37話 毒母との生活での気づき 3

結婚と離婚
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前の記事のつづき)

今思えば『実家を出る』と決意するこれといった決定的な事件があったわけではありません。
ですが言うなれば舞い戻ってからの実家での生活の『全て』が、私の人生という大きな枠の中での『この生き方』に対する限界を迎える大きなきっかけだったと思うのです。

実家でのこの生活はいわば私のダメ人生の集大成でした。
今まで逃げてきた、考えないようにしてきたことが全てここにきてはっきりと目の前に突き付けられました。
なんというか・・崖っぷちに追い詰められて『ちゃんと見ろ!』と神様に目をこじ開けられたような感覚でしょうか・・・。

・・思えば大人になって一度母の元から中途半端に離れたことでうやむやにぼやけてしまっていたものはたくさんありました。
それがまた同じ環境に戻ったことではっきりと、しかも今度は昔よりも客観的に認識することができたという感じです。
ここへ来てどっぷり諸悪の根源に浸かったことで、今までの人生で起こったこと全てがフラッシュバックされ蘇り、
結果それによって『私の人生は全部この生活と同じだ』ということにやっと気付くことができたのです。

私はこの時初めて自分の人生、いえ、何をやってもダメなこの生き方に対しての危機感をほんとうに心の底から感じたのだと思います。

どうあがいても逃れられなかった生き方の方向、
母に支配される人生、母がいなくてもなぜかいろんな人に支配される人生、
自由のない人生、逃げ回る人生、
かなりいろんなことに絶望していましたが、
その時の私は『絶望して死にたい』・・とは全く思いませんでした。
頭の中にあったのは私が生きるか死ぬかよりも子供達の人生の方だったからです。

そしてわかった、私の中に君臨する『母』の存在。

絶望して悲しんでいる場合ではありません。
私は、私の中の『母』の存在を解消するために『何をどう変えたらいいのか?』を本格的に考え始め、必死になりました。

・・それまでの私はいつも『自分は不幸の星の下に生れたのだ』と思い、自分の身の回りに起こる出来事に悲しがったり悔しがったり、自分を憐れむだけでした。
子供の頃からいつもいつも泣いていました。
自分が可哀そうで。
そんな受け身で、諦めの人生・・
離婚するまで、ずっとそうでした。

しかしその時の私は心底『この人生を変えて、子供達も自分もハッピーにする。』と思ったのでした。
『何があっても変えたい』と。
・・本当の意味でそんな強い気持ちになったのは生まれて初めてかもしれません。

いろんな心の疲れが重なり限界に達したことで、それまで築いてきたいろんなものをぶち壊し捨てた、
そしてここへ来てもっと大きな『限界』を感じた・・・

そこで起こったパラダイムシフト。

離婚した→ブラックリストで行くとこない→実家に入った→パラダイムシフト→実家出たい!
もう滅茶苦茶ですが、逆にここまで滅茶苦茶だと捨てるものがなくフットワークは軽いです(ぉぃ

次にもっととんでもない展開になります。

離婚届を提出して気持ちが落ち着いてからは、何度かお金のことやらいろいろな決め事等で旦那さんと話し合いをしていました。
気が付くとそれまで話せなかったようなことも(前は私が受け付けなかったので)、『離婚して他人になった』ということでいろいろな心のしがらみナシに冷静に話せるようになっていました。
私の方が例の実家での壮大なパラダイムシフトを経て全く物の見方が変わったというのもあります。(というかそれが大きいんですが)
・・そのまっさらな目で物事を見、考え、話すようになっていました。

そしてそんなこんなで話しているうちに旦那さんが言いました。
「一体、なんのために離婚したんだ?」

何のために、、
正直私もわからなくなっていました。

子供達が望んだわけでもない・・どころか泣いていた下の子・・
ただ私の感情で『離婚したい』と思っていた。
・・でも理由は・・今冷静に考えるとそれらは本当に『私の中で正しい』理由だったのか・・・
そもそも歪んだ目で全てを見ていた。。
そして『離婚しないから私は不幸なんだ、離婚さえすれば全ては上手くいく、幸せになれる。』と盲目的に思っていた。
・・その根拠は・・?
実際幸せになるどころか、環境以外何一つ変わらない・・それに気づいた私・・・。

そんな時に旦那さんは言いました。
「まあ、俺も添加物のこととか、ほんとにみんなの体を心配して言ってはいたけど、それによってみんなが嫌な気分になって結果こうやって離婚しちゃって関われなくなったら結局なんも守れないんだしな。。本末転倒だ。意味がなかった。」

