(前の記事のつづき)
実家に来てバタバタしているうちに一週間くらいがあっという間に過ぎました。
(あまりにバタバタしていてテンパっていて記憶が定かじゃないところもありますので、多少話が前後したりするかもしれません;)
子供達の学校ですが、通学班の事などいろいろあり引っ越しや住所変更等がちゃんとするまでのしばらくの間は、学校に連絡して私が車で朝送って行くことにしていました。
しかし困ったのは荷物。
とりあえず子供達のすぐに必要な物と、いくらかの期間過ごせるだけの身の回りの物だけしか持って来なかったため、もう一度ちゃんと取りに行って、引っ越しを完了させなければ足りない物もそのうち出てきます。
学校の物もまだ持って来なければならない物がたくさんありました・・
・・しかしこの状態・・・。
一切喋りたくもないし顔も合わせたくないとか言っていた私が、まだ何のほとぼりも冷めていないような時期におめおめと荷物だけ取りに行くことができるのか・・・
なにせ感情任せの考えなしの行動ばかりしてるもんですから私は後から一つ一つのことでその都度頭を抱えます;
(考えなしというか頭が悪すぎるレベルです;)
勢いに任せて家を飛び出して来たはいいけれど、やらなければならないこと、考えなければならないことが山積みで、もうどうしたらいいのかということだらけでした。
そんなこんなしているうちに時間はどんどん経過していって、いよいよほんとにいろんなものが足りなくなってきました。
とにかく私は『どうやって荷物を取りに行くか?』ということを考えました。
しばらく考えたのですが、自分の荷物の事を人に頼むわけにもいかずどうにも思い浮かびません。
・・そして至った考えが、
『とにかくどうにしろ、どんな形であれ旦那さんと直接話をしないわけにはいかない状況である。』ということでした。
やってることはめちゃくちゃですが、もうしょうがない感じで私は旦那さんと連絡を取る決心をするのです。
(大騒ぎしていた割には普通にこんな考えに至っていること自体、
実はそんな大した状況じゃなかったこと、「荷物なんかいらない!」くらいに鬼気迫る状況でもなんでもなかったということが伺えます・・。)
・・まあ、旦那さんには弟に話をしてもらったことで状況も少し落ち着いた(だろうと思った)というのもあります。
弟によればとりあえずは旦那さんは状況を把握して理解を示してくれていたとのこと・・
それまで無言で出て行った私に対して旦那さんがどんな感情を持っているのかが分からなかったもんですから、
弟に様子を聞いたことで『もしや怒り狂ってるんではないか』・・みたいな勝手な想像をして怯えていた私もほっとしたというか・・
『引っ越しするために荷物を取りに行きたい旨を伝えるくらいなら大丈夫か・・・』みたいにいけしゃあしゃあと考えられるようになったのです。
(いろいろ自分勝手も甚だしくツッコミの言葉もありません)
ということで、私はとりあえずメールで、黙って出てきてしまったことへの謝罪と荷物を取りに行きたいという旨を伝えることにしたのでした。
非常に気まずい以外の何ものでもありませんがそんなこと言っていられません;
しかし旦那さんはというと、普通に返事をくれました。
『まあなんかよくわかんないけど子供達の無事が分かったから安心した。』ということと、『必要なら荷物は取りに来ればいい。』ということです。
さすがに旦那さんの方もいろいろ疲れてしまったのか言葉少なで離婚のことも特に触れませんでした。
私はしばらく考え、普通に話ができそうだったことと、取りに行く日程や時間など、
何かと決めることがありメールでやり取りも大変なので電話で話そうという気持ちになってきました。
・・この時既に家を出てから2週間くらいは経っていたでしょうか・・。
私はその間、なんというか、この非常に中途半端な状況の中で子供達の学校のことやら仕事やらをとにかく必死でこなして生活していましたが、
なんとか滅茶苦茶だったところから少しずついろんなことの目途がついていったので、気持ちも徐々に落ち着きを取り戻していきました。
そして旦那さんに電話をかけるに至ったわけですが・・
そこで言われたことに少し拍子抜けしました。
「なにも離婚調停なんかしなくても、協議離婚で書類書けばいいんじゃないか?今回のゴタゴタで滞ってた仕事の方も進めなきゃならないし俺も疲れたよ。」と。
