49話 毒子の生い立ち 9(バンドをやるために上京)

毒子の生い立ち
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前の記事のつづき)

今思えば遅い反抗期というものだったんでしょうかね(おい)
友達と『いろいろ話す』ということを経験し、少しばかり視野が広がったからかもしれません・・
短大を卒業し、二十歳にしてようやく“自我”というものが芽生え始めた私は、その時になって人生で初めて
『自分の思った道を行きたい!』という意志を持つようになるのです。

と言っても、やっと出て来た『芽生えたての自我』ですので、考えることのレベルがかなり幼いです(笑)
・・今思うと本当に、心からやりたいと思う事というのとは全く違う種類のものだったのだと思います・・。
ただただ『自分で選びたい!』『やりたいことを見つけたい!』という気持ちが強かったのだと。
いわば『逃げ』のために取って付けた即席の“夢”です。

そして見つけたそれが、当時軽音楽部でやっていたバンドです(笑)

「音楽でやって行きたい!!」
・・・未熟者が“夢を追うことを夢見る”代表格のやつです・・・。

今もたまに友人達とはその頃の話になって反省会などをするのですが(笑)・・
私は当時同じく未熟者だった(笑)バンド仲間の友人M、そして友人Hと共に、「3人でバンドをやるために上京する」というアホアホな計画を立て始めたのです。

私は「夢ができた。」「仲間と一緒に上京するのだ。」ということを興奮気味に母に伝え、必死に説得します。
さすがにこの私がここまで自分の気持ちを強く訴えたことはそれ迄にはなかった事なので母も考えたようです。

・・まあ、後になって母が言うには
「あの時は自由にやらせてやった。」だそうですが(笑)

とにかくその時の私には『“自分の意志”で自分の道を行くんだ!』という気持ちが強く湧いていて、それを行動に移すやる気に満ち溢れていました。
そして必死な思いで訴え続け、『許可』を得るのです。

ということで、先ずは資金です。
上京するお金、あと音楽にかかるお金(機材等)です。
これは友人Mと一緒に一年間ゴルフ場でキャディーの正社員として働いて貯めることになりました。(キャディーはお給料が良かったので)

今思うと『お金を貯めるためだけに一年間良くやれたな。』という感じですが・・
その時の私は夢に向かってやる気に満ち溢れていましたのでそんなのは屁でもありませんでした。友人Mも然り(笑)

そしていよいよ計画通りお金が貯まると私達3人は共同生活をするためのマンションを探しに都内らへんを回ります。
いろいろな場所を探しましたが、結局家賃の相場が安かった千葉の松戸に3LDKのマンションを借りて住むことになりました。

ボーカルのH、ギターのM、同じくギターの私、、後のパートは機材で打ち込みという形態です(笑)
その3人で、ギターと機材等を持ち込み、3人でのマンション生活が始まります。

・・と、いうことで上京して生活を始めたのはいいですが・・
何しろ残りのお金があまりありません(笑)
音楽をやるにしてもまずは食べて行かねばなりません・・
ということで、私達3人は必死こいて生活をするための『仕事』を探すことになります。(本当に無計画(笑))

しかし不幸なことに時期はちょうどバブルがはじけて不況が始まった頃・・。
ここへ来て私達は全員『就職難』の厳しい現実にガッツリ直面することになりました。

就職、バイト探しの雑誌を買いあさり、片っ端から受けられるところを受けまくりましたが、3人揃って落とされまくりです。
面接まで行きつければまだ良い方、書類選考で落とされることもしばしば。
そのうち履歴書を書く手が腱鞘炎になりかけました(笑)

まあ、そんな生活が3か月も続くとさすがにみんなして精神状態がおかしくなってきます(笑)
音楽どころか生活をすることすらできるかわからない状態になり、それぞれ不安と焦りでいっぱいになり家の中での人間関係も徐々にギクシャクしていきました。

「私の味噌使ったの誰?!」
「洗濯物くらいちゃんと干しなよ!」
「お風呂が長すぎ!」

・・・今考えると取るに足らないようなアホらしいことでお互いイラつくようになり喧嘩が増えました(笑)
もうこうなっては『一緒に音楽』どころではありません。
いつメシが食えなくなるか分からないような不安の中で音楽もクソもないといった心理状態です(笑)

私達はその後も必死に“職”を探し続け、その後やっと一人ずつなんとか働き口を見つけることができました。

・・が、時すでに遅し(笑)
はい。
就職は決まったものの「一体なんのために私達は!」・・・です。。

その後しばらく、冷戦状態のような気まずく重苦しい空気渦巻くマンションの部屋からそれぞれの仕事場に通う・・・という毎日を過ごします。
帰って来たらそれぞれに食事を済ませ、すぐにそれぞれの部屋へ行き疲れて寝る、といった生活です。

当然程なくして「こんな生活を続けていても意味がない。」ということになり、
結局私達のバンドは共同生活を始めてから一年たらずで終焉を迎えます・・・。
バンドも解散、当然生活も解散です(笑)
私の初めて見た“夢”は終わりました。

それから約2年程、その一緒に暮らしたM、そしてHとは絶縁状態でした。
・・離れてからお互いがその時のことをそれぞれ冷静になって反省し、謝罪する迄の2年です(笑)

非常に苦い思い出です。

私はというと、全てのやる気を失い、仕事も辞め、マンションを出てから行く場所もなくお金もなく、おめおめと実家に出戻りすることになります。
生まれて初めて自分の意志でやってのけた行動での大失敗を経て、私はますます自分への自信を失うことになったのですが・・
それでも『自我』というものに気付いたことは、人生レベルで見れば私にとっては大きな成長であった、と今では思います。
というか、何を“やってのけた”わけではないんですけどね(笑)
・・そんなことにもその頃は気づいていませんでした・・。

その他にもまあちょこちょこといろいろなことはあったものの(後で時間があれば書きます)、大枠ではそんな感じで、
旦那さんと出会って結婚するまでの何年間かはそのまま実家の美容院で美容師として働くことになった私なのでした。
・・気持ち的には『もうその道しかないのだ』と諦めた感じです。

『やはり母の言ったようになってしまった・・・。』
そんな風な思いでうなだれました。
しかもそんなアホな“失敗”をやらかしてしまった私的には、ますます母に頭が上がらない状態になっていました(笑)

結婚までの私はそんな体たらくです・・・

(つづく)

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