職場(母が経営する美容院)について少し書こうと思います。
母の経営する店は、いわゆる田舎の小さな美容院です。
母が30歳くらいの時に始めてから常に、母と従業員1~2人の計3人くらいで経営してきました。
従業員は私や母の妹といった身内の時もあれば、普通に一般から募集して雇っていたこともありました。
入れ替わりもけっこうありましたが、他人を使うことがいろんな面でしんどくなってきたというのもあり、
徐々に身内だけでより小さくやるようになっていた、そんな状態です。
そして私が出産後の3~4年のブランクを経て再び店で働き始めて2年くらい・・
内部の人間関係は最悪でした(笑)
母、母の妹、私、の家族経営ということで、仕事とプライベートのラインを引くのがお互いに難しくなってしまいがちなのも余計にトラブルが起きやすい要因だったのですが、
もとから性格の合わない母と母の妹、 そこに私も加わって、日々のいろんなお互いの不満やストレスが積み重なり、店の空気は悪くなる一方でした・・・。
お客さんがいる時間はまだ紛れるからいいですが、いなくなった時の店はもう険悪ムードそのもの。ピリピリして息が詰まる思いでした(笑)
もともと自分側の視点で物を見る傾向の母は、人の上に立って人を使うこと自体向いていないのだと今は思います。
子育てに限らず『人を育てる』ということがほんとに苦手な人でした。
過去何人か身内ではない従業員を雇ったこともありましたが、 みんな最後は険悪なムードになって辞めています。
そして今でも母は、その辞めて行った従業員達がどんなに至らなかったか、その子達にどれだけのことをやってやったかということを時々話します。
思い出すといろんな怒りが沸いてくるようです。
それとこれは職場にいる時に限ってのことではないのですが・・
母は人に言葉で説明して何かを伝えることをとにかくしない人でした。
たぶん言葉を使うことが下手なのと、なにより『伝える必要がない』と思っています。
意図的にやっているというよりか、
自分が思っていることをみんなも同じように思うのは当たり前、と思い込んでいるといった感じでしょうか・・
『人それぞれ感じ方が違う、人には伝えなければ分からない』、という前提は母にはないように思えました。
特に職場では、、
母が思っている『あるべき職場の形』が存在し、それをみんなが何も言わなくても共有すべきと思っているようなところがありました。
これは母の言動からの私の推測でしかないですが・・
多分、母は「料亭の板前」みたいな立ち位置なんだと思います。
従業員は母の『見習い』であり『アシスタント』。
なので、いちいち言われてから何かをやるようでは失格です。
言われなくとも最初から全てに気を回していろんなことを自分で感じ取らなければならないのは当たり前。
母の動きに常に気を配り、母が動けばサッと的確にアシストする。
その合間に母を見ながら技術を盗む、といった感じが母の考える正解の形でしょうか・・・。
従業員は常にいつもボスである母の思考を完璧に読み取り、間違えることなく全てのことを母の思った通りにこなすのが理想で、
そこから外れれば、外れたこと一つ一つ全部が母をイラ立たせる要因になります。
そう考えると始終イライラし通しでずっと怒りに満ちているのもわかる気もします・・。
母にとっては何も言わずに自分の思った通りに動かないやつは「どいつもこいつもダメ」なのです。
(なんか『プラダを着た悪魔』を思い出しました。あれです。)
・・まあ仕事に関して言えば・・
程度にもよりますが、どんな店でも従業員がいろいろと気を利かせるのは一般的な常識だと私は思いますし、自分から積極的に仕事を探すのも大事です。
・・・しかしそれが全て何も言われなくとも上の人の考えと一致するというのはまた別の話で、もし一致させたいならお互いが理解できるルールとコミュニケーションが必要になります。
というか本当に重要なのは一致する正解を探させることではなく、自らの責任において仕事をするという『主体性』を持ってもらうことなはずだとは思いますが・・それはここでは置いときます。
確かに板さんの見習いなら何年かはそんな感じの下っ端的な厳しい修行の時期はあるのかもしれませんし、
効率的であるかは別として、大きい美容院でも最初の何年かはそのようなシステムを取り入れて育てるというやり方をしているところはあるのかもしれません(いまだにあるかわかりませんが)
