それからの生活は酷いものでした。
思うに、私の今までの人生の中で一番、夢も希望も何も無くしてしまった絶望感漂う日々でした。
なので実は今でもあまり思い出したくはないのですが・・
時間をかけて振り絞って書いていきたいと思います(笑)
母は私達と暮らし始めてから、なかなか思うようにいかない私達に日々苛立ちを募らせていっていました。
「まったく言う事をきかない!!」
「まったく思ったようになりゃしない!!」
「あたしゃ神経がおかしくなっちゃうよ!!」
それが母の口癖のようになっていました。
「洗濯物干しなさい」
「とり込んでたたんじゃいなさい」
「お風呂入っちゃいなさい」
「お風呂出る時にはお風呂場を全部タオルで拭いて出なさい」
「勉強やりなさい」
「〇時には寝なさい」
「もう仕事はいいからご飯作っちゃいなさい」
・・・
私と子供達は、まるで自分で何かを考えて行動することが『悪い事』ででもあるかのように、
細かいことをことごとく一つ一つ指示されて、それをこなさなければいけないようになっていました。
子供達はこの時期に、母に勧められるがままに学習塾にも通い始めます。
子供達の学力やいろんなことが他の子よりも劣っているんではないかと必要以上に心配していた母は、周りに遅れを取らせないためにどうすればいいかということでいろいろと頭を悩ませていました。
下の男の子などは字が下手で集中力がないことから、母は「発達障害かもしれない」とまで言って心配していました。
他の子に負けないようにとあれもこれも・・いろんな習い事を提案してきた母ですが、とりあえずなんとか学習塾だけでいいという事は通させてもらいました。
子供達が自分から望んで行くのでない限りそこまで忙しく大変なことは無理やりやらせたくなかったのと、お金の面でのことも考えてです。
もちろん、学習塾に行かせるお金の余裕もなかったのですが、母の「お金は私が出してやるから行かせなさい。」という言葉で、個人指導の一教科月15000円の塾を決めました。
母に「塾に通わせてやんないなんて子供らが可哀そうなんだからね!」と言われたのが心に突き刺さったのと、
私にも『親のお金の事情、私の至らなさで塾に通わせてあげられないのは申し訳ない・・』という大きな罪悪感がありましたので母の提案を断ることはとてもできなかったというのが本音です。
・・まあ本来、私と子供達との間に『親子で一緒に協力し合って生活していく』という強い意志と信頼関係があるならば、可哀そうなことなんて何もないのだと今ならば思えますが・・
当時の私にはそんな考えなどただの理想主義の甘っちょろい戯言のようにしか思えませんでした。
お金もなし、やっていることも全然ダメで自信をすっかり無くしていた私にとっては、
もうほんとうに自分の考えなどゴミ屑のようなもんで、母の言うことの方が現実的で正しいのだというふうに思わざるを得ないような心境になっていたのです・・・。
このようにして私は、ことごとく何か物事を選択しなきゃならない場面になったその時々に於いて、気が付けば母への依存度が深まる方向の選択を、流されるように自然としてしまっていたのでした。
・・と同時に、流されれば流される程ますます自信を無くしダメダメになっていく自分を感じていました。
依存すればする程自分一人の意志では何にもできない状態を作っていくということなのですから当然です。
・・しかし考えてみればこの一連の私の選択とそれが招く状況への流れの全て、
これらは一言でいえば全部私のその『自信の無さ』が原因だったのだということが今ではわかります。
もちろん、お金も力もないのだから仕方なかったとも言えますが・・
そもそも元から私には『自信』というものが欠けていました。
それは幼い頃からずっとです。
物理的な事に対する自信よりもむしろ“自分の気持ち”に対する自信が全くありませんでした。
自信がないから軸がなくフラフラしている、自信がないから流される、自信がないから依存する、、というように、
結局その自信のなさが全てを、物理的にさえそういう『自信の持てない状況』にさせてしまっていたのだと今では思うのです・・・。
つまり“不幸の星の元に生れた”んではなくて、自分に染み付いてしまった習慣やら思い癖、自信のなさによって取ってしまう私のその行動全てが、結果自分の不幸な状況を作り出してしまうことに繋がっていたに過ぎなかったのです。
そしてそのことに本当の意味で気付くまで私は、まさか自分の首を絞めているのが実は自分だったなんて発想はこれっぽっちも頭になく、ただただ自分の身に起こる全てを周りのせいだと思い「どうしていつもこうなるの?!」と嘆くことしかできませんでした。
・・そう、こうやって問題が自分の中にあるのだということに何一つ気づかない間は、『一体周りの何が問題なのか』をずっと探し続けなきゃならなくなるのです。
何かから逃げてみたり、何かと戦ってみたりと・・永遠に苦しみながら在りもしない問題解決策を探し彷徨い続けるんです・・・。
実家での生活ですが、娘はそれからも何かあるごとに度々母とやり合うようになっていました。
その都度母はどうにかして私に昔したような同じようなやり方で私の娘のことも抑え込もうと必死でした。
『言う事をきかせる』ために「これやんなきゃこれやってやんないよ!」などの『脅し』、「これやればこれ買ってあげる」などの『誘導』等、
なんとか孫を自分の思う『良い子』にさせるために必死でした。
・・そう、良い子にさせることが正しいことであり使命だと思っていた母は必死でした。
ちなみに母の思う『良い子』とは、
言う事をなんでもきき、素直で、“ちゃんと”していて、母に感謝をし、思いやりを持ち、気遣いができる子です。
母に言われたことをすぐにちゃんとやり、口答えなどしない子です。
疑問など持たず、母の言ったことを『正しいこと』として全て素直に受け入れる“ひねくれていない”子です。
勉強ができて、明るく元気で、大きな声で話し、いつも笑顔で挨拶もきちんとできる、どこに出しても“みっともなくない”子です。
言われたことをちゃんと一生懸命頑張れて努力ができて、でも自分の好きな事や母が意味がないと思う事にハマってやりすぎたりはしない子です。
お行儀が良くて、場の空気や人の気持ちを察することができ、忙しい親等を気遣って手間をかけさせないめんどくさくない子です。
母が怒ったり傷つく地雷を絶対に踏まない子です。
何も教えなくても最初から『常識』的なことは何でも知っている子です。
自分のことよりも親のことを優先的に考えられる優しい子です。(母方の肉親以外に対してはそんなお人好しではいけません)
・・まだまだあります。
それらの価値基準に根拠のようなものはあるのか分かりませんが、母には母の思う『良い子』の像がありました。
・・そしてきっと母にとって『完璧』な良い子はいません。
一つできればまた次、足りないものを次々に求めてきます。
終わりはありません。
子供は永遠に自分に『不足』を感じたまま、それは『劣等感』となり『足りていない罪悪感と焦燥感』に駆られて完璧になるために努力をし続けるのです。
何のため?自分の向上のため?幸せになるため?
