53話 母の生い立ち

徒然
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母の生い立ち、と言っても、実はあんまり詳しくは知りません(笑)

・・母は自分の過去の事をあまり子供に話さない人でした。
秘密にしていたというより、暇がなかった感じでしょうか。。
自分の昔の話を子供にじっくり聞かせる、なんていうゆったりとした時間の過ごし方をすることは一度もなかったと思います。

そんな中でも、母がお客さんや店に遊びに来た友達と会話する時には度々昔の話が出てくることがありました。
・・そこで聞いたことのつなぎ合わせではありますが、そこから母の過去をなんとなく知ることはできました。

母の両親(おじいちゃんおばあちゃん)は一度のお見合いで結婚したそうですが・・
おばあちゃんは少し裕福だった田舎の実家から、町の中にあるおじいちゃんの家に嫁いで来ました。
おじいちゃんの家はそんなに裕福ではなく、おばあちゃんはお金の面ではとても苦労をしたそうです。

それに、長男だったおじいちゃんは両親と同居していたので、おばあちゃんはその舅姑に散々こき使われたり意地悪をされたりと、厳しくされて大変だったそうです。

おじいちゃんには兄弟姉妹がたくさんいましたが(昔の人なので)、
本家ということで、頻繁に訪ねて来るその兄弟姉妹達をもてなしたりだとかの対応もおばあちゃんの役目で、とても大変だそうだったということです。

しかもただでさえ大変な上に、そのおじいちゃんの一族というのはとにかくみんな性格が悪く(笑)キツくて底意地が悪かったようです;
母から見ると、おばあちゃんは本当にいつも大変そうで、お金もないし、いろんなことを我慢している可哀そうな人に思えたということです。

その意地悪な親戚達には母も散々酷い目に合わされたそうで(怒られたりだとか)、大っ嫌いだったということもよく言っていました。

おじいちゃんは自転車屋さんを自宅でやっていて、おばあちゃんは専業主婦でした。
母は4人兄弟姉妹の長女。
一番上が母、二番目が男、三番目も男、そして末っ子のRちゃん(女)です。

長女である母はそれはもういろんな我慢を強いられたそうです(笑)
弟達とは喧嘩ばかりしていましたが、母をからかうようなことばかり言ったりちゃかしたりしてくるとても頭にくる弟共だったとのことです。

・・そのせいもあるし、意地悪な親戚の人達にも散々いじられたり理不尽な事で怒られたりをしょっちゅうしていたのもあるし、
「そんな悪い環境にいたせいで私は性格がひねくれたんだ。」なんてことを言っていたこともあります(笑)

一番下のRちゃんは母とは丁度10歳離れていて、年が離れているからか姉妹というよりか母が“親”みたいな感覚だったそうです。

母は高校を卒業すると、美容学校に行きたくてそれを親に頼んだそうですが、
「うちはお金がないからダメ。すぐに働きなさい。」と言われて断られたそうです。
なので見習いとして近くの美容室で働きながら自分でお金を貯めて美容学校の通信を受けたそうです。
しかも母は、働いたお金のいくらかを実家に入れていたということです。(これは武勇伝のようにずっと言っています)

・・ですが妹であるRちゃんが高校を卒業する頃になると、始末にしてきた分お金に少し余裕ができたのと、もう4人目で最後というのもあり、Rちゃんが母と同じく「美容学校に行きたい」と言うとすぐにOKして(しかも通信ではなく東京に)行かせてくれたそうです。
東京で一人暮らしも経験したRちゃんに対して母は、「親はRには甘かった、Rは恵まれてる。」というような事をずっと言っていました。

それと、母が小さかった頃にはおばあちゃんもいろいろと余裕がなかったたためか子供にけっこう厳しい態度で当たっていたようで、母も理不尽に睨まれたりとかの酷い仕打ちをよくされていたそうですが、Rちゃんの頃には状況的にも落ち着いてきたところもあり、とにかくRちゃんにはとても優しく接していたらしいのです。

そんなことからも母の中にはどこかにいつも『Rちゃんはひいきされている』という思いがあったようです。

そんなふうに母の目から見てとても甘やかされていて“恵まれていた”Rちゃんですが、
おばあちゃんはなにかと末っ子のRちゃんのことが心配で長女である母に頼んできたそうです。

