60話 問題を直視して乗り越えること

徒然
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先日近所にス〇ローができたので、息子と行ってみました。
意外に美味しい。

最近の私は、子供らとフラフラしたり家族で映画を観に行ったり、そんななんでもない日常がとても幸せで『続けばいいなぁ』としみじみ思ったりしています。

でも物事ってどんどん移り変わっていくんですよね・・。
変わり続け、それを受け入れ、対応して生きて行く・・・
それが人間の、自然な生き方・・・。

変化に弱い私は人生というものがけっこうしんどかったりします(笑)
何かが変わるごとに憔悴して、対応するまでにものすごい労力を使って、やっと慣れたと思うとまた変化がやって来る・・・
そんなことの繰り返し。

だけど最近やっと気づいた気がします・・
これの繰り返しでたぶん人生は終わりまで続くんだなと。
「これでゴール!『幸せ』というものに到達した!」
・・なんてことはないんだと(笑)
そんなで続いてく未来をなんとなく想像すると・・
なんか、人生って長距離走だったんだな・・と、今ごろ気づいたような気がします。

たぶん生きている限り、どんなことを選んでも何をクリアしても問題はあって、
だとしたら、その問題一つ一つを完璧にクリアしてからじゃないと次へ進めないと毎回全速力で挑んで苦しみ続けるようなことするよりかは、もっと身を任せるような、楽なやり方で人生の不都合や困難とうまく付き合って生きていけたらいいんじゃないかな・・と、なんとなく考えたり。

とはいえ、必死に乗り越えなきゃならない壁にぶちあたることもあります。
逃げちゃいけない時もある。
でも、いつも、どんな事でもそうなわけじゃない。
その時々でいろいろ。
そう、ほんといろいろなんだよなぁ・・。

だから・・全てをクリアにする必要もないのかもなぁと・・。
『ここぞ』という時以外は、挫折したり投げ出したりもいいのかなと思うようになったというか。
でも『ここぞ』をちゃんと見極める目は持たなきゃアカンよなとも思ったり(笑)

今思い返してみて、一度離婚したことについてはやはり私にとっては必要なことだったと思っています。
意地ではなくて(笑)

周りのいろんな人に迷惑をかけたのは良い事じゃないけれど、それでも、
やっぱりあそこは、自分の中に存在した問題を我慢したり目を逸らしたりごまかしたりしちゃいけないところだったと思うのです。
戦うべきところで戦ったから(主に自分と(笑))自分の中で決着がついて今があるのだと。

感情を出すところで出し、その結果返って来たものをちゃんと受け止めて乗り越えるべき壁を乗り越えたんだから、やはり私にとってはベターな選択だったんだと・・いろいろ考えても、今はそう思います。
・・ザックリ言ってしまえば、アダルトチルドレン故にそれができないで来てしまったからあんな状況になってたわけだから・・・。

しかしどっぷりアダルトチルドレンな私になぜ急に正常な感覚(怒り)や人として当たり前の主張やそれをする勇気が芽生えてきたのかは・・・
『機が熟したから』とか、『苦しみが限界に達したから』とか・・考えればいろんな理由はあるけれど、
もしかして、一番大きいのは心許せる友達との会話があったことなのかなぁ、、?なんて思えてきたりもするのです・・・。
たぶん・・私1人で、1人の中の小さな世界でぐるぐる考えているだけだったら永遠に何も気づけないままだったんじゃないかと・・。
そんな風に考えると、素晴らしい友達がいることの“奇跡”にも感謝が涌いて来たり。

とにかく、ここ数年の出来事は私の人生で最大の必要不可欠な乗り越えるべき課題だったかなと今では思っています。

これを死に物狂いで乗り越えたのだから、後はそれで得られた気付き、平和や幸せ、正直な感覚をちゃんと感じて地道に生きたいなと・・・(そらいろいろあるけど)
これからはその土台の上に建設的な悩みと夢を持って生きていきたいなと思うのであります。

あと何年かすれば子供も自立して巣立っていきます、
親も老いていつか亡くなり、
その他にもこれからの人生いろんな変化がある・・・
でもそれらは自然な変化。
何1つ、変わらないものなんてないのです。
自分の命もいつか終わります。

・・全てを受け入れて、自然に、進んで行こう・・。
変えられないものと変えられるものを見極めて、
1つ1つ、できる範囲で精一杯。

変わり続けて行く中で、毎日そこにある風景を楽しみながら。

そんな風に思っている今日この頃のかん子であります。

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