子供を愛する、それは
『受け取る側が自分と違う一人の人間なのだという事を認め、その人の本当に望む幸せを理解しようと耳を傾け、本当に必要なことをサポートしようと努力する』こと。
つまり愛情とは、相手の気持ちを受け入れる姿勢でコミュニケーションを取ることから始まります。
親が自分のことを考えることが精いっぱいで子供に愛情を与える余裕がない・・
コミュニケーションによって理解し合う気がなく、一方的に自分の言う事をきかせるために、従わなければ罰を与えたり脅したりする・・
そのような親に育てられた子供は
『自分が存在していい』という自信がなくなることを書きました。
愛情を与えてもらえなかった子供は実は悲惨です。
前提が『愛されない自分』『居るだけで迷惑になる自分』なので、
後に生きていくために必死で周りに媚びなければいけなくなったりします。
不安や恐怖が大きいので、前へ進む前向きな気持ちが出る余裕すらなくなり、
自分の本来持っている才能等、実力を発揮する段階にまで行かず、その手前で縮こまります。
まず生きなければなりませんから。
なので、余計に自信はなくなり、無力感は強まるという悪循環です。
安全に生きたいがためにいろんなものに媚びます。
恋人に媚び会社に媚びコミュニティーで媚び・・・
愛される自信を感じたことがないと人は、
『いつ捨てられるかわからない』、『嫌われたら、捨てられたら生きて行けない』という根拠のない不安と恐怖が無意識につきまい、
接する人の機嫌を取り続けたり、捨てられないようにいろんな代償を払い続けるようになったりもします。
それでも根っこにある不安は消えることはありません。
損な性格、あるいはお人よしとかの体のいい言葉で片づけられてしまうこともありますが、
これは生まれ持っての性格とは別のものですし、偉いことでもなんでもありません。
このような行動は人に対する愛情から来ているのではなくて、自分の不安と恐怖から来るものです。
いわゆる『良い人』なんじゃなくて『他人にとって都合の良い人』でしかありません。
そして悲しいことに、健全な人間関係ではいくら自己犠牲をしても本当に欲しい『愛情』は手に入らないというのが実際のところです。
言う事を何でも聞いたり、物をあげたりの対価を払って人に愛してもらおうという考え癖は間違っているということに気づかなければなりません。
気づかない限りずっと、手に入らないもののために自己犠牲をし続けるという、壊れたロボットのような虚しい人生が続くからです。
余談ですが・・
心理学の本なんかを読んでるうちに
『人の心って、案外コンピュータのプログラムのようだなぁ』と思うようになりました。
人それぞれとか言いながら、みんな示し合わせたかのように同じ経験から同じ思考、行動をとり、同じような経路を辿って同じ場所に行くんです。
不思議ですが、それが脳の構造なんでしょうね・・。
ならこれを悲観的に捉えるのではなく、利用して良い方向に行くことも、誰にでもできるはずじゃないかという考えに今は至っています(笑)
話を戻します。
このような悲しい人間を作らないためにも、親は学ぶ必要があると思っています。
親は、自分の意志で生んだにも関わらず『お前のために(せいで)頑張った(苦労した)』という罪悪感を植え付けるような言葉は子供に言うものではありません。
子供を産むこと、それは『一人の人間の人生の基盤を作るという重大な役目を担うということなのだ』という自覚と心構えを持つ必要があります。
自分の欲求で子供を産んでおいて、後の事はいろんな情報があって学べるのに怠慢で学ばず、自分の都合のいいようにやってそれでいいと思っているのは問題です。
「大変」とか「忙しい」とかは言い訳になりません。
子育てにおいて、子供の心を考えるのは身体を育てるのと同じくらい大事なことです。
できないというのなら生まない選択もできたというのは大前提です。
・・と言っても子供が出してくるお決まりの最終兵器「産んでくれなんて頼んでない!」攻撃を養護するわけじゃないですが(笑)
そりゃあやってみなければわからないこと、人にはたくさんあって当然だということも言いました。
子育てにおいても、最初から全て分かっていて産む人などまずいません。
人生、なんでもトライしたらいい、
子供を産み育てることだって同じです。
けれども、それは自分の行動の全てに自分が責任を持つという、人として当たり前の前提を持った上でのことです。
特に子育てにおいては、『産んでしまったけどやっぱり無理そうだから逃げる』は通用しません。
