毒子(“毒親に育てられた子”“毒親と同じ毒を持っている子”の意味)の起こした毒子ゆえの離婚騒動について書いてきましたが・・
では果たしてどうしてそんな毒子に私がなってしまったのか・・・?
それについて今度は昔のことから遡ってその経緯を辿ってみようと思います。
まず毒親とは・・・?
私は自分の親が毒親とは思っていませんでしたし、親もまた、自分が毒親だなんて全く思ってはいませんでした。
そもそも毒親とはどんな親なのか?
私が最初に持っていたイメージでは・・
例えば子供に殴る蹴るの暴力を振るって怪我をさせる、パチンコの駐車場に何時間も放置する、ご飯を食べさせない、寒い時期にベランダに絞め出して凍傷にさせる・・・
あとは酒乱だったり、はたまた離婚した後連れ込んだ男が子供に虐待を働いても無視する母親だったり・・・
とにかく、誰が見ても一目で分かるような酷い親のことを言うのかな?・・くらいに認識していました。
実際の『児童虐待防止法』について見てみると虐待の定義として
1、児童の身体に外傷を生じ、又は生じる恐れのある暴行を加えること
2、児童にわいせつな行為をすること又は児童をしてわいせつな行為をすること
3、児童の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食又は長時間の放置その他の保護者としての監護を著しく怠ること
4、児童に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと
こんなことが書かれています。
もちろんこんなあからさまな虐待が行われていたらそれはもう、誰が見ても子供は明らかに被害者であり、
通報されるべきだったり、子供はちゃんと国や自治体に守ってもらいケアしてもらう必要があるでしょう。
(4番目については少しあやふやですが)
しかし・・問題はそれ以外です。
果たしてこれらの『法に触れる』ような行為をする親だけが『毒親』で、そうでない親はみんな『良い親』なのでしょうか・・・?
私は自分が苦しんだ分、『救われたい』という気持ちからいろいろな本を読み、教育や毒親の『毒』と言われる行動等について必死で学んできました。
そうして学んでいくうちに、どうやらそんな分かりやすい、あからさまな虐待の行為だけが子供の心を傷つけているのではないのだということが分かってきました。
果たして“法に触れなければ”子供の心に将来を変えてしまうくらいの傷をつけることも許されるのか・・
答えは、『許される』です。
誰も裁くことはできません。
・・しかし子供の心には確実に傷が刻まれ、その子の将来に多大な影響を及ぼします。
これは事実です。
『犯罪ではない』『見過ごされてしまう』
でも確実に刻まれる『傷』。
この重要視されない謎の『傷』こそが、実は人が幸せになるための妨げになる大きな問題なのではないかと私は思うようになったのです・・。
私の過ごしてきた子供時代が『不幸』と言われるものだったのか、
私の親が『毒親』と呼ばれるようなものだったのか・・
それは分かりません。
でも確実に、私の心は歪んでいました。
歪む原因になるいろいろな理由が確かにありました。
というわけで小さい時からのことを書いてみようと思います。
(毒子の生い立ちへつづく)