36話 毒母との生活での気づき 2

結婚と離婚
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前の記事のつづき)

確かに、再び舞い戻った実家での生活は子供の頃と同じ状況でした。
しかし一つ大きな違いがありました。
今の私には『守るものがある』ということです。
子供の頃の私にはなかったもの・・

守るものがあること、
これはこんなに人を強くしてくれるものなのだということを、私はこの40代にして初めて心の底から知ったのでした。

“子供の頃非力だった”、
何もできず自分のやるせない感情に折り合いをつけるために自分を責めて感情を閉じ込めることしかできなかった幼い自分、
それは『妥協』であり決して『納得』ではなかったこと・・それに気づかなかった子供の頃。
自分の心に無理やりついた嘘はずっと消えずに私の心の奥底で熱く熱く悔しさとなってくすぶり続けていたこと・・
そしてそれに気付かないふりをして何事もなかったように生きてきたこと・・
煮えたぎるような悔しさと悲しさと寂しさの存在を心の奥底に押し込めて封印し、表面は常に平穏を装い・・

私が、自分が自分じゃないような、自分を生きれていないような気持ちでずっと生きてきたのも、何をしてもどこか違和感を感じていたのも、自分の中に様々な大きな『嘘』が常にあったからなのだと今では分かるのです。
私はあらゆる場面で私に嘘をつき続けてきました。
子供の頃から身に染み付いた上手く生きたいがための辛い嘘です。

しかし、私はここへ来てやっと気付きました。
『嘘』や『ごまかし』では自分以外の何も守れないのだということを。
自分の心の中で何を捻じ曲げることはできても、そこにある『真実』は何も変わらないという『事実』です・・・。
『自分一人で生きるのではない』という強い決意をした時に、自分自身につく嘘などなんの役にも立っていないのだということに気付かされたのです。

何かを守るためには自分を責めることだけではダメなのだということを私は思い知りました。
自分を責めて、ただ自分の中で腑に落とす作業をしていても実は何も解決していません・・。
私の中でだけの、しかも『見せかけ』の、『嘘』の解決は自分の心を一時的に楽にすることはできるかもしれません・・けれども自分の大事なものを救うことはできないのです。

『私が』母に嫌われず、捨てられないように上手くやって行くための単なる防衛策はいわば『その場の自分のため』というつまらない小さなものでしかなかったこと、
それに私はやっと気づいたのです。
私のやっていたことはなんの価値もなく、意味もなさない行動です。

なんだか何度も同じことを書いてしまうような気がします・・。
でも、本当に大事だと思うので、ずっと言い続けようと思っています(笑)

大事なのは無理やり納得して自分の中で折り合いをつけ収めてしまうことではなく、“真実を見ること”一点なのです。
真実を見なければ実は何も解決せず、自分以外の何も守れないのです。

例え自分が傷ついても、誰に嫌われても、どんなに痛くても、何かを守りたいのなら真実を直視してきちんと対処する事が必要なのです。
・・それを私は、この再び舞い戻った実家生活、子供達2人を引き連れての母の管理下の生活で痛感したのです。

実家での権力争い(笑)のような毎日は始終ピリピリしていて、そこはもう平和な世界とはかけ離れていました。

分かっていたことですが、
この家では母の言う通りの『良い子』にしていれば守ってもらえますが、
そうでない限り『平和』は訪れないのです。

最初からなんとなく分かっていたことだ・・というより確信に近かったのかもしれません・・・。
だからこそ別の場所で暮らしたかった。実家には入りたくなかった。
なのに、できなかった・・・。

そして出した答え。

「やっぱりここに居たらダメだ。」

です。

私は実家に来てから数か月間の間に、昔のことを次から次へと思い出していました。
閉じ込めていた嫌な思い出から何から、いろんなことがまさに走馬燈のように頭の中を駆け巡りました。(走馬燈って、あの影絵がクルクル回る灯りのことです)
・・そして怖くなりました。

一体母はどこまで、私や私の子供達を自分の世界に取り込もうとしているのか・・
母は「親のところにいれば何の心配もない。あんな旦那といるよりずっと安全に暮らして行ける。」とずっと言っていましたし、自分でもそう信じていたのでしょう。
確かに食べていく心配等はないということなのかもしれません。
まあ、あまり給料をもらえないままの、いわば自分のお金がない私にとってはそんな安心は全くありませんでしたが。(むしろ親が老いた時の心配をしていました)
母にしてみれば私達が母の望むような生き方をしていればずっとサポートしてくれるつもりだったのかもしれませんし、
若い頃から自営業の共働きだった父と母にはその根拠となるいくらかの財産もあってのことなのかもしれません。(実際知りませんが(笑))

