私が子供の頃、母は私の言葉を全てと言っていい程に奪ってしまう人でした。
例えば私が誰かに何かを質問されると、私よりも先に必ず母が答えてしまうのです。
特にそれが顕著だったのはお医者さんにかかる時でした。
お医者さんは必ず症状を訊いてきます。
「今日はどうしたの?」
そうするとすかさず横にいる母が答えます。
「咳が出るそうなんですよ。」
お医者さんは更に訊きます。
「喉は痛くないの?」
するとまた母が答えます。・・
「えーと、喉はそんなにたぶん痛くないと思います。うーん、どうだろ・・」
さすがにイラっときたお医者さんは言います。
「お母さんに訊いてるんじゃないんです。」
すると母は見るからにカチンと来た様子で私にキツく言います。
「ほら!答えなさい!痛いの?!痛くないの?!痛くないんね?!!」
お医者さんが半ば呆れ顔なのは子供の私でも分かりましたが母はそれにはおかまいなしな様子。
そして家に帰ると母は我慢していた怒りをぶつけんとばかりにそのお医者の悪口を散々言いまくるのです。
もちろん店のお客さんにも(笑)
「あそこの医者は私にこんなこと言って威張ったんだ!まったく!なんだあの偉そうな態度は!もう二度と行くもんか!!」
お客さんも
「そうねぇ。ひどいわねぇ。」といつものように話を合わせます。
(私の見て来た限りでは母を諫めたり反対意見を言ったりするお客はさんいませんでした)
・・と、そんなことが度々でした。
とはいえ、大概のお医者さんは何も言わずに母の話を聞いる人がほとんどでしたので(笑)母が不愉快になるケースもそんなにはなかったと記憶しています。
それと私がよく『言葉を奪われていた』と感じていたのは、服を買いに連れて行ってもらった時でした。
母は個人店が好きで、よく気に入ったブティック?みたいなところに服を買いに行っていたのですが・・
私の服もそのついでに買ってくれることがよくありました。
店で店員さんが寄って来ると、母が話し始めます。
「この子にスカートが欲しいんだけど、、似合いそうなの何かあります?」
・・ていうか、私スカートが欲しいわけじゃないんだけど・・とか思うこともよくありましたが会話はどんどん続きます。
「そうねぇ・・これなんかどうかしら?若い子にも似合うわよ~。ねえ?どうかん子ちゃん?(よく行くので顔なじみ(笑))」
そこですかさず母。
「う~ん。いいんじゃない?ねえ?かん子?いいでしょ?」
そんなふうに勝手に話を進める母と店員さん。
もはや私の入る隙間はありません。
いつもそんな感じで自分の意見を言うタイミングすら見つからないまま買い物が終わってしまうので、店員さんには
「この子はほんとに何にも喋らない大人しい子ねぇ~」なんてよく言われていました。
母はというと散々自分で喋り倒したあげく最後は
「ほんとにもう。この子は恥ずかしいんだかなんだか。恥ずかしがってる方がよっぽど恥ずかしいんだっての!ちゃんと喋りなさいよかん子。まったく引っ込み思案でしょうがない子ですみませんねぇ。」と言って店員さんに申し訳なさげに笑います。
そして店を出ると私に
「全く何にも喋んないんだから!買ってやってるのに嬉しいんだかも分かんね!もっと嬉しそうな顔するとかなんかないんけ!ほんとにやってやりがいのないつまんない子!」などと怒ります。
そんな調子で、私的にはいつも責められているような嫌な気分になることばかりでしたし、そもそも買ってくれるといっても自分の好きな服が買えるわけではないというふうに思っていたのもあって、ほんとのところ私は服を買いに行くことがとても嫌いでした。
(しかも友達には「かん子ちゃんはいつもおばさんみたいな服着てるよね~。」なんて言われたりと・・子供の私にとってはかなり『ショボン』な状態)
まあ、服に限らず“買い物”といえばいつでもこんな風でしたので、子供の頃の私は確かにいつも何を買ってもらっても全然嬉しくなく、感謝を感じることもなかったというのが正直なところです。
・・こういうところから母には常々「お前はいっくら何を買ってやっても感謝がない!」「親に感謝がないどうしょもない子!」と怒られてばかりいましたが・・
私はというと、それを聞いてもただただ自分が“感謝のできない悪い子”であることの後ろめたさで卑屈になって小さくなるばかりで、やはりどうしても『感謝』の気持ちが湧いて来るということはありませんでした・・。
