27話 仕事を辞める、そして離婚までの経緯 5

結婚と離婚
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前の記事のつづき)

その頃は、東日本大震災での原発の事故があってから何年か経った頃で、
世間では放射能が人体に及ぼす影響などもいろいろと取り沙汰されていました。

旦那さんは仕事柄か(ネット上で仕事をすることが多い)、いろいろな情報をたぶん人より多く早くキャッチすることに長けていました。
・・しかもかなりの心配性で、物事を深く考えるタイプなので、
放射能のことも、いろいろな情報を知れば知る程かなり心配している様子でした。

私はというと、どちらかというと考えたところでどうにもならないと思ったことは敢えて考えないようにしてしまうので、
放射能のことも、今すぐ対処する必要がある事以外はあまり深く考えないようにしている感じでした。
実際、どの情報が本当に正しいかなんて分かり得ませんでしたし、それに一喜一憂していても毎日の生活に支障をきたしてしまうので、
それよりも目先の・・毎日のしなきゃならないたくさんの事を必死にやっていたといった感じです。

食事もそうです。
どこの何が危ないから・・とかが正確にわからないからと言って『ちゃんと全てが明るみに出るまで何も食べないでいよう』なんてわけにはいきませんし、
毎日子供達は成長し、時間が容赦なく流れる中で、
世の中がどれだけ騒ごうが、私は時間になれば買い物に行き、ご飯を作り、一日を滞りなく終わせるように毎日の家事を精いっぱいこなしていました。
『あんまり考えてたら何もできなくなっちゃう!』という気持ちが強かったと思います。

なにせ日常生活の中での毎日やらなきゃならない細かな雑用や家事育児等に関しては旦那さんにはできることが殆どなく、
全部私が一人でやらなきゃという気負いが大きかったのもあり、やることに追われ過ぎていろいろ考えるのが面倒だったのもあります。
・・なので、よかれと思っていろいろ調べて説明してくれたり、放射能に関する知識の本なんかを買ってくれたりする旦那さんに対して、
正直かなりイライラしてしまいました。

心の中はこうです。
『私に読んで勉強してこの通りにやれっていうの?そんな不安なら自分で読んで自分でやったらいいのに。
いつもやるのは私であなたは言うだけ。言うだけなら何とでも言えるよね、その通りに実行することがどれだけ大変か、やらない人にはわからないのよ!』

私は、そのことについて旦那さんに何か言われるたびに、
『もういい加減にしてくれ』という面倒くさいような嫌な顔をして睨み返すようになっていました。

・・それから程なくして、今度は旦那さんは添加物についての問題提起をしているブログを読み始めます。
そしてそれもまた私にいろいろ言うようになります。

例えば「スーパーで売っている物は危ない」だとか、「日本は添加物の規制が甘いから国内の物はダメだ」とか、
スーパーやコンビニのお惣菜等はもちろん、チェーン店等大手のお弁当屋の弁当なども以ての外だし、
市販されている調味料などにも言及・・・本当にいろいろです。
当然安いファミレス等での外食はおろか(何を使っているかわからないので)、
たまの手抜きしたい時にそこらへんの店でちょっと買って来る、なんてこともできなくなりました。

この頃の私の心は
『放射能のことでも面倒で仕方ないのに今度は添加物???もういい加減にして!!』
です(笑)

・・私はもう、いろいろ言われているうちに、
何をどこで買ったらいいか、何を作ったらいいかもわからなくなり、
買い物から始まって食事を作ることの一連の作業全体が目眩がする程のストレスになってしまっていました。

とは言っても旦那さんも全く協力してくれなかったわけではありません。
添加物のことを言い出してからは、「なるべく安全なものを」と、道の駅に行ってわざわざ地元の野菜を買って来てくれたりだとか、
肉屋さんで安心できる良い肉を買って来てくれたりだとかもしていました。

