61話 母との職場

徒然
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と、いうことで、生活の方は一件落着したものの、仕事の方は母の店で相変わらず働き続けている私。
と言っても、今は何かと子育て家事等が忙しく、火曜定休の毎日午後3~4時までという契約(?)で一日6~7時間程度しか働いてませんが。

帰宅してからはFXのデイトレードをしながら掃除、洗濯、ご飯、子供の部活のこと、塾の送り迎え等・・いろんなことをこなしています。

旦那さんは夕方起きてきて夜に仕事をするスタイル。
自営で何かと書き物も多く、夜の方が落ち着くとかなんとか?
まあ、やりやすいスタイルでやった方が仕事もはかどるんだと思います。
私もお陰様で朝等は一人でゆっくりする時間が持てて気が楽で助かります(笑)
1人の時間てけっこう大事よね(と思うのは私だけ?)

そんな私で自分的には平和にやっているのですが・・
母はずっと不満を溜めたままです(笑)

話は遡りますが、実は私が離婚事件を起こす前に、65も過ぎた母は自分の引退と私に店を継がせることを考えて店を改築したのです。(簡易ですが)
外壁を塗り替えたのと、内装の壁や床、椅子などを新しいものに変え、ごちゃっと溜まっていた粗大ゴミなんかを捨てて綺麗にしました。

母の計画では、店のお客さんは徐々に私に任せて、自分はもうほぼ隠居的な立ち位置で掃除や洗濯等ちょっとしたことをやりながらお客さんと喋りに来る・・みたいなイメージだったようです。
出勤も毎日ではなく、出られる好きな時に来て、暇な時は旅行等に行きまくる・・といったことを話していました(笑)

とにかく母の大事な店を母の代わりに娘である私が守ることで、母はこれまで頑張ってきた分これからの老後の人生を自由に楽しんで生きる、みたいに考えていたのだと思います。

ちなみに最近分かってきたことなのですが・・
私は『店を継がせる』という母の言葉を『私に店を譲る』という意味だとばかり思って受け取っていたのですが、
どうやら私の取り違い?勘違い?だったようで、母的には経営権を譲る気持ちはなかったようです(爆)
つまり母が経営者のまま私を雇う形で、私はこれからもずっと母から給料をもらい続けてやっていくということです。
なので普通に考えて母が仕事をしなくなれば私の稼ぎ出さなければならないお金は母の分プラス自分の給料分の2人分ということになります。
まあ若い(といっても40過ぎ)私がこれから店の中心となってもっともっといろんな新しいことを取り入れたりして頑張ることでお客さんも以前(バブルの頃)のようにたくさん戻って来るだろうと、母の中ではそういう計画だったようです・・。

そしてそのようになるのが母の理想で、自分にとっても娘にとってもベストな形だ・・と、母は思っていたようでした。

・・・ところが母にとっての大きな誤算があり、どうにも思った通りではないというのが今現在の状態であり母の大きな悩みになっているのです。

原因はもちろん私です(笑)
というのも・・
はっきり言って私はそこまで仕事ばかりをやる気がありません(笑)

正直、今現在子供の教育費の足しにと仕事を続けている私ではありますが、
例によって特に自分の“夢”が美容業というわけでもなかった私には、そこまで・・他のたくさんのものを犠牲にしてまで仕事に全力を尽くす生き方をしていく気持ちがないのです。
ましてやこれから母と2人分の給料を一人でバリバリ稼ぎ出すなんて、そんな働き方をしていくつもりが全くありません。

だからもし母の希望を叶えようとするならば、店販を増やすとか価格を上げるとか若い子を雇うとかの別の方法を考えねばならないことになってきます。(実はそこらへんは私の旦那さんがコンサルの仕事をやっているのもあり相談できるという強みがあります)
もしくは・・『店を守る』ということだけ優先してもらって母には引退と同時に完全に店を受け渡してもらい収入を諦めてもらうか・・そんなの冗談じゃない!というなら(笑)まあ、母の店なので条件をのめない私が辞めるしかないでしょう・・。

・・そんな感じで幾つか案はありますが、私の考えるものはそのどれもが母の望みではありません。(特に私の旦那さんが口を出すことは一番NGとのこと;)

とにかくこれらの仕事に対する気持ち等は私がずっと母に伝えて来たことですが・・
母はそんな私の“甘っちょろいわがままな考え”を認めようとず、どうにか私を改心させ、母の“正しく立派な”考えに迎合させようと必死なのでした。