正直私の方も子供のことやら生活のことでいろいろ精いっぱいでしたし、協議離婚ですむならこんなに有難いことはないので、
それならそういう方向で話を進めようということで合意し、荷物を取りに行くのと同時に協議離婚の話し合いをするという流れになったのです。
ということで、私は気持ちを『引っ越しと協議離婚の準備』へと切り替え、早速引っ越し業者を手配し、市役所に離婚届けをもらいに行ました。
これでやっと『きちんと』引っ越しをすることになります。
協議離婚の合意書については旦那さんがひな形を見つけてパソコンで作成してくれるということになったので、後はその内容の話し合いです。
引っ越しの方は、業者の方にお願いして一日で荷物を全部運んでもらい、協議離婚の話し合いは、家が実家に近いのもあり、それとは別の日程で何度か通って進めることになりました。
そして話し合いの結果、合意書の内容は、養育費、私の当面の生活費等、旦那さんも子供達のことを考えてできる限り私にとっての悪くない条件を提示してくれました。
旦那さんはその時
「しかし、離婚する意味があるのかねぇ、こんな状態にまでなったけど、帰って来たいなら離婚取り消しにして帰って来たっていいんだからな?」
ということを口にしました。
私は正直『これまで日々の積み重ねで散々辛い思いをさせられて来て限界に達したというのに離婚する意味がないなんてこの人は何にもわかってない!』と心の中で思っていました。
もちろん私の決意はとても固く、考えを変える気はありませんでした。
というよりとにかく周りの人達に顔向けができるように離婚は絶対に成し遂げなければ・・と、使命のように感じていたのを覚えています。
旦那さんは更に言いました。
「離婚してここから逃げても、お母さんのところに行くなら何も変わらないと思うけどな。。おまえはどこへ行ってもずっと同じように苦しみ続けるよ。」
私はその意味深げに言った言葉にとてもムッと来ました。
『私を散々追い詰め苦しめたことを棚に上げて全ての私の不幸が全部私自身が原因みたいな言い方して!』と、
旦那さんの方こそ今まで自分の発した酷い言葉や態度等いろいろ反省するべきだと心の中でメラメラと思っていました。
とにかく、協議離婚の合意書と離婚届けを記入してもらい、ハンコをもらうと、一件落着という感じで私は意気揚々と市役所に向かいました。
『これでやっと離婚ができる』『やっと終わる』
私の中には『離婚という一つの使命を遂行する立派な自分』という、その図しかありませんでした。
・・というか、どこかにあったのは
『成し遂げれば母に認めてもらえる。』という気持ち、
・・・『どこか』というより、もしかしたら無意識に私の中で一番強かったのはこの気持ちだったのかもしれないと今思い返すと感じるのです。
もちろん自覚はしていませんでしたが・・
今考えてみると、私の全ての基準は子供の頃からずっとそれだった、いや、それでしかなかったのではないのかとすら思うのです。
何をやっても結局最後は母の言っていた通りになってしまうこと・・。
私はそれをいつも不思議に思っていましたし、
母も口癖のように「どうせ何でも最後には私の言った通りになるんだから全部最初から言われた通りにやればいいのに、この子はひねくれてるからいつも最初は反抗して違うことをやって失敗する。本当に遠回りばっかりして損な人生送ってるんだから。
私はカンがいいし、お前のことは何でもわかるんだから、ちゃんと言う事を聞いて素直になればいいのにねぇ。」と言っていました。
それを聞く度になにか非常に複雑なモヤモヤした気持ちになっていた私なのですが・・・。
今になって考えたらこれは、私の潜在意識が母の言ったことにロックオンされて『言う事を聞く』のが使命になってしまい、無意識にそこへ向かって行ってしまっていたからなのだと思うのです・・
そしてこれこそが私の人生のパターンになってしまっていたのだと考えるととてもしっくりくるのです。
その結果が本当に私の望んだことであるかというと、いつもモヤモヤした気持ちであることからも、『そうではない』のは本当は明らかでした。
考えてみたら母の望みと私の望みが違うのは当たり前のことです。
むしろ一致する方が稀です。
