54話 必要以上に人に気を遣うおばあちゃん

徒然
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おばあちゃん(母の実母)について少し書きます。

おばあちゃんは私から見るととても優しくていろんなことに一生懸命で、、なんというか『努力』の人でした。
母が店を始めててんてこ舞いな頃には、毎日のようにいろんな料理を作って、2キロくらいの道のりを原付バイクに乗って届けに来てくれました。
これが、最初の何日かとかじゃなくて、何年もずっとです。
その他母が忙しいからと洗濯や掃除や子供達の世話等、いろいろなお手伝いをしてくれていました。

私は母の手料理というのを実は殆ど覚えていないのですが、おばあちゃんの料理が美味しかったことなんかはとても良く覚えています。
外食の日(週に2、3回)以外は殆どと言っていい程おばあちゃんの料理を食べていたようなイメージが残ってるくらいなので(実際は母も作っていたのかもしれませんが;)おばあちゃんは本当によくご飯を持って来てくれていたのだと思います。

また、おばあちゃんは忙しい母の代わりに孫である私達とよく遊んだり話をしてくれたりしていました。
手縫いのお手玉を作ってくれたりだとか、いろんなものを作ってもらった記憶もあります。
小さかった頃もそうでしたが、やはり私にとってはかなり成長するまで面倒見のいいおばあちゃんがずっと“お母さん”のような存在でした。

そんなおばあちゃんですが・・考えてみると『してもらったこと』はよく覚えていますが、おばあちゃん自身のことは私は殆ど何も知らなかったような気もします。
とにかく私にとってのおばあちゃんは何を言っても怒らない、優しい“信頼できる人”でした。
・・なのでたぶん、我儘もたくさん言ってしまったような気がします。(うっすらとしか覚えていないのですが;)

そんな感じでおばあちゃんがうちに来ることは多かったわけですが、母もまたおばあちゃんの家(実家ですね)によく行きました。
気楽に「今日はおばあちゃんちでご飯食べよう。」みたいな感じです。(今考えると酷いな(笑))
母の妹Rちゃんも子供達を連れてよくおばあちゃんの家にご飯を食べに行っていたようですし、
おばあちゃんはいつでも来た人をもてなすために料理をたくさん作っていたというイメージがあります。

その他、娘達以外にも年に何回かは(盆や正月等)本家であるおばあちゃんの家にはたくさんの親戚たちがやって来て、
おばあちゃんはその都度せっせとたくさんの料理を作ってもてなしていました。
遠くから来た親戚が何人も泊まっていくこともしばしばありました。

小さい頃の私は『おばあちゃんちはたくさん人が集まるところ』だと思っていて、そういうもんだと思っていました。
なぜかは分からなかったです(笑)
・・でも、とにかく大変そうでした。

おばあちゃんは、人が来るとまず座ることがありません。
とにかくずっとせわしなく動き回っています。
子供達などの気の置けない関係でもそうです。
ちょっと座ったかなと思うとすぐにソワソワし出して、次々に何か食べ物を持ってきたりとか、果物をむき始めたりとか、お茶を入れたりだとか・・
各々自分でオレンジやらグレープフルーツなんかむいて食べればいい話なんですが、おばあちゃんはわざわざ食べやすいように一つ一つむいて出してくれました(自分は食べずに)
とか、誰かのお茶がなくなると即座に立って次のお茶を入れてくれたり・・。

『いいかげん座っておばあちゃんもみんなと一緒にゆっくりすればいいのに。』と、動き回りすぎるおばあちゃんを見てちょっとイラっと来ることもたま~にあった程です(酷)
・・や、正直ゆっくりと雑談でもしていて欲しかったし、料理もあまりに次々出してくるのでお腹いっぱい過ぎて食べきれないこともしばしば。
なのに「まだお腹すいてないかい?」「足りたかい?」と何度も何度も訊いてくるので、その度に「もう十分だよ。」と言うのがちょっと億劫になることすらありました;