店の仕事も実はそうです。。
おばあちゃんが裏で母に「Rのことを頼むよ。あの子が心配で、、」というようなことを言って来たそうです・・。

Rちゃんは『お姉ちゃんの店を手伝ってあげる』という気持ちで働いていましたが、
母としては実は『親に言われてRの面倒をみてやっている』という気持ちが大きかったのです。
・・明らかにズレはありましたが、だからと言って母もRちゃんに「実は親に裏で言われたから」とは言えず(言えばいいのにとも思ってしまいますがなぜか母は言えませんでした(笑))、そこらへんの認識のズレがあるまま、ずっと長い年月を来てしまうことになります・・。

その母の気持ちがわかったのは実にRちゃんが店を完全に辞めて離れて行き、おばあちゃんが亡くなった後になります。

母が本心をお客さんに話しているのを聞くまでは、私もどうして母がそんなにRちゃんのことを憎らしげに話すのかがよく分かっていなくて、
『どうしていつも大変な時に助けに来てくれて、いろんなことを手伝ってくれているRちゃんのことを気に食わなさそうにしたり文句を言い続けているんだろう?』と不思議でなりませんでした。
特にRちゃんが母に対して生意気な口をきいた時なんかには本当に怒り心頭な様子でなじったりをしていましたが・・
私から見たら、『そりゃあいくら従業員の立場と言ったって、あんな上から理不尽に威張られたら腹立つの当たり前だし、Rちゃんだってたまにはムッときて言い返すよね・・』という感じでした。(姉妹だから言い返せる甘えというのも確かにあるとは思いますが・・それにしても母の言葉は酷い(笑))

まあ、『母はそういう激しい性格の人だからな。性格悪い○○家の血筋を受け継いでるのかもなぁ。。』で片づけていましたが・・・。

母の中にはきっとずっとモヤモヤした複雑な気持ちがあったのでしょう。
それが大本の原因なんだと思うとあの姉妹のいがみ合いも腑に落ちる気がします。

Rちゃんは結婚して3人の子供がいますが、一番下の子がまだ小学生の時に子供を連れて離婚しています。
・・この離婚の時にも母が相当関わって、住んでいた建売住宅を旦那さんに取られないためにローンの残金の一部を出してあげたりだとか;いろいろ面倒をみています。
確かにいがみ合ったりもしていましたが、気持ち的には本当に“母親”的な心境だったのでしょう。
おばあちゃんにもいろいろ相談されたことで母には『私がやらなきゃ』という責任感が強く湧き、一緒にお金を出してあげたらしいです。
まあ、それによって、更に母の『やってやった』感は強まることになるのですが・・。
だって、金額にして三桁です。確かにちょっとやそっとのお金ではありません。。
Rちゃん自身に直接頼まれたわけではありませんが、母も相当な使命感と覚悟でそのお金を出したのでしょう。

とにかくそんなことの積み重ねから、全て自分のおかげでRはやっていけるんだ、という思いが強くなっていったのだと思います。
そして「それなのにあの子は何の感謝もない!」がいつのまにか母の口癖になっていました。
まあ、考えてみればRちゃん本人ではなくおばあちゃんに相談されてやったことなのでRちゃんはそんな気はなかったと言ってしまえばそうなのでしょうね。
ちなみにそれもおばあちゃんに相談されてやったということは母は言わなかったそうです。

なんでしょうかね。。この複雑な『真実』の錯誤というか行き違いは(笑)
それぞれがそれぞれの正義で『よかれ』と思ったことを一方通行でやっています・・。
これによって後に「やってやった」「頼んでない」等の様々ないがみ合いやらがたくさん起こっているのからもわかるように、
つくづく“コミュニケーション”て大事だよね・・って思わされます。

・・そう、例え家族であってもお互いの気持ちなんて本当は全然わかっていないものなんですよね。
ちゃんと話し合って“みんなが”納得してやろうよって思います(笑)