母と私は親子と言えどまったく性格も違う、別の人間なのですから。
でも私はそんな単純なことが本当の意味で分かっていなかったのです。
当たり前のことですが、結局母に言われた通りの場所に向かい行き着いても、それは母の望んだ場所であって、実は私が望んだ場所ではありません。
それでも私の心にはかなり根深く母の『思い』が侵食してしまっていたせいか、一体どこからどこまでが母の思いなのか、どこからが自分の思いなのかが、正直すっかり分からなくなってしまっていました。
そして何か自分の本当の気持ちとのズレ(違和感)を感じれば常に自分を責め、一生懸命に辻褄合わせをしようと努力をしてしまう方向に行ってしまっていたように思います。
・・それ程までに当時の私の心は母との境界線がぼやけてしまっていたのでした。
結局私の『自分の人生を生きれない苦しみ』は全てそこから来ていたのだと今では分かります。
自分の本当の人生を生きたいという人としての本来の欲求と、それを否定する気持ちと・・私の心の中では常にその二つの気持ちが戦い続けていました。
そしてその戦いで疲弊していました。
・・だからでしょうか・・私は常に魂の抜けたような死んだ魚のような覇気のない顔をしていました。
今では私は母とは別の人格を持っている別の人間なんだということがはっきりと自覚できていますが、
以前の私は頭の中がごちゃごちゃでした。
母の思考をそのまんま自分の思考だと思い込んだりもしていました。
いえ、『そうであるべきだ。』『それが正しいことだ。』更に言うなら『そうでない私は悪い子だ。』『悪い子は存在してはいけない。』と思い込んでいたというのがより正確な言い方かもしれません。
・・とにかく複雑すぎました。頭の中のベクトルがもうほんとにあっちゃこっちゃに行ってしまっている状態とでも言うのでしょうか・・
それゆえ自分の持つ何の力もちゃんと発揮できないようなやるせないジレンマをいつも自分の中に抱えて生きていました。
当然自信もありません。
何をしても心から楽しくない、どこにいても常に心はモヤモヤしている状態。
私には『この場所で満足』と思えるような満たされた気持ちの時はなく、いつもいつも人生に不満を溜めていました。
自分で歩いて行ったはずなのに、気が付くといつの間にか嫌な場所にいて自分の人生ではないような道を歩んでいました。
『ここは私のいる場所じゃない』『違う場所へ行きたい』と、いつも、どこへ行ってもそう思っていました。
かと言って例によって自分の判断でどこかへ向かったとしても、そこはとても『居てはいけない居心地の悪い場所』『間違っている場所』に思えて結局そこには居られないという状態になります。
どっちにしろ満たされません。
『自分て一体何なんだろう??』
『自分は何を望んでいるんだろう??』
『自分はどうすれば満足なんだろう??』
行きたい場所へ向かうと不安と罪悪感、居ていい場所にいても不満・・。
この『これじゃない人生』が私の生き方のパターンであり普通。
当然人生なんてつまらなく、逃げたい気持ちでいっぱいでした。
そしてそんな、どこへ行ってもつまらなく苦しく不満ばかりの自分を、私はいつしか我儘でダメ人間なカスだと思い込むようになっていました。
『なぜ私は自分の人生を生きれていないような虚しいような気持ちがいつもしているのか』
昔の私はいつもそんなことをぼんやり考えていましたが、
それもこれも全て、自分の本当の心がいろんな複雑なフィルター(母の願いに対する義務感や正義感や罪悪感等いろいろ)を通してわけが分からなくなって、本当に望む人生を選ぶ判断力がすっかりなくなってしまっていたからなのだと、今では分かります。
いわゆる『ものを見る目が歪んでしまっていた』てやつです。
・・だからこそ私には、例えばただそこにあるだけの世界が地獄に見えたりだとか、ただの人が敵や極悪人に見えたりだとかいう現象が起こってしまっていたのです。。
そんななので私はどこにいてもどこに行っても違和感満載で、常に不安か不満を感じ、満たされたことはたぶん・・一度もありませんでした。
というわけで、離婚が難なく成立したことで離婚調停をする必要もなくなったので、
家庭裁判所に調停取り消しの連絡を入れ、離婚調停と引っ越しの件はこれでとりあえず一件落着(?)したのでした。