それは業種に限らず、その店その店それぞれのやり方があっていろいろですし、間違ってようがなんだろうがみんながそれを納得して働いているなら問題ありません。
・・しかし、少なくとも母の店がそういう形態なのだと理解して納得して働いている従業員はこの店には誰もいませんでした。
要するに、前提もわからないし伝えられることもないので、全てがあやふやでどのような形態で働いていいのかも全員がよくわからずに手探り状態でやっていたということです。
みんなそれぞれに最善を尽くしてはいますが、
それが母の理想と違えば母は言葉での説明でなく突然機嫌を悪くし、嫌味を言ったり物に当たったりの態度やらで威嚇したりして分からせようとします。
しまいには、お客さんに向かって従業員への不満を遠回しに、従業員にわざと聞こえるように言ったりすることも。
・・しかし、何がどう間違っていてどうして欲しいのかは結局はっきりとは分からずじまい・・・。
・・これは客観的に考えれば人を使うための良いやり方とは言えません。
それで人間関係や仕事の効率など、店にとっての何かが良くなるはずはないのですが・・・
自己中心、つまり他者の気持ちを考えられないと、人を扱うのにそういう非合理的なやり方を平気でしてしまうのも珍しくはないことなのかもしれません。
自分を省みる=自分のやっている事を疑う、ということがない限りは、
母にとって自分は常に正しく、それ以外が間違っているということになります。
なので何か不都合な事が起こった場合は全て周り、つまり従業員が原因。
そして母は『ダメな従業員を持った不幸な経営者』、つまり被害者となって嘆き、不満を従業員にぶつけ、責めます。
従業員の方はというと、結局どうしていいか分からずにどんどん追いつめられて行きます。
とにかくいつもいつもそんな感じで、店の人間関係は誰が来ても本当の意味で上手くいくことはありませんでした。
『待っていればお客さんが来た』というバブル時代が過ぎ去り、
本当に良いものや売り方が求められる時代に移り変わって行く中で、何の戦略も持たない個人経営の小さな店は徐々に衰退して行きました。
そしてその不安を感じるたび母は従業員の技術ややる気を責め出し、店の空気は悪くなり、
そのような悪循環は続き、エスカレートしていったように思えます。
もしも店を良くし、売り上げを伸ばしたいというのが真の目的であったのなら、
本当に必要なのはもっと時代に合った正しい改善の仕方を見つける勉強なんかの建設的な作業だったのではないかと今では思います。
経営者が不安の矛先を従業員に向け、責任を押し付けたりして内部の不穏を煽っても何の意味もないどころか、
いわゆる力になってもらうべき『仲間』を責め潰してしまうことで、そこにいる自分もろとも更に悪循環に陥るだけです。
けれどもここは、
『自分のやり方以外は全部間違っている』『この店にはこの店がやってきたやり方がある』『私の築いて来た城だ』と言い切る母の店なので、
他の従業員はもとより、私にも母の妹にも誰にも、口を出す権利はありませんでした。
一度、経営に関して意欲的な人が入った時もありましたが、その時は母は『店を乗っ取られる』ということを極度に恐れ、それが母の悩みの種になり、結局辞めさせることに至りました。
母にとっては『自分で考える従業員』は要らず、『母の言ったことを理想以上の努力によってこなすことで売り上げをどんどん上げる従業員』が必要だったのです。
よく考えれば無理ゲーですが・・
自分の成功してきたやり方でもっともっとがむしゃらにみんなが身を粉にして頑張れば、バブル時代よりも更に売り上げは伸びるはずだ、
そうならないのは従業員達の『努力』が足りないからだ、と、母はずっとそのような事を言い続けていました。
・・とはいえ当然、どんなに頑張ったところでやっていることが理にかなっていなければ売り上げが伸びるわけもないのが現実です。
母の妹も、母に言われた通り積極的に講習会に参加したり着付けの勉強をしたりもしていましたが、状況は何も良くなることはなく・・
(冷静に考えれば当たり前なのですが渦中で一緒に回っていると分からなくなるものです)
結局良い風にしようと誰かが何かを意見しても、それが母の意向と違えば敵意をむき出しにされ、
『乗っ取る気だ!』と言う言葉が母の口から出るようになってからは、もう完全に誰も何も言えなくなりました。