自分一人の問題ではないからです。
本当に本当に無理ならばそれに向き合ってどこかちゃんとしたところに預けるなり、責任を持ってそれなりの対処をする必要があります。
誰にどう非難されても、罪悪感を持ったとしてもです。
逃げることはいけません。
先はわからなくても覚悟を持つことは必然です。
それすら考えないで生むのは怠慢であり、責任感がなさすぎます。
・・子供の心の成長のためには、子供に接する親がまず学ぶことが大事です。
自分が子供にとってどれだけの力を持っているかということをまず自覚しなければなりません。
教えること一つ一つに気を配る必要があります。
親が自己愛主義者で、自分のために力を乱用すれば、子供は親の都合の良いようにコントロールできますが壊れます。
そして壊れた基盤ゆえに人生をうまく生きられない子供ができあがります。
その基盤で物事を考え、行動し、選択していくからです。
これからの人生、何事においてもずっとです。
子供を愛しているならば、子供のために自分を省みて態度を変えることはできるはずです。
それさえできないならそれは子供への愛ではなく自己愛です・・。
人を育てられる程大人ではないので、子供を育てる前に自分育てから始める必要があります。
親は常に自分の言動、行動が子供の人格形成、子供の将来にどのような影響を及ぼすのかを知る必要があるんです。
子供が何らかのシグナルを発したら、子供を否定するのではなく親自身がまず自分の子供に対する言動や行動を疑って考えてみる必要があります。
『自分は正しい』『何が起きても自分のせいではない』、
なにより『自分の方が子供より偉いから上からものを言っていい』『躾けという大義名分があれば何でもしていい』という思い込みは時に『悪』です。
子供をちゃんと愛し、自制心を持って力を制御すること、本当の子供の未来のために力を使うこと、
それをする覚悟のない人が親になることは本当は危険なのです・・。
親についてのことを書きましたが、
とにかく、人が人生で迷路にはまってしまった時考えること・・
抜け出せないトンネルに入ってしまった時に考えること・・
まず親等からなんの疑いもなく受け継いできたものがあるとしたら、
そこらへん、つまり自分の基盤を疑うところから考えてみるべきです。
親に言い聞かされてきたこと、自分が当たり前に信じてきたこと、正義だと思っていたこと・・
それは本当に幸せな自分の未来にとって正しいことだったのか?必要なことだったのか?・・・と。
そうやって全部ひっくり返して考えることができた時に、
ものごとのからくりがやっと見えてくるものです。
それが2年前の私ですが・・・。
ほんとに悩みまくったし、辛いこともありました。
目先の苦しみから逃れられず迷走もしまくりました。
そして気づくための痛い試練もたくさんありました。
周りにいた友人達にもたくさん迷惑をかけました。
時には自分があたかも被害者でしかないかのように思いながら知らず知らずに実は周りを傷つけたり迷惑をかけたり、
一緒にいる人の人生を狂わせてしまうことすら平気でやっていたなんてこともあったと思います。
ほんとうに『やっちゃった』感はハンパないです・・。
・・でも友人は
「そこまでならなきゃ気づけないくらいガチガチだったんだから仕方ないんだよ」と笑ってくれたりします(笑)
本当に神対応というか、有難いことですが・・振り返れば確かにその通りです。
私自身が気づくために必然だったこと、多々あります。
・・全て必要だったのかもしれないとさえ思ったりします。
それ程ものすごい思い込みだらけの人生を生きていました。
物事の真実ではなく、思い込みで物を見て生きていたといっても過言ではないくらいです。
今では生きてるうちに気付けたこと、気づかせてくれた人達、物事にものすごく感謝しています。
うんこっていうかビチグソで終わるところだった私の人生が、人の人生にまでなりました。
人になったので、これからやっと人として成長していけます(笑)
まだ人としては一年生くらいでしょうか。。(全然ガキんちょですが)
・・・根っこの原因を探ること、大事です。まじで。
人は自分の中で『正しい』と信じていることしかやりません。
幸せになれない考え方を『正しい』と思っていたら幸せになる行動は取れません。
自分が何を正しいと思っているかを一度ちゃんと考えて見直すべきです。
何かに操られるのではなく、
自分で自分の人生をコントロールするために。
自分の本当に望む人生を、幸せな人生を生きるために。