45話 毒子の生い立ち 5(弟を虐める)

毒子の生い立ち
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前の記事のつづき)

実は、正直あまり覚えていないことなのですが・・
母によると私は6歳年の離れた弟のことをものすごく虐めていたということです。

確かに私は弟を一人の人間とは思っていなかったようにも思います。
私に物心がついていなかったためでしょうか・・
小学生くらいの頃・・
私にとって弟は『弟』であり、弟の気持ちを考えたりとか、気遣ったりとか、そんなことを考えた記憶がありません。

言う事をきかない弟の頭を平気でひっぱたいたり、
母が私にするのと同じように弟に威張り散らしたり・・
そんな風に接していたようにはうっすらと記憶しています・・。

あとどんな意地悪なことをしたのかは・・正直覚えていないのですが・・
弟から改めて聞けばもしかしたら話してくれるかもしれません・・(弟が覚えているのかどうかはわかりませんが)
弟も今となっては敢えて昔のことは何も言わずに普通に接してくれていますし、お互い物心がついた頃にはもう仲は良い方になっていたのですが、
私の頭の中にはいまだに『昔弟を虐めていた』ということが重い雲のように垂れこめています。
・・これは後でゆっくりと話せる日が来た時に話すことになるのだとも思っています。

と、それは置いておいて、
大人になってからのことですが・・
母は「昔お前に何の不満があったとしても、お前は弟を酷く虐めていたんだから、それで全ておあいこ。お前だっていろいろやって発散してたんだ。人のこといろいろ言うんじゃない。」・・というわけがわからないことをよく言います。

弟と私の問題は母のやった事とは別問題なので私には母の道理が全くわかりませんが(笑)
まあ・・母の言いたいことはなんとなくわかります・・
そういう、全てを『ごちゃっと』して『おっつけ』ようとする人です。(「私はおっつけるのが得意」とは母の決まり文句です(笑))
いや、いろんなことは母の中だけでしかおっついてないですが;
まあそれは置いておきます(笑)

とにかく私は弟を虐めていたそうです。

確かに私が覚えている一番大きな事件が一つあります。
弟が幼稚園にも上がっていない小さな頃、家の中で駆けずり回っているところに、私が寝っ転がって足を引っ込めずに出していました。
たぶん『ここに走って来たらつまづいてコケるかも』くらいに思っていたと思います。

勢いよく走ってきた弟はまんまと私の足につまづいて転びました。
・・しかし、転んだ先がテレビの角だったのです・・

走っていた勢いのまま転んだ弟はテレビの角に額を思いっきりぶつけて流血。
私は青ざめました。
「ギャーー!」と泣いた弟の声に母もとんできましたが、その時に母は弟を抱き寄せ、私の方をものすごい目で睨み怒鳴りました。
「お前がやったんだろう!!なんて恐ろしい子だ!!」

・・状況は誰も見ていませんでしたし、何もわかっていない状態でしたが、母は『お見通し』といったふうに私を叱りつけました。

確かに私がやりました。
私はもう、頭が真っ白でした。

この出来事は一生忘れません。
怪我をさせるつもりはありませんでした。
でも転ばせて、結果弟が怪我をしたのは事実です。。
・・私はそれがあるので「虐めていた」ということにものすごい罪悪感を持ってそれから生きることになりました。

弟はそれ以外にもいろんなところから落ちたり転んだりしてよく頭をぶつけたりして流血したりタンコブを作っていた記憶がありますが、
私にとってはその『転ばせた』事件が一番印象的でありショックでした・・・。

余談ですが、弟は歩行器に乗ったまま庭に面する廊下から砂利の敷いてある庭に吹っ飛んで落ちたり(なぜサッシが開いていたのかは不明)
あと乗っていたワゴン車から脇にあった側溝の中に真っ逆さまに落ちたり(なぜ車のドアが開いていたのかは不明)
とにかく生きているのが不思議なくらい怪我をしていた子でした(笑)
今では「小さい頃頭をぶつけ過ぎたせいで目が異様に悪いんではないか?」などと母に言われている弟ですが・・
笑えません・・・。

(つづく)

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