33話 毒母との同居生活 1

結婚と離婚
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実家は総二階建てではなく、二階には昔私と弟が使っていた洋室が二部屋とトイレが一つ、小さめのお風呂があります。
私と子供達は、その二階を使わせてもらって生活することになりました。
キッチンとリビングは二階にはないので一階で両親と一緒に使う形です。

実家の冷蔵庫はものすごいことになっていたので、できれば冷蔵庫だけはもう一つ欲しいと思いましたが・・
そんなお金も場所もないので我慢です。

とりあえず、昔買ったものからなにからギュウギュウ詰めで奥の物が腐っているような冷蔵庫だったので、
私達の分の食材も入るようにまずは冷蔵庫の掃除から始めました。
それからキッチンをちゃんと料理ができる状態になるくらいに整理です。
「毎日一番使う場所なので、使いやすいようにしないと毎回大変だから。」という理由で、いらない物等捨てることに母に協力してもらいました。

いわば私の意志で勝手にプチ断捨離みたいなことを始めたようなものなので、母は終始気に食わなさげにブツブツ言っていました。
『文句』というより『言い訳』に近いでしょうか。
なぜか母は私に向かって一生懸命に言い訳をしていました。
「仕事してると家事なんかそんなにちゃんとできないんだから、そんな専業主婦みたいにちゃんとしようと思ってちゃやっていけないよ!仕事してるとそんな時間ないんだからね!」とかいうことをとにかくずっと作業している私に向かって言っていました。

今思うともしかして母は自分のキッチンを私に変えられてしまうのを見て、たぶんそれまでの自分が否定されたように感じたのかもしれません。
私は子供達のご飯を作るために、きれいに、とにかく使いやすくしたい一心でしたが、その裏で母はそれに別の意味を持っていろんな思いを巡らせていたのだと思います。
キッチンが汚いことを私に責められているかのように感じたのかもしれませんし、バカにされているように感じたのかもしれません・・

とにかくそれから母は家でも店でも、そのことについて
「専業主婦は暇だから家事をちゃんとやれるけど仕事中心でやっているとちゃんと家事できなくて当たり前なんだ、仕事をやるなら家事はある程度適当にやらなきゃ続かない、そんな凝ってやる必要はない、お金にならない家事よりもお金になる仕事をやる方が偉い・・・」という意味合いのことを一生懸命に言い続けていました。
お客さんももちろんそれに同意し、母を励まして「あなたは正しいわ。」ということを伝えていました。

私はというと、それを聞かされているうちにまるで自分が間違ったことをしているかのような後ろめたい気持ちに徐々になっていったのを覚えています。
・・まあ、昔からのいつものパターンです(笑)

そう、何をするにも結局は母が正しくて、私は間違っているのです。
そこへ持って行くまで母はずっと自分の正しさをあらゆる手段を使って証明し続けるのです。

子供達ですが、男の子と女の子というのもあってそれまでずっと一人一部屋使っていたので、ここにきて3人で二部屋というのは少し戸惑いがありました。
リビングがあれば私はそこに居れますが・・二部屋以外に居場所がないので必然的にどちらかの部屋に居ることになります。
勉強している横でテレビを見ているわけにもいかず、私は空いた時間に通信教育でマッサージの勉強をすることにしました。

美容の仕事にもいろいろあり、もともと私はエステやマッサージの方に興味があったのもあり、
今後お店を引き継いだらそういうのも取り入れて行こうかなという思いもありました。

そんなこんなで子供達も気持ちを切り替えてくれたようで、なんとか学校も休むこともなく徐々に通常の生活に戻ろうとしていました。

しかし、母は違いました。
最初は私が思い通り離婚してホッとしたのと、なにせメチャクチャな状況だったので私達と一緒になって夢中で物事をこなしていましたが、
少しずつ落ち着きを取り戻していくうちに、私達が入って来たことで自分達のそれまでの生活が乱されることに気づき始め、徐々に不満を募らせていったのです。
母のイライラは日増しに大きくなっていくようでした。

私としてはそういう母の性格は良く知っていたので、
最初こそ「かん子がやっと離婚して心配事がなくなったことだし、息子の家族も呼んでみんなをハワイ旅行にでも連れてってやろうか!」みたいなことを言って喜んでいましたが・・
暮らし始めた後にどうなっていくかは想像できましたし、それも含め一緒に暮らすのは無理だと最初から強く思った私なのでした・・・。

それに、私は離婚してハワイ旅行なんて心境では全くありませんでした。
母の心配事は私の旦那さんの存在でしかなかったのかもしれませんが、私の心配事は『これからの生活』いえ、『これからの自分と子供達の人生』でした。
母の思いと私の心には明らかに『ズレ』があったのです。
・・私はすごく複雑でした。
確かに『強くやって行こう!』という前向きな気持ちではあったはずなのですが、全然スッキリなどしていませんでした。
そしてそれはたぶん、子供達も同じでした。

ある日の夕飯時、下の子(男の子)がリビングでうずくまったまま顔を上げなくなりました。
どうしたんだろうと心配になって顔を上げるように何度も声をかけると、うずくまったまま
「パパはゲーム一緒にやってくれたりしたんだよなぁ・・・」と小さな声で呟きました。

顔を上げられなかったのはたぶん泣いていたのだと察したので、そのまま落ち着くまでそっとしておいて先にご飯を食べましたが・・
正直私は動揺していました。

旦那さんに対する子供達の気持ちを、私はもしかして全く分かっていなかったのではないだろうかという考えがその時頭を巡りました。
『子供に買って来たパンを投げ捨てるようなことをする人を、子供達だってきっと良く思っているはずはない、子供達のためにも離れなければ。』と思っていた私です。
自分のためもありますが、子供達の事も思った上での決断・・のはずでした。

私はなにか、胸が締め付けられるような痛さを感じていました。

上の女の子はというと、普段は口数は多い方の子なのですが、
この時離婚のことには殆ど何も触れず不自然なくらい淡々と学校のことをこなしていました。
・・今思うと、敢えて考えないように?言わないように?していたのかもしれません・・。

そう思うのは、昔自分にもそんな過去があったことを思い出すからです・・。
子供の頃の私は、よく嫌なことがあるとそれらから目を逸らして敢えて考えないようにして淡々と日々を過ごしていた、そんな子供でした。

そしてそんな子供達の様子をやっと落ち着いて見られるようになってきた頃、私は自分の心の中に少し戸惑いと共に迷いが生じ始めるのを感じていました・・・。

(つづく)

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