・・しかし、なにせ私にとっては毎日のことです。
いつもしてくれなかったことをやってくれているのは有難いのですが、、
旦那さんが気が向いた時にたまにやってくれても実はあんまり意味がないというのが私の気持ちでした。
・・こんなめんどくさいことを旦那さんが定期的に(3日に一度とかの食材が無くなった時に)この先もずっとやり続けられるとも思えず、
何より『ちゃんとした』物を買うにはスーパーでチャチャっと済ませるのに比べたらお金がかかるので、無理があります。

『せっかく近くにスーパーがある便利な場所を選んで土地を買ったのもこれでは意味がない、
なんでただでさえ大変なことに更にこんなに労力をかけなきゃならないんだろ・・・こんなことがこれから一生続くんだろうか・・・』
もうそう思い始めたら、旦那さんが決めたこの家の構造のこと、布団が干せないだとかシャッターがないだとか屋上が邪魔だとか・・
その時は納得したものの不便に思っているいろいろなことに対する不満などまでまた再び頭の中を駆け巡り始めるようになってしまいました。

『そういえばこれも、これも、これも・・・
もしかして一生私はこうやって旦那さんの言い出す事に振り回されて、普通の生活さえ送るのが困難な状況をこの先もずっと続けなきゃならないんだろうか・・
私はただただ、平和に心穏やかに毎日の生活を送りたいだけなのに・・
今回のことが終わったとしても次にはきっとまた違う何かを言い出すだろう、そうしたらまた新たな悩みに振り回されなきゃならないんだ・・
それの繰り返しがこれからもずっとずっと続くのかもしれない・・・』

次第にそんな風に考え始めた私は、なんだか一気にやっている全てのことに疲れ果て、未来への希望も何も無くなってしまうのを感じました。

この時私が友人に言っていた言葉は、
「なんだか暗いトンネルの中にいるみたい、旦那さんと一緒にいる限りはこのトンネルからは一生抜けられないのかもしれない。」
でした。
友人達は不幸のどん底にいるような顔をしていた私を一生懸命に励ましてくれていましたが、
私はもう何を言われても一切前向きな考えにはなれないような心理状態になっていたように思います。

『私は一体どうしたらいいんだろう』
・・そればかりをグルグル考え、誰に相談しても全く答えが出ず、占いにも行きました(笑)

もちろん母には常に家庭の状況は訊かれていたので、その都度話してはいましたが・・
『ほらみろ!私は最初っからあの男とはやっていけるはずがないって言ってるんだ!早くに別れた方がいいって言ってるのにいつになっても別れないのが悪い!
すぐにでも別れな。今ならまだ私達だっていろいろ協力はできるんだから。店もあるし、お前は離婚したって何にも不自由はしないはず。
親はいろいろ考えてるんだから。本当にお前のことを思ってるのは親なんだからね?』
と、とにかく早くに別れることを促す姿勢はずっと変わりませんでした。

そんなこんなしているうちに、私の気持ちは不安定なまま本格的に離婚へのカウントダウンを始めるのです・・・。
・・と、同時に、やはりお金に対する不安です。

『いつ離婚になるかわからない。でも離婚したら2人の子供を抱えて経済的にやっていく自信がない。
この不安を無くすためにもやはりもう一度、母の言った通り美容師として働いた方がいいのかもしれない・・。
母は私に店を譲ってくれるって言ってる、
前の時は従業員という立場だったけれど、今度は自分が店を受け継いで経営するということなのだから全く違うことだ、
今度は私が自分の店をちゃんと一生懸命やる、そうすれば私一人でも子供を育てるだけのお金は稼げるはず!』

完全にその気になります。

とにかく『あの時とは違う、今度は自分でやるんだ!』ということを強く思っていたのを覚えています。
・・というか仕事に関しては、なんだかもうその選択以外にはないような心境だったと思います。

ほんとうに、自分自身の決意もクソもなく全部母に言われたことに流されてそのままその気になって考えていただけなのがよくわかります・・。
自分では何も考えられないうんこでした。はい。

そんなこんなでとうとう私は、辞める時あれほど最悪な思いで懲り懲りしていたにも関わらず、
再び店に戻って仕事を再開する決意をするのです。
ブランクは約2年でした。

母は喜びました。

(つづく)

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