確かに母の店なので、母が自由にやりたいなら自由にやるべきなのです・・。
・・でも完全に自分一人の好きなようにやりたいと言うのなら、本当は母が一人でやるしかなかったのです。
それを『自分の自由に、でも人の力を使ってあわよくば大きくできれば』とやるからいろんなジレンマが生じて思い通りにならない怒りで苦しむことになるのです。
例えそれが身内であっても他人であっても、人が関係することで、いいとこどりはできません。
お金を頂いて雇われている身とはいえ、従業員側にも人格はあります。
『言われたことをやっていても不満、
自ら良くしようと主体的に考えてもそれが母の意向と違えば不満、
しかも売り上げもないのでお給料もそこそこにしか払えない、
売り上げがないのは従業員のせい、
だからお給料が少ないのは当然・・』
これでは従業員側もどうにもやりようがありません。
母は『使ってやってる』『お金を出している』自分だけが不満を溜めていると思って始終怒っていましたが、
実は従業員の方も相当の不満が溜まってしまう状況というのが内情でした。
ちなみに、その『経営者』と『見習いアシスタント』的な立場の関係についてですが、なぜか母は何年経っても変える気がありませんでした。
言い方は悪いですが、要するに母にとって従業員とは“自分の駒”でしかないということです。
一見、経営者が自分の為に従業員を使うというのは当たり前ですが、
本質的には、そのような自分本位な体制の組織は上手くいきません。
綺麗事ではなく、お客さん、従業員も含めみんながより良くなるように考えられない経営者は結局自分の首も絞めてしまうものです。
経営者である母が『人を育てる』ということを目的にしていないので当然なのですが、
見習いがいずれ一人前の技術者になり、一人のお客さんを自分の責任で担当する・・ ということは、母の店にいる限りずっとあり得ないということになります。
そういう条件を最初に掲げているわけではありませんが、必然的にそこにいる限りはずっと『見習いアシスタント』として先生である母のサポートをしなければなりません。
しかし外から入ってきた『他人』である従業員達は、この店がそんな前提であるということは知りません。
後々は技術者として自分の仕事をやれるようになることを目的にしているのが普通なので、
仕事ができるようになった頃には店の人間関係の問題以前に『この店では自分の目的は果たせない』ということに気づき辞めていくことになります・・・。
母は「やっと仕事ができるようになって使えるようになったら辞められてしまう、他人なんてそんなもの」というふうに受け取っていましたが・・・
その人達は一人の美容師として当然で健全な判断をしたに過ぎないのだと、今では思います。
仕事をする上でお金を稼ぐというのは一番必要な目的ではありますが、
美容師という技術職を選んだ人ならきっと、美容師としての自分の夢を実現させたいという気持ちが強い人が殆どなのではないでしょうか。
人の駒として使われるのではなく、自分の目的のために仕事がしたいのです。
そしてそれは『自分も人と同じ価値がある人間だ』と正常に思える、正常な人間の普通の気持ちだと思います。
・・私はもちろん重度のアダルトチルドレンなので違いましたが(笑)
・・先に言ったように、もしも母がほんとうに良い従業員を集めたり店を拡大したり、自分を取り巻く環境のいろんなことをもっと良くしたいという目的があったのなら、
そのためのやり方で改善すべき点はいろいろあったとは思いますが・・
母は頑なに、その改善点を探すことを拒んでいました。
自分の築き上げた城が壊れてしまうような感覚があったのでしょうか・・
とにかく、今までと同じやり方で、その上で従業員の頑張りなどによって周りの状況のみが良い方に変化することを常に理想としていたように思えます。
ずっと自分が経営する小さな店で、自分一人が上に立ってやってきた母。
しかもバブルの時代を経てそれなりに成功してきた(お金を稼いできた)という事実がある母のやり方に直接何かを言う人がいるわけでもありませんでしたし、
そもそも母の中には自分に何か間違っていることがあるという発想自体がないので何かを変える必要があると思うこともなく、
当然自分と違う考えの誰かの話を聞こうとすることもなかったので、何か新しい情報が入って来るということもありませんでした。
そんなふうに母は、例え時代が流れようとずっと自分のやり方に固執し、
