“共依存”という言葉をよく聞きますが、
共依存とは何かというと・・
『自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存しており、その人間関係に囚われている状態』
簡単に言えばこんな感じです。
『毒親』がその子供と築く関係は、この『共依存』の一例です。
自分に対する評価が低過ぎる(自信がない)ために、他者に認められることでしか自分の存在意義を見出せない人。
そういう人が他者に認めてもらうために自己犠牲をして献身的に相手に尽くしたりする。(その相手は子供であったりパートナーであったり様々)
これは一見、献身的に人に尽くす愛情深い人にも見えますが(貢ぐ女とかDVに耐える女とか)、実は相手のことを本当に思ってのことではなくて“自分が認められるため”、“見捨てられないため”、“一人になるのが不安で寂しいから”、、といった隠れた“自分のため”の気持ちから行動をしているという場合がほとんどです。
つまり結局は大変な思いをしてやっているものの考えているのは“自分のこと”なので、やっていることが相手にとって行きすぎた行為だったり不適切だったりと何かととんちんかんなものになってしまい、結果尽くされている側も不満が溜まっていったりという“誰得”な状態に。
しかもぶっちゃけ自分に欠けているもの(評価されたり必要とされたい欲求)を埋めるために相手を“利用している”ということなので、どんな悪循環になってもその相手から離れられなくなるという事態に陥ります。
相手から思い通りのものが返ってこなければ苦しみ続けることになりますが、
もちろん他者からは思い通りのものが返ってくるはずはないので苦しみが終わることはありません。
それでも『努力は報われる』などの都合の良いものを信じ更に自己犠牲をして、ひた向きに耐え、頑張り続け、相手に執着してしがみつき離れられない・・
離れたら一人になる(=自分の存在意義が失われる)という底知れぬ恐怖と戦いながら。
そうやって決して手に入らないもののために自分を犠牲にしてもがき苦しみ続けるループ・・・。
この最悪ともいえる関係。
分かりやすく言えばこれが恐怖の『共依存』という関係です。
この関係を築きに行ってしまう要素が『毒』であると、私は思っています(笑)
この要素を持っているのが毒子。
毒子は誰とでもそういう関係を築こうとしてしまうので、親になれば当然子供ともそういう関係を築こうとする『毒親』になります。
心の奥底で、子供や周りに感謝され労われ敬われ自分の存在意義を見出したいがため、はたまた“理想の自分”であることの安心感を持つために、自分本位に動き結果的に子供を“利用”してしまうのです。
もちろん本人に自覚なんてありません。
ただただ、『愛情』からの行為と信じています。
・・しかし「やってやってる」という言葉の裏には、『だからそれに見合った評価や感謝等の見返りを自分が受け取るのは当然だ』という気持ちが隠されているものです。
親とそういう関係で育った子供は、親に振り回されることで結果的に自分の意志を奪われ、『自立』することを阻まれ、自尊心を失くし、つまり『毒』を持ち、それが常識となります。
そうやって連鎖は続きます。
とても恐ろしいことです・・。
だからこそその連鎖を自分の代で断ち切ること、この意識が一番大切だと私は思っているのです。
ちなみに共依存の特徴として5つ、
恋愛依存の研究をしているピア・メロディー氏の説明を抜粋します。
1、自尊心(自己愛)の障害…自尊心がとても低く、誰かの評価がなければ安心できない。
2、自己保護の障害…自分と他人の境界線が曖昧。そのため、他者に侵入したり他者の侵入を許したりする。
3、自己同一性の障害…現状をそのまま受け止めず、自分に都合の良い解釈など間違った現状認識をする(自分のそのままの姿を受け入れれることができずに理想の自分を追い求めたりする)。
4、自己ケアの障害…自己の欲求を適切に他者に伝えられない。嫌われるのが怖くて自分の欲求をいつも後回しにする。自分の意志がなく言いなりになる。または逆に全く人に頼れない。
5、自己表現の障害…自分の年令や立場に見合った適度な自己表現ができない。自己の現実に沿って振舞えない(完全なアルコール依存なのに「自分は違うから治療する必要はない」とか)。セルフコントロールが難しい(自分の衝動や欲求を抑えることができなかったり、我慢して抑えすぎたりする)。
まさにかん子のことを説明しているのかと思いました(笑)
“こんなに苦しいのに”、なぜか気が付くといつも母の元に舞い戻ってしまっていたかん子。
嫌なのにどうしてもいつも誰かの言いなりになってしまっていたかん子。
自分ではわけがわからなく苦しみ続けてきたけれど、
・・これらの理由も『共依存』を考えれば見えてきます。
『毒親』とは、共依存の関係を作る性質(毒)を持ち、それを子供に植え付けてしまう親のことです。
・・こう考えると、例えば殴る蹴るの暴力を振るったりだとかアルコール依存症だったりだとかの、誰が見ても明らかに分かる酷い親だけが『毒親』なのではないということになります。
例え外側から見えなくても、例えば過干渉や支配や暴言等で子供の心を深く傷つけて毒を植え付けてしまっている親は実はたくさんいるのではないかと私は思っています。
しかもそういう“隠れた毒親”の場合は、もしかしたら外から見えない分気付きにくく子供が一人で抱え込み孤独に陥るという点では、あからさまな毒親の場合よりも厄介なのかもしれないとすら思ったり・・・。
連鎖を断ち切るにはまず“気付く”ことが第一歩。
『自分は何かおかしい』と思っていたらやはり自分を探ってみることは大事かと思います。
毒親、根深い。
毒親問題を『共依存』の視点から考えてみました(笑)