・・しかし子供達の夢は・・私の夢は・・
“夢”というのは大げさな言葉かもしれませんが、『自分で描くもの』全てを指してです。
自分で未来を思い描き、自分で切り開く喜び、そして心の底から『自分を生きられている』と思える人生・・・
これらを“夢”とするならば、夢は誰かの支配下では得られません。
確かに『安全』ではあるかもしれません、でも『自由』はないのです。
この時代に、この国に生まれて、
自由がないまま、このまま母にとっての『正解』の世界の住人として母に支配され、母と同じ場所で生きるという本意ではない人生を私は選択しているのだ、
それに子供達も巻き込もうとしているのだ・・
そう思ったら寒気がしました。

いろんなことが頭を巡りました。
・・離婚やお金の話し合いをした時に旦那さんに言われたことも。

「このまま行くとかん子の未来は容易に想像つくぞ。
親の世話になりながら実家に住んで、親の店を手伝って、子供達はやがて巣立つだろうけどかん子はそのまま実家にいるだろう・・
お母さんは店を引き継ぐとか言ってるけど、きっとずっと辞めないよ。
かん子が大変な仕事をやってくれればお母さんは楽だから辞める必要がなくなるからね。
もともと美容師の仕事やお客さんとの会話が好きなんだもの、なんだかんだ言って辞めずに自分が死ぬまでそこで経営者としてかん子を使って仕切るだろう。
身内なら他人と違ってそこそこの給料で使えるし、何でも思ったようにしたいお母さんだもの、自分が全部指示してかん子が稼ぎ出したお金をピンハネする、こんな美味い話はないんだよ。
もちろん悪気はないだろう。でもやってることはそういうことなんだよ。
かん子のお母さんはいつもそうだ。。いつも何でも自分に都合のいい方に持って行ってしまう。
それでお母さんがほんとに仕事が完全にできなくなって店がもらえたとしてその頃かん子はいくつだ?
それに個人の美容院なんてその頃にはやっていけるかわからないんだよ?昔と違うんだしそういう時代だもの、、
でもお母さんは自分で仕切って自由にさせないにも関わらず、儲からなくなったらそれをかん子のやり方とかやる気のせいにして終わるだろう。。
一代目で築いたものを二代目が潰すってね。よく言われるやつだよ。
『やっぱり私がすごかった、偉かった、かん子じゃダメなんだ』『かん子のせいでお店はダメになった』てなる。
・・そしてその先は親の介護。親にとっては何の心配もない将来だ。でもその先かん子はどうするんだ。
何もかも、お母さんの思い通りだな。
かん子は最初からずっとそうだ。お母さんの作ったシナリオ通りに動いてる・・。
俺はそれが恐ろしかったよ。
お母さんが離婚しろって言ってる以上、絶対離婚はするだろうとも思ってた。
この家の土地の名義もかん子だろ、これは離婚することを前提にしてお母さんがかん子に決めさせたことだぜ。
俺はここに住む以上土地の代金をかん子に払っていくことになる。ほんとに上手く考えたよな。
・・全部そうだ。ずっと言ってきたけどかん子には伝わらなかった。俺は敵だと思われただけだった。残念だ。悔しいよ。」

・・確かに口は悪いし、私や私の親に対して身も蓋もない失礼な言い方です。
『私の親をそんな敵みたいに悪人みたいに言うなんて酷い』と、思ってました。
・・そんなことを言う人といつまでも一緒にいること自体、自分の親に申し訳が立たないと心苦しさでいっぱいでした・・。

だけど・・・真実です。
認めたくないけれど、全部その通りで、たぶんそうなっていくでしょう。
母に悪気があるわけではありません。母は母の正義で動いています。
そしてなにより、私のことを思ってやっていると母自身も固く信じています・・。
でも・・
旦那さんよりずっと母という人間を良く知っている私でも、この先その母がどんな行動を取っていくかを冷静に客観的に考えた時・・
そこには全く旦那さんが言うのと同じ将来が見えて来るのです・・・。

私は涙が出ました。
・・悲しかったのでしょうか、悔し涙でしょうか、、なんでしょうか?
もしかして認めたくなかった真実を直視した事の衝撃かもしれません・・。

今思うと、最初から全く聞き耳持たず何も聞こうとしない私に対しての、伝わらない旦那さんの悔しさもあったのかもしれません。
それは私が母に対して持った怒りと同じです・・・。