二番目の弟のTおじさんは結婚していません。
おじいちゃんの両親も亡くなり、親戚達の足も遠のいてからは、その後おじいちゃん、おばあちゃん、Tおじさんの3人でおじいちゃんの経営する自転車屋さんで静かに暮らすことになります。(後に自転車屋さんはTおじさんが継ぐことになりました。)

それともう一人、母の三番目の兄弟、Aおじさんが居ました。
前にも書いた通りAおじさんは警察官でした。
立派な警察官で、「兄弟の中では一番ちゃんとしている。」と母は常々言っていましたが、
20年前くらいに奥さんと3人の幼い子供達を残し自殺をして亡くなりました。
私が最後に会ったのは、おじいちゃんおばあちゃんの金婚式でしょうか・・
その時も“ちゃんとした”人でした。
・・しかし、仕事で何かあったのか、家庭で何かあったのか、その両方だったとの噂もありますが、
ある日突然家を飛び出し、次の日に鉄塔の下で亡くなっているのが発見されたのです。

その当時母は相当困惑していましたが、そのうちその困惑は怒りに変わりました。
Aおじさんの“嫁”に対する怒りです。
なにやらおじさんが家を飛び出した日に夫婦喧嘩があったとのことを聞いたというのが一つの理由と、
・・それともう一つ、Aおじさんにはこちらの両親と母のすぐ下の弟Tおじさんとでこれまた何百万かお金を貸していたらしいのですが・・
Aおじさん個人に貸していたもんですから(しかも口約束で)、返してもらえずうやむやになってしまったというのです。
・・その件についておじいちゃんおばあちゃん、Tおじさんもなかなか言えなかったのもあり、長女である母が代わりにそういうことを全部奥さん側に伝える役になったのですが、
残された嫁に問い詰めても「そんなお金知らない。」の一点張りだそうで、それに対してものすごく怒っていました。

・・ていうか、知らないのは事実だったでしょうし、いくら遺族年金が入るとはいえ今現在の悲しみと突然大黒柱のいなくなった家庭をこれからどうやって守っていくかという不安で途方に暮れているであろう奥さんに対して「金返せ」と悪者にして責め立てるのは・・・
『なにも今でなくても・・・』とかも傍から見ていて思ってしまった私でございます・・。

そんなこんなでいつの間にか母の中では完全にAおじさんの死は『嫁のせい』になっていましたし、いろんな妄想や“たられば”を交えてそう話す母の意見を聞きながら、おじいちゃんおばあちゃんもまた同じように向こうの嫁を『敵』だと思うようになって行った様子でした。

今考えると、母にしてみればとにかく情報の少ない“弟の死”について、誰かのせいにして怒りをぶつけでもしないと気持ちの収まりがつかなかったのかもしれません・・。そんな感じの“持って行き場のない怒り”にも見えました。

その後そちらの家庭と母の方の親族は母主導で完全に縁を切り、二度と会うこともなくなりました。
・・おばあちゃんの家にはAおじさんの子供達の写真や敬老の日にもらった贈り物なんかがいつまでも飾ってありましたが・・それを見るとなんだかとても複雑な気持ちになった私でした。

このように、母の実家はそれこそ何か大事件が起こったような家庭ではありませんでしたが、
それにしてもみんな問題なく『幸せ』というふうには見えませんでしたし、『平和で普通』とは言い難い環境だったように思います。

そして私はそんな母の実家の様子を見ながら、この親と兄弟姉妹の間にある何か言葉で言い表せないような奇妙な“繋がり”をいつも不思議に感じていました・・。
・・いがみ合ったり、時には憎しみ合ったりしながらもお互いに変な甘えと執着があって、離れたくても離れることができないようなそんな固く奇妙な繋がり・・絆・・?
でもたぶんそれが『共依存』特有の関係なのだと今では思います。

簡単に書きましたが、ざっと母の生い立ちと今までの環境です。

おじいちゃんおばあちゃんが母にとって“毒親”であったかは私にはわかりません。
私にとっては“優しいおじいちゃんおばあちゃん”でした。
しかし母の両親が本当はどんな人達であろうとも、母の話を聞く限り母自身は確実に『不足』を感じ、それを解消できずに人生を歩き続けています。
・・そんなことからも、母もまた私と同じように『毒子』であることは間違いないと私は思うのです。

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