そして、
「ていうか、もう離婚届も出しちゃったしこんな状況だけど、俺の意見は前と何にも変わんないよ。別に帰って来たっていいし。こんなにまでなっちゃったら周りは許さんだろうが(笑)まあ、帰って来なくてもそれはそれで、俺は自分の人生を生きてくしかないからな。影響の輪の範囲でやれることとやるべきことをやってくだけだ。」と。(影響の輪とはたぶんコヴィー博士の『七つの習慣』からの言葉でしょう(笑))

・・私はその時、なにか張り詰めていた気持ちが急に脱力したような感覚になりました。
いろんなものに囚われていた苦しかった自分からなぜか解放されたような気持ちになったのです・・。

もしかして旦那さんに「戻って来てくれ!」とかいう風に言われたらこうは思わなかったのかもしれません。
「どっちでもいい。俺は大丈夫。」その言葉で一気に心が軽くなったというか・・
『私は一体、何にそんなに追い込まれていたのだろうか?
そんないろんなことを全部私が背負い込んでいるような気持ちになる必要はあったのだろうか・・
別に縛られていたわけじゃなかったんじゃないか。』
ということにその時初めて心の底から気付き、そのことで本当の意味で心が解放されたのかもしれません。

本当は常に自由だったのではないか・・・。

何のために離婚したのかというのなら、
強いて言えば勉強のためか・・。
いや、私が『気づく』ためだな・・。

私は思いました。
『自分の人生なのだ・・私の人生は私が常に自由にできるのだ・・・。
誰に振り回されたとしても流されて決めた事だとしても、結局は最後は自分自身で決めている。そして自分で決めたようにしかならない。
誰のせいでもない、私が決めているのだ。
誰にどう見られる?非難される?・・いや、そんなこともういいや。迷惑をかけないために、褒められるために、立派であるために自分の気持ちを放棄するなんて選択はもうやめよう。
結局選択したその結果を生きてくのは自分であって、他の誰でもないんだから・・・。』

そして、そう考えた時に私はどうしたいのか?
本当に本当はどうしたいのか?

実家を出ることはまず私の中で決まっていました。
そもそも最初から、保証会社がダメだったとは言え、それなら保証会社を入れていない昔ながらのやり方のままの古いアパートの大家さんも探せばいるんじゃないか、ということを知り合いの不動産屋さんには言われていました。
どんな古い小さなアパートでも、なにがなんでも見つけるぞ!という強い気持ちがあれば探せていたかもしれないところを、私は母の「保証会社がダメってことは借りるなってこと」「贅沢」「ここに住めばいい」などの言葉に簡単に心折れて、実家に入ることを中途半端な気持ちのまま選択したのです。
自分でもどこかに『ちゃんとしてないところじゃ不安だな~』とか『あんまり古くて小さなところじゃ子供達可哀そうだな~』とか『我儘で別のところに住みたいみたいに思われるのやだな~』みたいなヘタレた心も確実にあったと思います。
要するに私が実家に入らざるを得なくなったのは、ブラック云々よりかむしろ私のヘタレた心の方が大きな原因だったのだと思うのです。
・・なのでまた不動産屋に頼み込んで、今度は母に何と言われようがどんなボロアパートだろうが(失敬)覚悟を持って何がなんでも見つければ実家を出られるのだということは頭にありました。

・・しかし、ここへ来て旦那さんといろいろ話して、
『果たして元の家を出て行く必要があったのか』ということを考えた結果、
私が思ったのは
『気付いたんだし帰ればいいじゃん・・』
ということでした。

もちろん『都合の良い風に考えているだけなんではないのか??』『ただ安易な方向をまた選んだだけなんではないのか??』ということもよ~~く自分に向かって問いかけました(笑)
そして子供達とも話し合いました。
考えて、話し合って、また考えて・・・

・・そうして離婚届けを提出してから3か月。
正に“舌の根の乾かぬうちに”、周囲も役所の人も開いた口が塞がらない選択・・
私は家に戻ることを決めたのでした。

まあ、この短期間というのもありいろいろと自分勝手を絵に描いたような行動ですが、
長年いろんなことを我慢しすぎて限界に達し爆発した結果のハチャメチャ加減のような気がします(爆)
いえ、真剣な話、もしも私に『子供を守るぞ』っていう強い意志がなかったら、人を振り回す勇気すらなく、ともすれば自殺という行為に向いてしまっていたかもしれないとも思うのです・・・。
それくらいの溜まりに溜まった、積もりに積もった『負』のエネルギー、そしてヘタレ具合でした。

関わった全ての人に迷惑をかけて、更にまた迷惑をかけまくることは百も承知でしたが、
それでも私はやっぱり離婚が『間違い』だったことに気付いたのだから、戻るというのが自分にとって一番素直な選択じゃないかと、正直にそう思ったのです。

(つづく)

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