48話 毒子の生い立ち 8(短大生活、そして店をやりながらの美容学校の通信過程)

毒子の生い立ち
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前の記事のつづき)

美容師の免許を取る方法は二通りあります。
一つは普通に美容学校に通う方法で、もう一つは通信で取る方法です。

今は通信課程は3年ですが、昔(私の時代)は2年でした。
なので短大に行くのと同時進行で美容師の免許が取れるという計画です。

通信課程とは、普段自宅で、学校から送られて来たテキストを自分で勉強し、月ごと(?)に提出するというやり方。
技術の方は春休みと夏休みを利用して何週間かその学校に通い授業を受ける形です。(なので完全に通信だけというわけではありません)
、、それと通信をやるには、美容室で働いているという条件があります。
普段働きながらお店で技術を学んでいるという前提です。(免許がないとハサミ等の刃物を使うことはできませんが)

もちろん私の場合学校に行きながらなので手伝い程度にしか働くことはできませんでしたが、『働いている』という証明書は母が記入し提出したので問題ありませんでした。

そんなこんなで、短大に通いながらの私の美容師修行が始まります。

短大は結局義務感だけで行った学校でしたが、勉強ばかりだった中学高校時代と比べてそれなりに楽しいキャンパスライフ(笑)を過ごしました。

・・というのは、やりたかった軽音楽部に入ったことで“友達”ができたのです。
これは私にとって、とても大きな出来事でした。

今思えば中高生時代“コミュ障”に近かった私は、本心から友達と思える友達はいなかったように思えます。
幸い、虐められたりだとかそういったことはありませんでしたが、
クラスメイトと居るにも誰と居るにも何かいつも気を使って、何を喋ったら良いか分からずにただ合わせてその場にいるといった感じで、
正直友達といることは私にとって『疲れる』ことでしかありませんでした。

・・しかしここへ来て、楽しいことを一緒に楽しんでできる仲間ができたことで、初めて友達と話したり一緒に居ることが『楽しい』と思える感覚を知ったのです。
これは私にとってはそれまでにない素晴らしいことでした。
思えばここで初めて私は『本当の気持ちを話せる』ということを知ったのだと思います。

ちなみにこの時知り合った友人達とは今でもお付き合いは続いていて、何か悩んだ時だとかつまづいた時だとかにお互い相談に乗り合ったりしています。
本当に有難い事です。

そういう意味では、その短大に行ったことは私にとっては結果的にはとても良かったことだし、私の人生にとってとても大きな収穫だったと思っています。
・・と、最近シミジミ感じます(笑)

短大で英語を勉強し、軽音楽部でギターを練習し、家に帰れば美容院の手伝いと美容師免許を取るための勉強をして(春休みと夏休みには2週間ずつ渋谷の学校に通いました)、今思えばそこそこなハードスケジュールでしたが、とりあえず目だった事件は何もなく(笑)2年を過ごしました。

そして卒業と同時期くらいに美容師の国家試験。
・・と、これも実技、筆記試験共に難なく合格し、私は母に言われた通り美容師の免許を取ったのです。

しかし、問題はここからです(笑)
この先の進路をどうするのか?

・・母の計画では、『学歴を付ける』という課題を終わした私にこのまま店で美容師として働かせ、将来は店の後を継がせる・・
ということだったと思うのですが・・

何しろ私は美容師がやりたくありませんでした(笑)
接客業自体が苦手だったし、なんというか、人の髪をいじることが楽しいと思ったことは実は一度もなかったのです・・。
着付けなんてもっての外で、もともと西洋カブレぎみだった私にとって(なぜか昔から西洋の音楽やら金髪やらドレスやらが大好きでした)日本の『着物』の良さはさっぱり理解できませんでしたし、だから興味もありませんでした。
『なんであんな変な頭をするんだろう?』とか考えていた程です;

・・そんなこともあって、
『まだ若いのにこの先ずっとこの好きでもない仕事を一生続けなければならないのか?』ということを真剣に考えたら、私は落胆し目眩がするような心境に陥りました。
(それまでいかにちゃんと考えたことがなかったかが伺えます;)

そして私はまたとんでもない方向へ向かうのです。

(つづく)

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