ成長して神に近づく・・もとい、大人になるしかないじゃん。と。

えーと、そんなかん子が職場で日々浴びせられている母のムッとする言葉の数々を、気が向いたら(ストレス発散も兼ねて)たまに書いて行こうと思った次第なのですが、、

早速、これは先日の話です。
お客さんが一段落してホッと一息休憩を入れている時にこんなことを言われまくりました(笑)
(もはやその殆どが仕事とは無関係な事ですが)

「あんたはもっと旅行とかいろんなとこに行かないと世界が広がらなくてダメだよ。休みの日に家にいたいなんてほんとに考えられない。だいたい家で何やってるん?何にもやることもないさ。暇なくせに。」

「自分の体は自分で健康になるように努力しないとダメ。あんたもあたしと同じようにヨガ行きなさい。○○だったら火曜日やってるから。ヨガやらないとダメだよ。」

「全くあんたは本なんかばっかり好きで暗くってやだーん。昔からそう。Tちゃん(私の娘)とかも同じになっちゃうから。親のことはよーく見てるんだから。あたしゃそういうの大嫌いだ。昔友達にもそういう子がいて、結局家にいてどっこへも行かないで鬱になって死んじゃったがね。Tちゃんが最近よく調子悪くなってるのも、あんたのそういう態度とかを見てて同じようになっちゃうんじゃないんけ?ちゃんとしないとだめだよ。よーく考えな。子供のこと思うなら。子供が可哀想だよほんとに。」

「旦那にもっと家事やらせないとダメ。昼夜逆転した生活なんてさせるんじゃないよ。昼間やることが何にもできないがね。そんなんじゃなんの役にもたちゃしない。家庭なんて女が牛耳れなくっちゃどうしょもないんだよ。情けない。」

「下の子(男)は集中力がなさすぎるんじゃない?字は下手だし。ちょっと普通じゃない。病気かもしんないよ。一回そういう専門の病院に連れて行った方がいい。ちゃんとやってやんなきゃ可哀そうなんだからね!」

・・等々。

こんな感じが、母が毎日シャワーのように私に浴びせてくる言葉の数々のほんの一部です。
特に店が暇になったりするとこのような母の説教(?)は延々と始まり止まりません。

まあ、お客さんがいない時ならあまりにもムッと来た時言い返せたりとか嫌な顔ができたりもしますが(笑)
お客さんの前でこれをやられた日にゃ~もうぐっと我慢して笑っているしかありません。
正直辛い。

とにかく母は息を吐くように、会話の流れでもなんでもなく思い付いたタイミングでこんなふうなことを私に喋り続けます。
多分何の悪気もなければ何も深くは考えていません。
“よかれ”と思ったこと・・というよりもただ“思った”ことを喋っているだけのような気もします・・。

なので私も“合いの手”でも打つくらいの余裕を持って右から左へと聞き流せばすむことなのはわかっているのですが・・
どうしても未熟者なもんで感情がピリッと来てしまうわけです。
いや実際はピリッとどころか噴火です(笑)

・・まあ、長年のいろんな複雑な背景があります・・。
それがあるがゆえの、それに長年気付かず来てしまった自分への憤りも含めての噴火なんだってことは重々自覚しています(笑)
だから他の誰に同じことを言われてもたぶん・・何とも思わないんじゃないかな。とも。

そう、母にとっては“何気ない”言葉。
ただ気分で発している言葉。
・・でも長年の間、私にとってこの“母の言葉”は何よりも特別で強大な力を持っていました。
そしてずっと私を“支配”し続けて来ました。。
常に母の言葉が“絶対”で、言われた通りにしなければならないと思い込んできた私にとっては、母に『性格や生活を変えろ』と言われることは長い間大変なプレッシャーでありました。。
とにかく言われたことを『やらなきゃ』という気持ちでこなしたり、出来なければそんな自分を責めたり、無責任に吐き出された母の言葉に振り回されて走り回って忙しさと金欠で苦しんできた過去(笑)