こんなふうに、お医者さんや買い物もそうですが、それ以外の時も母が私の代わりに言葉を発し、私の心を代弁してしまうことはよくありました。
たぶん、傍にいる時はいつもだったと思います(笑)
・・だからなのかはわかりませんが、私は傍に母がいるとどんどん“喋れない子”になっていきました。
不思議な現象で、母がそばにいるだけで、もう誰に何を訊かれても喉が詰まったように何も言葉が出てこなくなるのです。
母は、私が喋れないからしょうがなく自分が喋ってやっている、みたいに考えていたのでしょうか・・。(たぶんそうです(笑))
私としては『自分が喋るより先に母が喋ってしまうので何も言えなくなってしまう』、という思いがあったのですが、せっかちな母からしたら私のレスポンスが遅すぎて待つことができなかったのかもしれません。
同じく母の店のお客さんと私との会話でも母が答えてしまうことが殆どでした。
しかも私の代わりに謙遜までしてくれます;
(ちなみにこれは子供の頃だけでなく、私が店で働くようになってからもずっと続きました)
お客さん「かん子ちゃんは細いわねぇ~スタイル良くて羨ましい。」
すかさず母「そんなことないんですよ~(笑)細く見えるだけでほんとは太いんですよ。」
またある時は
お客さん「かん子ちゃんて美人よねぇ。」
母「そーんなことない!美人じゃないですって!全然。○○さん(お客さん)の娘さんの方がお綺麗じゃないですか。」
その他にも「かん子はこういうところがダメであれもダメで、ほんとにだらしなくて~~」みたいな私の悪いところを『ネタ』としていろいろとお客さんに説明し出すということがしょっちゅうあり、私はこれがほんとうに嫌でたまりませんでした。
しかも私とはあまり接点のないお客さんだけならまだしも、私の同級生が来た時まで私の家での醜態みたいなことをペラペラと喋ってしまうので、そういう時にはもう恥ずかしさで『穴があったら入りたい』くらいの気持ちになりました。
まあ、そんなことも子供の頃はどんなに何を言われてもぐっと我慢をして堪えることしかしなかった私ですが、大人になってからのある日さすがに
「プライベートなことをあまりお客さんに言わないで欲しい。」という旨を母に話した時がありました。
・・結果は「客商売にはそういう会話が必要なんだよ!自分のプライベートだってある程度話すことは大事!まったくそんなことで文句言うなんてプライドが高くてどうしょもないこの子は!」で一掃されました。
これには正直腹が立ちました(笑)
まあ、お客さんを立てるような会話が必要だと言われれば返す言葉に詰まりますが・・
・・それでも、そのために自分を卑下する必要があるとは思えません。
私としては、自分のプライベート(しかも悪いネタ)を切り売りすることが必要だという母の持論にはどうしても同意できませんでした。
・・100歩譲って必要だとして・・なら、なぜ自分のことでなくて私ことを生贄にするんだよと(言葉悪い(笑))
私ならいいのかと。ていうか私とは一体なんなのかと。
そう思うと『ほんと酷い扱いだなぁ』と、例え親とはいえこれに関してははっきりと怒りを覚えた私です。
とにかく、大人になってからの私には職場でディスられたり知られたくないプライベートの醜態をネタにされまくることを“仕事の一環”にしなければならないというのはストレス以外の何物でもありませんでした(人間だもの)
そんなわけなので決して「仕事が嫌」なわけではない私でしたが、何よりその『空間』が嫌でたまりませんでした。
立場も何もあったもんじゃないというか・・しかもこのことでだんだん私の中にはお客さんの私を見る目さえ蔑んでるかのような被害妄想まで生まれてきたりして・・。
悪循環極まりない状態。
ちょっと熱くなりました(笑)
ところで少し昔の話に戻りますが(時系列めちゃくちゃですみません;)、母の(私に関する)謙遜が原因で、少し長い期間これまたとても嫌な思いをしていたことが店以外でもありました。
私が小学生の頃の話です。
母は度々私を連れて私と同い年の娘(Yちゃん)のいる友人と遊びに行くことがありました。
一緒にファミレスに食事に行くこともあれば家に行くこともしばしば。
今考えるとちょっと変わっていますが、夕飯を食べ終わった後などにYちゃんの家に遊びに行くのです。
20時頃でしょうか・・?