まあ、私の考えも『ゆとり』みたいだと言われればそうなのかもしれません(笑)
特に戦後頑張ってきた人達にとっては相当『甘い』のでしょう・・。
でも・・それでも私としては、シングルマザーを選ぶならまた違うのでしょうが、今は幸い旦那さんが頑張って稼いでくれているのもあり、家庭のことをないがしろにしたくないというのが本当の本当の本心なのです。
旦那さんにやりやすい環境で仕事をやってもらうためにも、子供達が平和に過ごすためにも、なによりそこで暮らす自分のためにも、そして全体的にハッピーな家庭のためにも、です。
家をきれいにして、健康を考えたご飯を作って、家族みんなが毎日健やかに過ごせるように家を守っていきたい、
子供とも、彼らが自立するまでの短い期間、今しかないこの貴重な期間にちゃんと関わって行きたいと、それが私の『幸せ』であると本当に心の底から思っているのです・・。

と、そんな思いが強い私・・
そのために、私が仕事で忙し過ぎたりしたらイカンのです(笑)
そういう『理由』があっての考えです。
どんなヘタレと言われようとも。

それと・・・正直それだけではないところもあります。。

幼い頃からずっと、仕事中心で家庭というものがすっかり視界から外れてしまっていた母を見ながらいろんなことを思って来た私です・・。
そんな私にとってはいつの間にか、母と同じような“家庭を持ちながら仕事最優先の生活をする”という選択が、たぶん一番避けたい選択になっていたのかもしれません。
小さい頃のいろいろな苦い思い出が脳裏を過る度に、私の中に『自分の子供には同じような思いをさせたくない。』という強い気持ちが涌き起こっていました。
そして私自身も『母と同じような生き方をしたくない。』とどこかでずっと思っていました・・。

母はずっとずっと、「辛い」「疲れた」「お前らのために死に物狂いでやってる」「やりたくてやってると思われたら困る」「死んじゃうかもしれない」・・と不満や恨み辛みを言い続けながらがむしゃらに働いていました。
いつも不機嫌を振り撒き、ものすごい夫婦喧嘩を繰り返し、家庭は“安らぎの場”からは程遠い状態。
母にできない部分はお金を払っておばあちゃんや妹など周りの人に頼んだりして補ってはいましたが、それでもそんな殺伐とした家庭環境で子供が寂しく辛い思いをしていたのは事実です。
というか何より、そうまでして自分の好きな生き方(美容師)を選んでいるはずの母自身が少しも幸せでないというその状況は私にとってはどうしても合点が行かない事でもありました・・。

がむしゃらに働いていることは『偉い』と表現するべきなのかもしれません・・
・・だけどそれにしても一体、この状態はなんなのだろう?と。

なんのためにやっているのか・・・?
母は常に「お金のためだ!」と言っていましたが、、
でも、そうして得たお金で何をするのかと言えば、外食したり旅行に行ったり、何着も服を買ったり宝石を買ったり車を買ったり家や店を建て直したり・・はたまた子供が必要と思っていない大学に行かせるためのお金に使ったり・・
そこまでいろんなものを犠牲にして必死になって得たお金を有効活用しているとは・・どうしても思えない私がいました。

私はいつも思っていました。
『一体誰が幸せになっているんだろう?・・将来のためだとしても、ならいつ、誰が幸せになるんだろう?』
私も幸せじゃないし、母もずっとずっと、苦しそうじゃないか・・
一体何がどうなったら『幸せ』だというのか。。
もしかして母が目指しているのは『幸せ』じゃないのではないか?

いつでも不満に満ちて不幸な顔で、愚痴を言い続けて生きている母。
それなのに私にそれと同じように生きろと言う・・
どうしてだろう??
この状態が母の理想形なんだろうか??
『幸せ』が人生の正解だと思っていて常に幸せになりたいと思っている私にとって、
母の生き方が『正解』だとはどうしてもどうしても思えませんでした・・。

お金は大切、でも全てだとは思えない私・・
いつもいつも母が手に入れようとしているものに対して『本当にそれは必要なのか』『そんなものいらないから、もう少し平和な日常が欲しい』と・・ずっと思っていた私には、やはりどうにしても母と同じように生きたいなどという気持ちになることは無理なのでした。

