(前の記事のつづき)
母の店を辞めて、『それまでのストレスはなんだったんだろう』・・くらいの感じで母へのストレスから解放されました。
お金は、まだ子供達が小さかったのもあり私が働かなくても何とかやりくりすれば旦那さんの稼ぎだけでやっていける感じでしたので、
しばらくは働かずに家にいようと思っていました。
目が開きづらいのが治っていなかったのと、度々目眩が起こることが不安だったというのもあります。
家でゆっくりしていれば治るんじゃないかと、少し思っていました。
けれども、仕事をやめて毎日家にいるようになって程なく、
私のストレスが職場によるものだけではなかったのだということを改めて思い出すことになります。
旦那さんの仕事は自営で、家で仕事をしています。
そのため、家を建てるに当たって、旦那さんの職場である事務所を家の一角に作りました。
・・そこで毎日仕事をしているので、ずっと家にいて時間も自由で不規則です。
朝寝て夜起きる、といったことも多く、家の事など、、町内の行事、子供の行事、昼間必要なことは殆ど何もできません。
仕事だけをひたすらやっている、といった感じでしょうか。
会話も仕事の話、ビジネスの話です。
・・と言ってもよくわからない私はいつもただ聞いているだけといった状態でしたが・・
私の思う普通の家族の他愛ない会話・・・というのとは全く違う感じでした。
そしてこの状態に、私はなんとも言えない違和感と孤独をどこかでずっと感じていました。
言ってしまえば、旦那さんの行動の全ては、私の持っている『常識』からはかけ離れたものだったのです。
私の中にある『そうすべき』ことから外れていることは多く、
毎日の生活の中でそれを感じる度に私の不安や不信感、不満は溜まる一方だったように思います。
旦那さんが行動をするたびに、私の頭の中にはなにかいつも『こんなでいいのだろうか・・』という不安が駆け巡っていました。
そしてその気持ちを共有する人がいないという孤独も強かったのだと思います。
仕事の話しかしない旦那さんとは、私が本当に話したい子供のことやいろんな生活のこと、楽しいことなどは全く話せず、
常識やいろんなことのズレから私は『旦那さんはなにか違う』という、
いわゆる『普通の自分』とは違う、まるで言葉の通じない別の世界の人といるような寂しさを感じ、
分かり合える人がいない、自分の気持ちがわかってもらえない、自分は一人ぼっち、という恐怖にも似た心細さと不安が募っていきました。
ただでさえ子育て中は不安だし孤独です。
何もわからないまま子供の成長に伴ういろいろな変化、幼稚園から学校といった状況の変化が否応なしにやってきます。
常に不安の中でいろんな新しいことを手探りでこなしていかねばならない私にとっては、
正直誰でもいいから精神的に支えてくれる人、相談できる人が欲しいといった気持ちは常にありました。
そんな中、私が仕事をやめて少しほとぼりが冷めた頃に、母が頻繁に連絡して来るようになりました。
仕事はやめましたが、親子の縁を切ったわけではありません。
最初の顔合わせの事件、結婚式、物件探しの件もあったように、もとから母はいろいろなことに口出しをしてくる人でしたが、
家も実家から車で10分程度の場所に建てたことで、母の方も孫のことを気にかけたり、何か食べ物を持ってきてくれたり、
時には「どっか食べに連れてってやるよ」と言われたりと、ちょこちょこ世話を焼いてくれるようになりました。
・・確かに仕事の事やいろんな事の経緯を考えると、母との関係性には他人には理解し難いような共依存特有の独特なものがあったように思えますが、
とにかく不安と孤独の精神状態の中、2人の子育てと家事に追われ常にいっぱいいっぱいだった私にとっては、
誰のどんなちょっとの手助けでも、本当に助かるという気持ちがありました。
旦那さんは、頻繁に自分の家に親が来るだとか、実家に行き来するだとかといった状況が『普通』であるという常識は持っていませんでしたので、
当然私のそんな親との関係を良くは思っていなかった様子でしたが、
私は、子育てやら私の大変と思っていることに何の協力も、相談すらできない旦那さんには何も言う権利はないと思っていました。
旦那さんの出来ていない部分をうちの親がサポートしてくれていることで私がなんとかやれていて、
それによって旦那さんも煩わしいことをやらずに仕事に集中できる状態になっているのだから、
不満どころか『私と私の実家』に感謝すべきだ、と、私は頭の中で考えていたのを覚えています。
・・それが良いとか悪いとかではなく、その時の私はそのように考えていたというのが事実です。
考えていただけで旦那さんに言葉にして伝えたことはありませんでしたが・・・。
なんというか・・『そう思うのが当然でしょ』くらいに考えていました。
旦那さんも私も、お互い『自分の考えが正しい』と思っていました。
そして『自分のやっていることが正しい』と思っていましたので、全て相手にとっても『よかれ』と思ってやっていました。
特に私は『家庭には正解の形がある』と思っていて、それに近づけようと努力する私の方が正しいと思っていましたし、
『相手には相手の持っている常識や理想があり、そもそも家庭にはいろんな形があり、正解なんてものない』、などということは考えもしませんでした。
自分達の家庭は自分達で作るものであり、
夫婦となる二人がお互い相手の持っている常識や価値観を考えながら、自分達なりの環境を考慮したりお互いへの思いやりを持ったりして、
お互いにとって、家族みんなにとって良い状態になるように協力して作り上げていくもの、
それが親から教わったやり方や人の家のやり方と違ったとしてもそこは問題ではない、
とかいう夫婦協力体制的な考えは全く私の頭にはありませんでした。
『正しい私(と、私の親)の言った通りにするのが正解なのに』って感じでしょうか(笑)
旦那さんが私の思った通りの人間になって、思った通りの幸せな家庭の形を作ることこそ自分の思い描く幸せだとでも思っていたのでしょうか・・・。
ぼんやり思っていたことをこうやってはっきり言葉にすると、酷い考えをしてたことがよく分かります(笑)
人を自分とは別の人間として尊重し、その人と上手くやろうという姿勢がミジンコ程も感じられません。
人の気持ちなんて考えていなく、自分の都合の良いように人が変わってくれないことに腹を立て、
自分はというと、相手の考えを受け入れる努力なんて何一つしていないのです。
(そもそも自分が正しいと思っているので何も変える必要はないと思っているのです)
・・なんだか私はとても母に似ていたように思えます・・・。
母の考え方がそのまま私の考え方になっていたといった感じでしょうか。
・・こんな状態で、私はいつでも自分だけが我慢していると思っていましたが、
少し考えれば、自分だけでなく相手も不満を溜めている状態なのはわかることでした。
一緒にいる人が不満を溜めているのに、そこにいる自分が気持ちよく居られることなんてありえません。
それで口では「幸せになりたい」なんて言っていたんだから(もしくは意識下で思っていたんらから)ヘソで茶が沸きます。
ほんとに誰かにそっくりでした・・・。
そんなで、私がこんな様子でしたし、もちろん夫婦の信頼関係も成り立つはずはありませんでした。
それどころかお互いがお互いへの不信感を持ち、考え方のズレによる不満も募る一方でした。
溝はどんどん深まり、夫婦の信頼関係の成り立っていない不穏な空気の家庭は、私の思い描く『幸せな家庭』からはどんどん遠ざかっていったのでした。
そんな中、母は私に、今後の人生についていろいろ言ってくるようになります・・・。