20時頃から22時頃まで(もっと遅くなることも)私は母に連れられてそのYちゃんの家に遊びに行きました。
母と母の友人は隣の部屋で話し、その間私とYちゃんは違う部屋で遊ばされます。
・・そんな風に何度も遊びに行ったりなんだりしていましたので、当然私とYちゃんは仲良しになっていきました。
しかし、少し嫌なことがありました。
たまに休みの日の前などには、時間が遅くなったりするとそのまま私だけがYちゃんの家に泊めてもらうことになったりすることもあったのですが・・
母がいなくなると、Yちゃんのお母さんはとても感じの悪い怖い人になるのです;
母も怒ってばかりいる人でしたので(笑)そこまで不思議には思いませんでしたが、それにしてもYちゃんのお母さんはとても怖く、とにかくおっかない顔をしてキツい言葉を放つことの多い人だったので私はいつもビクビクしていました。
そんなYちゃんのお母さんに一度、Yちゃんの部屋にあった歴史漫画がおもしろそうだったので「貸して欲しい」ということを言ったことがあるのですが・・・
バッサリ断られました(笑)
「ダメ。」と。
こんなこともありました。
そのお母さんが趣味でやっている“切り絵”というやつをYちゃんと一緒にやらせてもらったことがあって・・
最後に色鉛筆で色塗りをするのですが、私の塗り方がなにか変だったようで、そのお母さんに思いっきり笑われバカにされました。
「ねぇ?変だよねぇYちゃん?なにこれ!あははは~下手~」
お母さんと一緒にYちゃんも笑っていました。
・・実は私は絵が得意な方でした。
それはYちゃんもYちゃんのお母さんも知っていたことなので、“絵”を下手だと笑われるのが私には少し不思議に思えていました。
しかも人物の頬っぺたのピンクの部分を、Yちゃんのお母さんの描いたやつを真似して同じように塗っただけだったので、
『真似しただけなのにな?何が変なんだろう?』と自分でも納得いかず変な気持ちだったのを覚えています。
しかしその後もYちゃんのお母さんは私の母のいないとろこでは何かと私をYちゃんと比べて笑ったり貶したりすることがありました。
私だけに聞こえるボソッと言う言葉もとても怖く嫌な気持ちというか『まさかそんなこと言われるはずないよなぁ・・』みたいな感覚だったと思います。
「Yは頭がいいけどかん子ちゃんはダメねぇ。」
「変な子。」
その時はそんなことを言われているのがあまり信じられなくて、なにか聞き間違いなんでは?とかも思っていましたが、
今思い返すと決してそうではありませんでした。
明らかに嫌がらせです(笑)
母はそんなことには気づきもしませんでしたが、何年か後にわけもわからず突然バッサリ縁を切られたそうですので、母も相当相手の逆鱗に触れるようなことをしていたのかもしれませんし、実は親子共々嫌われていたということなのでしょう(笑)
そんなYちゃん親子との付き合いの中でも母は、例によって自分の娘である私のことを謙遜して言うことが多かったですし、
始終「ほんと、Yちゃんはいい子なのにかん子はまったくしょうがないんね~」みたいな感じで言っていたので、
結果的に自分の娘を良く言うYちゃんのお母さんとの間で私だけが「ダメな子」みたいな言われようをされるようになっていました。
なので、仲の良いYちゃんといるのは嬉しくはあったもののやはり私はこのグループの中でもとても居心地の悪い立場というか・・一人『ショボン』状態でした。
そんなわけで、私はYちゃんは好きでしたがYちゃんのお母さんは大嫌いで今でもトラウマですが・・
そういう話いぜんにそもそも、この件に関しての全体的な母の鈍感さ(?)とか配慮のなさ加減にちょっと信じ難いものがあった私です。
その他にもいろいろな場面で母が私の代わりに喋り出したり自分のことのように謙遜したりということは数多くありましたが、
とにかくそういう母の行動全てを見て言えることは、母の私への『一人の人格』としての配慮が全然ないということです。
・・というか私を『自分と別の一人の人間だと思っていない』と言った方が近いでしょうか・・。
母の私に対する扱いは、私をまるで“母の一部”かもしくは自分の自由にできる“所有物”とでも思っているかのようなものだったように思います。
・・たぶん母にとっては、娘である私という存在を自分と切り離して考えることがとても難しい事だったのかもしれません。
自分から生まれた子供を“自分の一部”、“一心同体”だと勘違いしてしまう、、そんな母親は世間一般でも聞きますし、珍しいことではないのかもしれませんが・・
それにしても母は特にその傾向が強かったのだと思います。
“一心同体の娘”である私のことで知らない事など何もないと、何の疑いもなく固く信じているようにも見えました。
と、同時に“母の知らない私”や、“母と違う私”の存在などは全く見ようともせず、まるでそんなものは『ない』かのように振る舞います。
『私はこの子の全てを知っている』
・・母にとっては常に私が母と全く同じ気持ちであるのは当然の事のようでした。
いえ、“同じでなくてはならない”と言った感じでしょうか・・。
とにかく全てがそんな口ぶり、扱いでした。
だからか母はいつも私に何も訊かずに「この子はこう思っています。」という風に人に話してしまうのですが、当然ですが私はそうは思っていません(笑)
母は一心同体だと思って代弁しているのでしょうが、私にしてみればそれは紛れもなく母の考え、思いでしかないのです。
私はいつも思っていました。
「そんなもの欲しくない。」
「そんなことしたくない。」
「そんなこと思ってない。」
「私は違う。」
・・でもやはり、(子供の頃の私は特に)母の傍では何も言葉が出てきませんでした。
まるで金縛りにでもあったかのように(笑)
・・・考えてみると、ここで「私には私の考えがあるんだ!!」と、自分が親とは違う一個の人格を持った人間なんだということを主張して、それを認めてもらい自分を確立するためにあるのが健全な家庭における子供の“反抗期”なのかもしれませんね(笑)
「私には反抗期がなかった」とずっと言ってきましたが、そうではないのかもしれません(笑)
心の中はちゃんとモヤモヤしてました。
・・ただ、圧倒的な母の“力”の下でそれができなかった。
そして“自分”というものを押し殺し続け、そのまま来てしまったという、
それだけだったのかもしれません。
・・それだけ歪な親子関係だったということなのでしょう。