その中で周りがどうにか『努力』や『根性』なんかで良い方向に変えてくれることを望み、
それゆえそうできない周りに対し怒り、不満と不安を募らせながら、常に被害者であり続け、
ずっとずっと、苦しんで仕事を続けるといった状態になっていたのだと思います・・・。
・・そう、母はずっと『苦しんで』いました。
いつもいつも苦しんでいました。
なにもバブルが弾けてからでなく、その前の繁盛している時も、その時はその時でずっと苦しんでいました。
少なくとも私にはそう見えましたし、自分でもそう言っていました。
「苦しい」「辛い」でも「生活のために」「子供のために」「死に物狂いで」「がむしゃらに」「毎日マラソンをしているように」仕事を頑張っている。
と。
なので私の目には一度も母が『好きな仕事を楽しんでやっている』ように見えた時はありませんでしたし、
「好きでやってると思われたら困る」「お前らのためにしょうがなくこんな大変な思いをしている」「私がどんな大変な思いをしてるかわかっててもらわなきゃ」とも言っていました。
、、そんなふうにずっと不満と怒りで満ちていました。
そしてそれらの言葉を私は小さい頃からずっと母から聞かされていたのを覚えています。
聞かされながらどこかで少しずつ『母が苦しんでいるのは私のせいなのだ』『母を助けなければならない』という罪悪感からの義務感?のようなものが芽生えていったように思います。
職場と仕事についての事を書きましたが・・
2人以上の人間がいるコミュニティーの中では、職場でも学校でも家庭でも、どこでも結局は一緒だと思うのです。
家庭でも職場でも、その人の根っこにあるものが同じである限り、人に対して同じようにやってしまうんです。
なのでどこへ行っても同じような人間関係を作り、苦しんでいるなら同じように苦しみ続けてしまうんです。
人は一人では生きれない、つまり人は常に何かしらのコミュニティーには属しているわけで、
その中で
『何かが苦しい』
『うまくいかない』
『どうして私ばかりがこんな思いを、、』
そう感じた時には、安易に人のせいにして片づけずに、まず自分自身の思考や行動に何か間違っていることがあるのではないかと疑ってみること、やはり大事なのではないかと私は思うのです。
・・・
そしてそんな人間関係の店ですので、当然私が働いている時にも小さないざこざがいろいろ起こり、 積み重なり、
それぞれのストレスも限界に達し(特に私は心療内科の薬の件で従業員としてだけではなくいろいろあったのもあり(笑))、
ある日の店での言い合いで、ついに母が私達2人を追い出すような形で突如解散となったわけです。
母はこう叫んでいました。
「もうこんな思いをせられるのはうんざり!私がどれだけ大変な思いしてあんたたちに金を渡してきたかわかるか!
生活が大変だろうと思うから無理してでも給料払ってきたんじゃないか!この私の気持ちを全然わかってない!
私はもうストレスなく好きに仕事がしたいんだ!私の店なんだから!私が一人で苦労してここまで作り上げてきた店なんだから!
この店はもっと小さくして一人でできる分のお客さんを取って一人でやる!」
・・母がそういう気持ちでやっていたとは、私も、そして母の妹も初めて知った次第でした。
(100歩譲ってその場の感情から出た言動もあるとは思いますがそれを考慮に入れても)
たぶん・・私も母の妹も、母とは全然違うことを考えてこの店で働き、一生懸命やってきました。
2人ともたぶんどこかでお金を稼ぐという目的の他に、母に協力しなければという身内ならではの気持ちもあったのだと思います。
だからこそ母の妹も、何度辞めたとしても従業員が居なくなって母が困れば、また他でのパートを辞めて店に戻る、だとかの普通に考えてちょっと変な事を繰り返すことになっていたんだと思います。
(今考えるとそれもこれも共依存による行動かとも思いますが(笑))
しかし結局母にとっては2人共ただの、母にぶら下がる『厄介者』だったということを告げられたわけで、
・・それがわかったら、もうそれ以上そこで働かせてくれとも何とも、私達2人には何も言えることはありませんでした。
お互い、というかそれぞれが相当なストレスを溜めていたのもあって、
中途半端な時期でしたがその大爆発解散事件の日でプッツリ・・・といった感じになりました(笑)
そんなこんなでその日仕事を辞めた私は、それからしばらく家で専業主婦をすることになりました。