しかし息子娘達やらおじいちゃんはというと、みんなそれが『当たり前』といった様子で、特に何を気にする感じでもないように見えました。

そんなおばあちゃんの様子を見ていて
『おばあちゃんは人に何かやってあげるのが好きなんだなぁ。。』と、いつも感心していた子供の頃の私なのですが(母もそう言っていました)・・
ある日をきっかけに、徐々に『もしかしてそれだけじゃないのかもしれない?』とも思い始めるようになるのです。

あれは私が高校生くらいの頃だったでしょうか・・
ある日おばあちゃんの家に一人で届け物に行ったのですが、おばあちゃんがいつにもなく深刻な顔をしてウロウロ歩き回っているのです・・。
明らかに様子が変なので
「どうしたの?何かあったの?」と尋ねると、
「〇〇さんに借りたお皿を割っちゃったんだよ。」とオロオロしながら私に言ってきました。

「なんだ、そんなことか(笑)」
と、私は少し笑ってしまったのですが・・
おばあちゃんは本気で思い詰めている様子(汗)

「かん子よ、これと同じお皿がどこで売ってるか知らないかね?同じ物買って返さなきゃ。だけどどこへ行っても売ってなくて・・。〇〇さんには悪くて言えないよ。あたしゃもうどうしようかと思って困って困って・・」

おいおい、探し回ったんかい!ってか、番町皿屋敷じゃあるまいしそんな絶望する程の高価な皿なんかい!
・・とツッコミたくなりましたがそこは抑えて
「同じお皿なんか見つけるの無理だよ~(笑)普通に割っちゃったこと謝って弁償するとでも言えばいいじゃん?それにそんなお皿くらいいいって言うと思うよ~。」
とかテキトーなアドバイスをしたのですが・・

「そうかねぇ、そうかねぇ、でも、同じお皿を探したいんだよ。ああ、どうしよう、どうしよう・・言えないよ・・」
おばあちゃんのオロオロ加減は収まりません(汗)

もうかなり頭の中でグルグルしてる様子が見て取れたので、私は
「とにかく大丈夫だってば。」と励ましの言葉をかけつつ、そんな言葉耳にも入ってないようなおばあちゃんを後にして家に帰りました。

とにかく、、思いつめ度がハンパない感じ。
『ヤバいよおばあちゃん、どうしちゃったの・・てか、どうしてほんとのこと言えないのよ・・;』とその時はおばあちゃんのその異様な雰囲気が不思議でなりませんでしたが・・
今思うとそれだけ“責任感”が強かったのかもなぁ・・と。

その頃から私はそれまで考えもしなかったおばあちゃんの人間性について少し不思議に思い、それまで時折『あれ?』と違和感を感じながらもなんとなく流して来たいろんな行動の意味について少しずつ考えるようになっていきました。

私はそれからおばあちゃんの過去の発言などをいろいろと思い返してみました。

『なんであの時あんなこと言ってたんだろう?あんなことやってたんだろう・・?』
そう思うことが思えばそれ迄にもたくさんありましたが・・
おばあちゃんの“責任感のハンパなさ”ということから考えると
「ああ、そりゃそうだよな。」と、大概のことが腑に落ちるような気もしてきました。

・・そしてこれは最近になって徐々に思えて来たことですが・・
もしかしておばあちゃんには『やってあげたい』という貢献の気持ちよりも、責任感とか義務感とかから来る『やらなきゃ』という強迫観念的な感覚の方が多くあったんじゃないだろうか・・?ということです。

そんなふうに思う理由はいくつもあったのですが・・
その中でも強烈だったのは、痴呆が始まってから最後らへんにおばあちゃんが言った言葉です。
「私は暗い道をバイクに乗って、毎日毎日一生懸命にご飯を届けたんだ。ほんとうに大変だった。なのにあの子(母)は病院にも来ない。そんなもんだよ」と。
それをとても悲しそうな顔で言っていたのです・・・。