私は思い返しました。
結婚してからずっとのことをです。

『私の築いてきたものってなんだったっけ・・
守りたいことってなんだったっけ・・
本を読んだり、不安な中で試行錯誤して自分なりに一生懸命考えてやってきたことってなんだったっけ・・
なんのためだっけ・・・』

子供達のために一生懸命考えてきたこと、大事な子供達が私のような失敗をしないためにと学び考えて築き上げようとしていたもの、
築きかけたもの・・その全てが今まさに打ち砕かれようとしている。
『私』といういわば『不幸な失敗作』をもう一度作ろうと母はしている、同じ過ちを過ちとも気づかずになぜか『よかれ』と思って平然と作り出そうとしている・・・
そういう場所に私は自ら戻ってしまった。
いつもと同じように・・
分かっていたはずなのに。

・・というか私のこういう行動こそが母が正しいことを証明するような行動なんじゃないか?
母が自分の過ちに気付かないのも当たり前・・
思えば母は私の苦しみを何一つ知らないままだ。
そりゃそうだ、だって“ちゃんと”伝えてない。
幼い頃からずっと、ずっと。
『ほら、やっぱり私が正しかったじゃない。』
いつもそう思わせてしまっていたのは何よりこの私なんじゃないか・・・

・・そう、私は何も変わらない。
いえ、何も変えようとしていない。
だから変わらない。
『苦しい』『辛い』『不幸だ』と言いながら同じことを繰り返したがってるのは自分じゃないか・・・

ほんとは旦那さんに言われるまでもなく分かっていた。
分かっているのに見ない振りをして・・
分かっているのに認めないできた・・
不安だから、怖いから、自信がないから。
現実を直視してしまったら絶望してしまうから。

そのために大事なものが壊れるのを、目をそらしてまたそうやって黙ってじっと我慢してやり過ごす気でいるのか・・
本当は心の中に激しい怒りと恨みを溜めながら、“そう仕向けた”誰かを憎んでそれを無理やりしまい込んで・・
それで人生を逃げ切れればそれでいいのか・・?
戦わずに逃げ切れればそれが幸せか・・?
自分だけが逃げ切れれば・・?

私は自分に問いかけました。
『かん子、お前はほんとに子供のことが大事なのか?
自分が大事なだけじゃないのか??
人のことを本当に考えたことはあるのか?
自分のことしか考えてないんじゃないのか??
いつでも、常に、ずっと、ずっと、自分を守りたかっただけなんじゃないのか???』

もうそれは、誰に対する怒りでもなく、私自身に対する怒りでした。
いえ、怒りよりもむしろあまりの自分の愚かさに自分が恥ずかしくなりました。。

『恥ずかしい?アホか!また自分を責めて終わりか?恥ずかしかったら変えるんだよ!自分に顔向けできるように、自分に対して堂々と曇りなく生きれるように!なにより本当の“人のため”そして大事な“子供のため”に!』

私は、本当の意味で自分と向き合いました。
・・情けない顔をしていつも逃げて誰かのせいにして不幸ぶっている卑怯な自分を直視したのです。

私の人生はずっと『不幸』でした。
環境がどうのではありません。
『不幸』というのは、どんな状況にいても、どこへ行っても苦しかったからです。
いつも『逃げたい』『死にたい』と思っていたからです。

私にとって、自分の大切な子供達が私のようなこんな気持ちになるようなことは絶対にあってはならないことです。
それだけは絶対に、絶対に嫌でした。

旦那さんの言っていたことはそれから一つ一つ思い出されました。
確かに酷いと思われるようなこともたくさん言われたと記憶しています。
・・しかし、正しいことや、私の本当の理想に近いことや目を背けてきた真実のことも確かに私に伝えていました・・
私はそのことについては考えることはありませんでした。
ふと私は旦那さんの悪い面ばかりを考えて敢えて良い面を無視し続けてきたのではないかと、
母の『自分に都合の良いことしか見ない』態度を見て自分に重ね合わせて考えたのです。

旦那さんは『悪い人』『離婚するべき人』
その理由を一生懸命に探してしまっていたのではないか・・・。
私は自分の目でちゃんと真実を見ていたか、自分の頭でちゃんと考えていたか、
離婚になるようなフィルターを通してずっと旦那さんを見て来たのではないか、
良いことでも悪いことでも全て『こうなればいい』と自分の思ったように物事を見ていたのではないか?
その『こうなればいい』は母に言われてきた、いわば自分の中での正しい『こうなるべき』事に過ぎないのではないか?

私は真実を見ているか?
今はどうなんだ?