考えてみたらなんてアホらしい・・・。
・・でも私はこれらを子供の頃から普通だと思ってきたんですよね・・。

そうやって当たり前に来てしまった自分、
それだけ弱い立場だったっちゃ~そうかもしれませんが、当たり前だと思ってそれ以上何も考えなかったがゆえに母にも当たり前だと思わせてしまっていたというのは事実・・。
『それでいいものなんだ』と思わせてしまっていたのは自分なんですよね・・・。

そんな過去があっての噴火なんですが・・
なにせ長年ずっとそれできてしまったもんですから今となっては私が俄かに何を訴え出したところで母は「そうだったのか!」と理解してくれる・・なんてことはあるわけもなく(笑)
それどころか「この歳になってもう自分のやり方の何も変える気はない。私は頑張って来たんだから何も間違ってない。親に向かって偉そうに意見するなんて恐ろしい子!」とまた説教が始まる始末。
“かん子の言葉を受け入れない人間”としてすっかり固まってしまったのでしょう。
元からの母の頑固な性格もあるんでしょうが、もはやここまで来てしまったら関係性的には手遅れ状態といったところですね(笑)

・・そう考えると“考えない”ということは人間関係に於いてほんとうに良くない負のスパイラルを作り出すんだなと。
思考停止は何においても一番良くないと、改めて考えさせられるのです。
というわけで、もし本気で親子関係を良くして行きたいと思っている方がいるとするならば早め早めの気付きと改善をお勧めします。(できれば40過ぎとかじゃなく思春期らへんで(爆))

・・まあまじめな話、前頭葉が縮み始まる年代になってきた人と若い人をいつまでも全く同じに考えるのは現実的に考えて無理はあります・・。
よく「何事もいつからでも遅いことはない!」なんて言う人はいますが、私は母の言う「この歳になって」という言葉も一理あると思っています(笑)
それでもどうしても美しい親子の物語が欲しいなら『鏡の法則』という心理作戦で相手から欲しい言葉をもらったり自分に対する行動なんかを変えてもらう手もあるのでしょうが・・個人的にそういう嘘くさい方法(失敬)は好きではありません(笑)

とにかく・・私が母との関係で“今、自分が納得してできること”があるとするなら、それは受け取り側がどうであれ“私側で一応伝えるべきことを全部伝える”ということ、そしてその結果返ってきた“変えられないもの”を受け入れ、母に対するいろんな執着を捨てる(良い意味で諦める)ことくらいかな・・と。
というかそれが私にとっての、これからの自分の人生の貴重な時間を無駄にしないための一番の得策なんじゃないかなと(笑)いろいろ勉強した結果今は本気でそう考えている私なのであります。

と、まあそんなふうな母との関係はさて置き、とにかく私自身はこのわけのわかんない長年の心の呪縛の苦しみから、ただ『気づく』ことでふっと抜け出せたのだから、
ほんとに『疑ってみること』と『考えること』そして『気づくこと』って大事だよなとつくづく思います・・。

そら抜け出せたと言っても後遺症はありますけどね(笑)
40年以上もの長い間それで来てしまったんだから・・。
それで染み付いてしまった考え方やら生き方を変えるのって本当大変。
いまだに母には得体の知れない恐怖を感じるし(爆)
まあ、それを心の癖・・“トラウマ”とか言うのでしょうが・・
油断するとすぐに昔の思考に引き戻されて感情的になってしまったりとか、今でもしょっちゅうです。

だからじっくりゆっくり自分と向き合う時間を、今は大切にしています。
軌道修正はほんとにちょっとずつ。
なかなか前へ進まなくても、それでも根気強く。諦めず。
一歩進んで二歩下がる。
ローマは一日にして成らず(笑)

・・とにかくちょっとずつでも前進していけば、いつかきっと『気付いたらうんこを脱していた』、なんて時が来るんじゃないかとも思うので・・
“脱・毒子”を念頭に、焦らず気長にうんこな自分と付き合っていく所存です。

ということで、それまでは愚痴を言い続けますがご容赦ください(笑)

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