・・痴呆が始まっていたとはいえ、私はこの言葉からいろんなことが垣間見えたような気がしてしまったのです。
実際母は頻繁に病院に足を運んでいました。行ってないなんてことはありません。
・・でもボケ始まったおばあちゃんの頭の中のストーリーでは、一生懸命に母に対していろんなことを大変な思いでやってやってるのに私は感謝もされないんだ・・・みたいなことになっているのです。

『事実がどうであれ、これがおばあちゃんの心の中なのかもしれない、、』と、私はその時に思ったのでした。

そう思うと、それまでずっとずっと、愚痴一つ言わずにやってきたおばあちゃんのいろんな行動の数々・・
これも実は裏にはどんな気持ちが隠されていたか・・

そんなふうに思ってしまっては“優しいおばあちゃん”に対する美しい『美談』が崩れてしまいますが・・・
事実とは時に理想とはかけ離れたものであったりするもんだよなと、私はシミジミ考えてしまったのでした。
・・まあ、事実がどうであったとしても“事実”なだけであって『良い』『悪い』ということではないのだと私は思っていますが・・。

それとこれもおばあちゃんが病院にいた時なのですが、
「もうわたしゃ疲れた。もうご飯も作れないしなんにもやりたくないよ。ここにいたら何にもしなくてよくて清々といい。」と、そんなことをベッドの上で目をつぶったままブツブツと呟いていました。
みんなは聞いていたのか聞きたくなかったのか、気にも留めていないようでしたが、
私は聞き逃しませんでした(笑)
それもけっこうな衝撃だったので忘れられません。

母や・・おばあちゃんの周りにいた全ての人はずっと『美談』を信じています。
その裏にあるかもしれないおばあちゃんの苦悩や本当の気持ち、マイナスな事実なんかには・・たぶん向き合うことはないでしょう。
・・しかし亡くなってしまった今は、その方が良いのかもしれないとも思います。
おばあちゃんの純粋な愛情みたいなもんをみんなが信じたいのです。
そして“良い思い出”にしたいのです。。
本当は自分を含め人なんてそんな単純じゃないのは分かり切っていたとしても・・・です。

・・それともう一つ、これは言うのも憚られるのですが・・
葬り去られてしまった“おばあちゃんに関する最も恐ろしい事実”があります(笑)
と、いうのも、おばあちゃんが亡くなって、母達が遺品整理をしていた時に、押し入れの奥にたくさんのノートを見つけたらしいのです。
そしてその一ページ目を開き、母は驚愕しました。
なんと、日々のいろんな人への恨み辛みがびっしりと、汚い言葉でそのノートに書いてあったのです・・・
母は少しだけ見てすぐにノートを閉じ、全てゴミに出しました。
「見たくない。本人も見られたくないだろうから。」だ、そうです(笑)
それ以降その事については触れません。

人ってどうなんでしょうかね?
そういう汚いものは永遠に見せたくないものなのでしょうか?
それとも・・本当の気持ちを実は誰かに分かって欲しいものなのでしょうか?
・・・私にもわかりません。
なのでその事については私ももう触れないことにしました(笑)

ちなみに私は自分が死んだ時のために誰かの悪口とか絶対残さないことにしています。
「実はあんなこと思ってやがったのか~~~!」とか思われたくないのが本心と(思ってるのかよ)
・・でも、こうやって真実は黙っていられずブログに書いて残そうとしています・・・
複雑なのかもしれません(笑)

おばあちゃんは80代半ばに高血圧で入院し、それがきっかけでか痴呆が酷くなり、最後は癌がみつかって、あまり動けなくなってから1年くらいで亡くなってしまいました。
なので介護生活も短かかったです。
最終的には、入院している時に隣のベッドの人の点滴を抜いてしまったことがあって(痴呆のため)、強制退院させられてしまったのですが・・
その時看護師さんにキツく怒られたのがショックだったためか、もう二度と病院には行きたがりませんでした。
それからは、お腹に癌があったのもあり急激に弱り始め、
そして最期は、往診に来てくれていたかかりつけのお医者さんに看取られて家で静かに亡くなりました。
おじいちゃんが亡くなる2年前のことでした。

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