離婚の話をした時に私は旦那さんに言いました。
「私はみんなにとって何が一番いいのか、どうすれば一番いいのかが分からなくて分からなくていつもずっと考えてきた。そして出した答えがやっぱり『離婚』だったんだ。その決意は固いからどうか離婚してください。」と

それを聞いた旦那さんは私に言いました。
「どうすればいいじゃなくてどうしたいかだろ。」

それを聞いた私は怒りました
「私はいつもみんなのことを考えて選択しているけどあなたはいつも自分のことしか考えてないからそんな発想になるんだ!」と。

・・でも、本当にそうでしょうか。。
わからない未来のことやみんなの気持ちを勝手に想像してこっちの方がいいんだと決めつけて自分の気持ちをないがしろにして行動することが、
本当に『みんな』のためなんでしょうか・・・。

私はそうやっていつでも自分が我慢してみんなのために良かれと思うことを勝手に想像してやってきました。
誰も望んでいないかもしれないことを勝手に想像して、です。
しかも自分の気持ちを犠牲にしていることで結局後になって人を恨み嘆くのです。
『私は自由にできない!』と。
そして勝手に限界がきて自滅です。
・・果たして誰が私が自滅することを望んでいるというのでしょうか・・
私の言う『みんなのためを思って』する選択は、本当に『みんなのため』で『正しい』選択なのでしょうか?

母も旦那さんも誰も本当の私の気持ちなど本当には分からなかったように、
自分以外の人の気持ちなんて自分の想像の範囲でしかなく本当にはわからない、
未来も同じく実際にどうなるかなんて本当には分かり得ない、
・・・だからこそ、唯一分かる自分の本当の気持ちに従って、自分の責任において選択することが、
誰のせいにもしない、自分で満足のいく、だから最善を尽くせる、結果みんなが一番納得いく選択になるのではないのではないかと今は思うのです。

それまで私は何一つ『自分で』決めることはなかったように思います。
周りの『せい』でそうせざるを得なくなって、周りに『させられて』選択していたのです。
全てが受け身の人生でした。
受け身だからこそ私の身に起こる全てのことが外的な要因によって決まると思っていて、
そのために、何が起こるか、人に何を言われるか、どうされるかが怖くて、何一つ自由がありませんでした。
物事を自分で自由にできるという発想自体がなかったのです。

自分で決めることは『悪』という潜在意識が深いところにあったのかもしれません。
そう教え込まれ育ったから当然なのかもしれませんが、旦那さんにいくら指摘されてもそれらの言葉は全く刺さらないどころか私を否定する『モラハラ』のようにしか受け取れず、よってその当然と思い込んでいた『間違い』にも全く気付けずにいました・・。
私は旦那さんの言葉に本当の意味で耳を傾けたことはなかったのだと思います。
私もまた母と同じように、『自分を疑うこと』をしなかったのでしょう。
するのが嫌だったのでしょう。
それまでの自分の常識が間違っていたのかもなんて認めたくないから。
なにより自分がかわいいから。

私は母に似ていました。
自分はそうはなりたくない、そう強く思っていた母と、やっていることがそっくりだったのです。

思い当たることは他にもあります。

母の、人が思い通りに動かないとガンガン物に当たって威嚇してくる態度、
あれは私が旦那さんにしていた態度です。
言葉で言わず態度で不機嫌を伝える、
何も伝えず『私がこんなに不機嫌なのはあなたのせいなのよ』と分からせようとするのです。
なぜ不機嫌なのかは言われなくても自分で気付きなさい、という気持ちです。
そこには『私は正義なのだから怒って当然』という思い込みがありました。
しかも自分は正しいことをしていて相手は間違ったことをしているという前提が根底にあるもんだからやっているうちにどんどん相手が憎らしくなってくるのです。
『こんなに私を不機嫌にさせて!!』

どうして言葉で伝えないのか、、何が不愉快なのか、どうして欲しいのか・・
それは今回大人になってから一緒に暮らして改めて母に対して思ったと同時に、自分も同じことをやっていたと気づいた部分です。

面白いことに、私は母にされた態度をそのまま旦那さんにやっていました。
自分でされて嫌だったことにも関わらず、それでもそれは『正しいこと』かのように私も同じに行動していたのです。
・・・しかも自分では気づいていませんでした・・。

そして母に対する、気を使って自分の気持ちを言えず縮こまっていつも被害者でいるあの態度、
それを旦那さんにも同じ態度で接していたのです。
だから旦那さんに対して私はいつも被害者でした。

いえ、思い返してみたら旦那さんだけではありません。
私は今まで接してきた全ての人に対して“母と同じ態度”を取り、
“母に対する態度と同じ態度”を取ってきたのではないかと思えてきたのです。

