46話 毒子の生い立ち 6(優等生な中学生時代とやる気を無くす高校生時代)

毒子の生い立ち
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前の記事のつづき)

中学生の頃は、私はいわゆる“優等生”でした。
母が常に、口癖のように「○○女子高(地元では名の知れた進学校)に入りなさい。」と言っていたのもあり、私もそのように『そこに入らなければいけないんだ』と思い、それに向けて勉強していました。

あまりにも気合を入れて勉強したため、最初の中間テストの時なんかは手が震えて文字がよく書けなかった記憶があります(笑)
なんだかいろんな意味で“クソ真面目”を絵に描いたような子供でした。

部活動はテニス。
これも内申書のために(笑)一生懸命に頑張りました。
要領も良かったのか、レギュラーになり県大会まで行ったこともあります。

今思うと、『果たして楽しんでやったことはあったのか?』という疑問がわいてきますが・・
その当時の私は『楽しむ』という思考よりかとにかく『褒められたい』『怒られたくない』一身で何事も頑張っていたように思います。

『いろいろ頑張って、認められて、○○高校に行かないとダメなんだ。』
そういう思いで過ごした中学時代です。

そして、学校生活とは別にこの頃あたりから私は少しずつ母の店の手伝いをさせられるようになります。
それまで店に少しでも顔を出せば
「子供は来ちゃダメって言ってるでしょ!」とものすごい剣幕で怒鳴られていたのですが・・
中学生にもなってできることが増えると、母はよく私を店の方に呼ぶようになりました。
そして少しずつ、パーマのロッド洗いやら店の掃除、あと少しずつお客さんのシャンプー等も教えられるようになりました。
ちなみに弟には店の仕事は一切教えられることはありませんでした。
たぶん母の中にはこの頃から既に、『娘を美容師にして店を継がせる』という計画はあったのだと思います。

そんな風にして、母の店や家のことを少しずつ手伝いながら勉強や部活動に励み、いわゆる反抗期といったものもなく私の中学生時代は過ぎました。

そしていよいよ高校受験。
・・と言っても、『行くべき高校』が決まっていた私は、予定通りにその女子高を受験し何事もなく合格し進学をしたに過ぎない状況でした。
正直、自分では何も考えていませんでした。
『言われたからそうした』、みたいな感じです。
何の疑問も希望も持たずにただただ言われていた高校に言われた通り進学できた自分を『偉い』と自分では思っていたように思います。

・・しかしまあ、そんな考えなしのアホは、当然高校2年頃の具体的な将来の進路を決めなければならない時期に迷路にハマります。

『あれ・・私、進学校に入ったはいいけどこの先の進みたい方向とか職業のこととか何にも考えてない・・』

母には「とにかく何やるにしてもまず学歴付けるために大学に進学しなさい。今の時代学歴がなくちゃダメ。」と言われていました。
・・しかし、大学ったっていろいろな大学があります。
高校のように『進学高校』か『商業高校』か『工業高校』か、みたいな少ない選択肢ではありません。
「とにかく大学に進学するために進学高校に行きなさい。」と言われていた中学時代と違って、高校では将来のことをもっと具体的に考えなければなりません。

私は焦り出しました(遅)

まず自分の得意な科目と好きな科目を考えて、そこから“行ける”大学を探し始めました。(順序が滅茶苦茶(笑))
『理科』が好きで『国語』が得意な私に行ける大学・・
あまりありません(汗)
ちなみに国語は得意でしたが社会は一番嫌いな科目でしたのでとりあえず『文系』には行きたくありません。

で、消去法で『理数系』です(笑)
2年生の最後に、進む方向を文系か理数系か国立系(全科目)か選ぶことになり、私はとりあえず理数系のクラスに進むことにしました。

それにしても何になりたいかとか何系の大学に進学したいかとかの具体的なことは何一つ思い浮かびません。
美容師しかやって来なかった母もそこらへんは良く知らないようで
「行ける大学で、良い大学に行きな。とにかく大学は出なさい。学歴がないと話になんない。」といった話しかしません。

自分で何も決めてこなかった私がこの時初めて自分で考え選択しなければならない現実を突き付けられかなり混乱します(笑)

『最善の指示をしてくれる人がいない』

私は目標が見つからないままだんだんやる気を失くしていきました。
ヘタレ加減にも程がありますが当時の私は真剣に迷路の中でした。

そんなこんなで右往左往やっているうちに成績も落ち、行けそうな大学が本当になくなってきました。
そしていよいよ本格的に受ける学校やらを決めなければならない時期に、私は意を決して母に言います。
「大学進学はやめたい・・・。」

私の幼稚な頭で出した答えはこうです。
「コンピューターの専門学校に行って、どこかに就職できるようにしたい。」

・・強い気持ちというか、正直それくらいしか思いつきませんでした。
どうにしろ将来“働く”ことが目的ならば、専門学校で職業に使えることを学んだ方がいいのではないだろうか?という考えです。

しかし母は青ざめました。
「何言ってんのこの子は!専門学校なんて大学じゃないがね!高卒なんてダメだよ!『大学』と名の付くところに、どこでもいいから行かないとダメ!コンピュータがやれる大学だってあるでしょう!」

優等生で何の問題もないと思っていた私が本気で大学進学へのやる気をなくしていることなどその時まで全く気付きもしなかった母は、仰天して俄かに焦り出したのでした。
時期は3年生の後半に差し掛かっていました。

そしてそれからまた、お客さんを交えた説得が始まります(笑)

「受けられるところ、とにかく、短大でもいいから『大』と名の付くところに行きなさい!専門学校卒なんてどうしょもない!」

店のお客さんの前で散々いろんなことを言われ、お客さんもそれに同意し、それを聞かされ続けるうちに私の心は揺れに揺れまくります。

そして・・
『やっぱり専門学校なんて恥ずかしいことなのかもしれない・・』
説得されるうちにだんだんそう思えて来た私は再び行ける大学、短大を探し始めるのです。

・・と、そんな時に母がふと思い出したように言いました。
「そうだ!〇〇大学の偉い方の人が遠い親戚にいるんだった!あの人にお願いすれば・・」

え・・
まさか・・

そのまさかでした。

母は即座に東京の親戚の家に電話を掛けました。
電話口に出たのはその○○大学の偉い人の奥さんのようでしたが・・
久しぶりの連絡に驚いていた様子の相手方に母は言ったのです。
「あの、裏口入学とかそういうのはお願いすることはできないんでしょうか?」

・・うそでしょ;

それからあれよあれよと話は進み、私は何も言えないまま母が全ての段取りを決め、なる早でその東京の親戚のおじさんの家に手土産を持っていわゆる『裏口入学』をお願いしに行くことになるのです。

私の心境としてはまさに『フリーズ』状態でした。
何が起こっているのかいまいち把握していなく、
そして言われるままに母に付いて東京に行くことになります。

(つづく)

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