・・いいえ、違います。
それはただただ、永遠に埋まることのない母の不安を埋めるため・・です。
しかし母はそれらを子供に求めることを昔から『子供のことを思っているからだ』とか『親の愛情だ』と言っていましたし、
私自身幼い頃から「お前のためを思って言っているんだ。」というふうに言われ続けていたのでそうなんだと受け取っていました。
・・とはいえさすがになにかずっと追い立てられているような責められ続けているような辛い気持ちではあったので、常に屈託なく笑えない複雑な子供の頃の私ではあったわけですが・・
それでも『親の愛情に嫌な気持ちになるのは悪い子だ』という思いもあり、半ば無理やり自分を納得させていたように思います。
それから母は子供達の進路や習い事等以外にも、ほんとうにいろんなことに口出しするようになっていました。
塾へ行ってちゃんと勉強して、ちゃんと大学に入って、地元の中小企業に勤めて親の近くで生活させれば安心、結婚は早めにさせて・・・みたいなことまで勝手に計画を立てていました。
それを子供達に言い聞かせたりだとかもしていました。
・・私はそんな母と子供達を見ているうちに昔の自分を思い出すことがかなり多くなっていきました。
母の言葉や剣幕を見ているうちに、忘れていたいろんなことが昔の自分と重なり、徐々にあの頃の苦しい思いが蘇ってきたのです。
ただ、私の子供の頃と違って、子供達には自分の意志がありました。
なのでなかなか全てがすぐに母の思い通りというわけにはいかず、当然母とは折り合いが悪く喧嘩になるというわけです。
母にとっては私の子供達はいわゆる『悪い子』でした。
母はイライラしていました。
「なんでこんなに言う事きかない悪い子なんだろ!大人に対して口答えして普通じゃないよ!かん子の育て方だね!旦那の悪影響のせいか?」
「ちゃんと躾けないと可哀そうなのは子供なんだからね!!」
「ほんとにちゃんとしてない!ダメだこれじゃ!」
・・母に反発を繰り返す子供達とそれに対して怒りをあらわにして暴言を吐きまくる母、しかも母はそれを店でもどこでも『悩み』として言いまくります。
その状況に初めのうちこそオロオロどうしていいかわからなかった私ですが、
いいかげん子供達の事を言われ続けているうちに、なにか今までにない抑えきれない大きな怒りが沸いてくる自分を感じるようになっていました。
そして・・・
「自分の意見をちゃんと言える良い子達なのに、何が悪い子なん?何が問題なん??!!問題なんて何もないじゃない!!」
とうとう私は母に対して怒鳴っていました。
手がブルブル震えていました。
私は葛藤します。
毎日の生活を平和に楽しくやっていきたい、、でも怒りが抑えられない。
私はなんとか『母に解ってもらおう』と必死でした。
・・それでも威張り散らし、自分の正義を押し通そうとしかしない母。
何も聞いてくれない。私が渾身で発した言葉も何一つ受け取ってくれない。
それどころか母はますます自分に楯突く私達を敵だと言わんばかりに否定しました。
店のお客さんやいろんな人に相談して母側の味方にして、なんとか私側が間違っていることを認めさせて収めさせようとしていました。
・・いつものやり方で。
状況は私の方が断然不利です。
迷惑もかけたし世話になって依存しているのですから。
誰がどう見ても私側のやっている事が『悪い』のです。
なにより何の力もないのに本来何も言える立場ではありません。
確かに「どの口が言ってる!」と言われてもおかしくありません。
でも私は葛藤しました。
私には大事な子供達がいます。
・・子供達を幸せにさせたい、私のようになって欲しくない・・
その思いはとてもとても大きなものでした。
そんな生活の中で徐々に私と母の大喧嘩も増えていきました。
かと言って母も行く所がない私達を追い出すようなことをする気はなく、私達が路頭に迷うようなことは望んでいませんでした。
だからこそ、私達を自分の言う事をちゃんときく『良い子達』にさせようと必死でした。
そうすれば悪いようにする気などなかったのです。
そう、母は母で、母の理想の形で私達と『平和に』やりたかったのです。
私達の望む形とは全く違うものでしたが・・・。
『平和に』やりたかったのはみんな同じなのです。
もちろん子供達も。
喧嘩をしたいわけでもないし、殺伐とした毎日なんか送りたくありません。
・・しかしやはり、どんなにしても私にはもう母の思う『良い子』になることはできませんでしたし、
なにより子供達をそう(かつての私のように)させるのは絶対に嫌だという強い思いが私の中にありました。