そういえばそうでした。
相手が誰でも、例え母のような威圧的で言う事をきかせようとする人ではなくても、です。
全ての人に対して、母にしてきたような態度で接すれば上手くいくとどこかで思っていたのです。
いえ、それ以外の接し方を知らなかったのかもしれません。

私の行動は全て私の中にある『母』がお手本。
つまり『母』というものに支配されていたのです。

私はずっと『旦那さんは私に言う事をきかせようとしているのだ』というのを前提に接してきたように思います。
だからこそ、私にとっては『敵』だったのです。
私を変えようと攻撃してくる敵です。
そしていつも仕方なく流されて言う事を聞いてきました。
言う事をきかないと『怒られる』からです。
怒られることが極端に怖かったのです。
怒られないようにビクビク、恐怖の中生きていました。。
それで限界がきて私の感情が爆発すれば大喧嘩で怒鳴りこちらも攻撃が始まります。
常にやるかやられるか・・みたいな生活、誰と一緒にいてもそんな張り詰めた空間にいた私、
非常に『お疲れ様』です(笑)

旦那さんが言った「かん子はどこへ行っても一緒」という言葉。
・・確かにその通りでした。
どこへ行っても、誰といても私は同じです。
言ってしまえば、私の中に『人は母と同じ』という思い込みがある限り、どんな素晴らしい人格の人といようが誰といようが『母と居る』のと変わらないのです。

私の中の一番のラスボスは、旦那さんでも誰でもなく、『母』だったのだということに、いわばラスボスの元に舞い戻ったこの状態に追い込まれたことでやっと気づいた私だったのでした。

まずやらねばならないこと、、
それは自分の中にある『母』との関係を見直し、自分を『母』から解放させることです。
それができなければきっと私は旦那さんに言われた通りにどこへ行っても何も変わらないのです。
私にとって一緒にいる人はみんな『母』なのですから・・・。
私の中に『母』がある限り、どこへ行っても『母』は付いてくるのですから・・・。
それはきっと母がこの世にいなくなったとしても、です。

母を変える云々ではありません。
そもそも母を変えることはできません。
それとは全く別の話です。
私の中の母との問題を解決するのです。
いえ、分かりやすく言えば、私の中の、母によって埋め込まれた『絶対的だ』と思っていた思い込みの数々を解消するのです。
そして、世の中には母とは違ういろいろな人がいる、母とは違ういろいろな常識がある、母だけが絶対的に正しいわけではないのだということを本当の意味で理解するのです。

生きて行くことに不都合な思い込み、恐怖など、考えればあれもこれも、疑問を持つべきことは次から次から出てきました。
私はそれまで自分の当たり前だと思っていた常識について、それが正しいのか間違っているか、はたまた自分にとって良いことか悪いことかなんていうことをいちいち考えず、というか何一つ直視して考えようとして来なかったのです。

『もしかしてあれも・・これも・・・?』みたいな感じです。
もう不正受給の件から何から、です(笑)

私はもうそんな風に頭の中に怒涛の考えを駆け巡らせました。
今まで生きて来た人生全てにおいての問題点をひっくり返して考えました。
それはもう小さな時分の記憶まで・・・自分が辿れる限界まで遡って考えたでしょうか・・・

たぶんその時の私はちょっとおかしかったと思います(笑)
自分が生きてきてずっと『正しい』と思っていたもの、根本の『前提』の部分がそもそも『間違いだったかもしれない』と疑問を持った瞬間、
自分の見える世界が180度変わったような感覚になり、
この天地がひっくり返ったような戸惑いをどう処理したものかと、
考えすぎて頭がヒートアップしていました。

そう、前提が変われば全てが変わります。
私は本当に混乱していました。
一体何が正しいのか、何が間違っているのか、自分の今まで見て来たものは何だったのか・・・
何かもっと手がかりになるヒントが欲しかったのかもしれません、哲学の本やら心理学の本やらもその時に読み漁りました。
私はその時たぶん生まれて初めて、本当の意味のまっさらな目で情報を取り入れることを知りました。
それによって世界の広さを知り、夢中になっていました。
それまで『歪んだ目』で見ていたものを読み返したりもしました。
・・そこには今まで理解していた事と全く違ったことが書かれているようにさえ感じられました。

なんかいちいち大袈裟ですが(笑)
・・今思うと、これがパラダイムシフトというやつなのかもしれません。

そんなこんなで私は、とにかく“なる早”で実家を出ることを決意し、そのためにどうするかを考え始めるのです。

(つづく)

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