と、長くなりましたが(笑)そんないろんな私側の理由もあり、詰まるところ私の仕事に対する思いなどが母の理想としていたもの(母の計画)と全く違っているために、“かん子”ありきで人生設計を立てていた母にしてみればなかなか思い通りに行かない“袋小路状態”になってしまっているということなのです・・。
まあ、私が離婚して実家に居候することになったあの状態であれば母の言った通りにするしか道はなかったのかもしれませんが、なんせ最終的に言う事を聞かず戻ってしまいましたし(苦笑)

とにかく、私がもっともっとやる気を出して母の思うようなバリバリ働く人間になれば母もいろんな意味で楽になり安心して店を任せて遊んでいられるというのに、どうにもそれが出来ない状態からいつになっても抜け出せないという・・・。
この状況が母にとっての最大の『悩み』になってしまったというわけです(笑)

・・まあ、例えそういう状況になったとして何かと理由をつけて大好きな『店』から離れられない状況にいたいのが母の隠れた本音なんじゃないかとは思いますが(笑)(しかもなぜか“しょうがなくやっている”体で)
今はすっかり私のせいで仕事が辞められないことをお客さんに嘆きまくる毎日です。
「どうしてこんな歳になってまで働かなきゃなんないんだろ!」
「早く仕事辞めて遊びたい!」
「娘がみしみないから!」(母の口癖ですが“みしみない”の意味はわかりません)

まあそんな常に本心がどこにあるのかわからない複雑怪奇な『母劇場』は置いておいて・・
どうにしてもとにかくそこらへんの意識の不一致も今後無くなることはないだろうと考えると、
どういう形であれ、仕事に関して“袂を分かつ”時が来るのはそう遠くはなのかもな・・なんて思っている私ですが・・
まあ、前に書いた通り今は再開して日が浅いというのといろんな大人の事情等があって状況を変えずにやっている状態です。
そのうち展開があったら書くかもしれません(笑)

とりあえず子供達の状況変化も著しい今は、落ち着いて長期目線も持ちつつ目の前にある課題を一生懸命にやろうかなと。
私としてはそんな心構えで日々の仕事をこなしている感じです。
そりゃこの先どう転ぶかはわかりませんが、どう転んだとしても広い視野で見ればどうにでもできることなので私的には問題ナッスィング。

しかし、大枠で考えて問題ないとは思っていますが・・・
日々の愚痴はあります(笑)
そもそも母が私に対してものすごい不満を募らせているのだから不穏は当然なのかもしれませんが(笑)
私だって反射的にムッとすることや、涌いて来た怒りみたいなもんを鎮静させるまでに時間がかかったりだとか・・
普通にあります。
まあ・・・人間だもの(しかもうんこ寄り)

全ては“自己責任”。
母に関しては近い距離にいることを“今”選択しているのは私。
だからしゃーない。
仕事を辞める選択はいつでもできる。だけどどこへ行っても何かしら問題はあるもの。
何かがあったとしても状況を変えるかどうかというのはまた別の問題であって、その場の感情に振り回されて決めることじゃない。
何かがあっても状況を変えないのなら愚痴が出るのも当たり前(笑)
よってその場所に居ると決めたなら健全な愚痴でガス抜きは不可欠。うん。

最近はそんなふうに思って瞑想とかしつつやってますが・・
それでもカチンとくる母の私への“境界線”を無視した態度やら言葉・・
これらを次にちょっと書いてみようと思います(笑)
・・考えると共依存の要素を持った人の典型的な言動の数々なのかなぁ~なんて思ったりもするので。

まあ、本当はずっと苦しみ続けている母には本当の意味で『幸せ』になって欲しいとも願っている私ではあります・・(「困らせている張本人が何言ってる」とかいう方向で罵倒されそうなので本人には言いませんが(笑))

真面目な話・・母のことは母自身の課題であります。
娘を変えることで幸せになれると思い悩むことではなく、私がどんなアホ娘であれ、というか私がいなくなっても関係なく母には自分自身で幸せになって欲しいと願っているのです・・。

だって、私が一つ母の思い通りにしたところで、また次の思い通りにならない悩みが出てくるだけだよって(笑)
・・私は母とは違う人間なのだから。
そしてもう私は、母の言った通りの人生を送ることをやめたのだから。

ということで、申し訳ない気持ちもありつつ私は私の幸せの道を頑張って進みます(笑)

したたかに・・・もとい、しなやかに。

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