毒親となってしまう人でも、
子育てをするにあたって、大概みんなよかれと思っていろんなことをやります。
誰も、何をするにもダメだと思ってやる人はいませんから、大体誰でも『よかれ』と思ってやっています。
よかれと思ったこと・・
例えば適当に自分のカンや、よくわかんないけどとりあえず自分が親からされてきたようなやり方とかで、でも努力だけはして頑張ってやっています。
がむしゃらに努力とかをしていることで自分はかなり『子供のためにやってる』と思っていますが、向き合っていなければそれが本当にその子にとって必要なことなのかはわかっていません。
(過干渉や極端に仕事にかまける親などはそれに当たると思います。)
・・そこにズレがあると親の一人よがりだったり子供にとってはありがた迷惑というか、モヤモヤした気持ちが募ってしまいます。
そのズレによって生じるのが親子の『溝』です。
溝は相手の気持ちを聞き、受け入れ、自分の気持ちを伝え、理解し合うことで埋まっていくものですが・・
それをしないで自分側の主張だけを押し付けると更に深まってしまいます。
『こんなにやってるのに!感謝しなさい!』
『別に頼んだわけじゃない!』
ってことです。
こういう会話を聞く時、
よく「親は一生懸命やっているのに感謝できない子供が悪い」みたいに言う人がいますが、
子供にとっては『これじゃないロボ』をもらい続けるみたいなもんなので複雑な心境なのは当たり前っちゃ当たり前です。
ほんとはいらんけど親の気持ちを考えて有難いと感謝しなきゃならんというのもおかしなもののような気がします・・・。
時に『良い子』と言われる子は、感謝できない自分を責めたりしてしまう子だっています。
ちっさな子供が大の大人である親の気持ちを考えてあげる構図なんてまったく複雑な話です。
・・まあ子供が従順な小さなうちはまだいいですが、正常な子供ならそのうち自我が芽生え、ズレがあればフラストレーションも溜まり、疑問や主張も出てきます。
これがいわゆる反抗期に当たるわけですが・・
よく、子供が自分の思い描く理想から外れた時『子供が悪い子になった』『子供のことがわからない』とか子供のせいにして見当外れなところに相談に行ったりする親がいますが、
こういう親は大概が、子供を一人の(自分とは別の)人格として認め理解することをしようとしていません。
自分と別の人間なのだからわからないのは当然で、だからこそコミュニケーションを取って分かり合う努力をする必要がある、ということが分かっていないのです。
反抗期について・・
これは毒親というより子育ての話なんですが、
反抗期とはただ単に『反抗する子供の態度に親が耐える時期』、なわけではなくて、
親が『子供も一人の人間である』ということと、その子供との間にあるズレに『気づく』勉強をする時期なのだというのがほんとのところだと私は思っています。
『耐える』と、受け身な姿勢ではなく、親も子供と一緒に成長するのです。
親は子供のことを『自分の所有物』とか『一心同体』とか・・どこかで思い込んでいるところがあります。
でも、そうではないことに気づかなければなりません。
子供は親の思い通りにしていいわけではありません。
お腹から出た時点で実はもう別の一人の人間なのですから。
だからここはいわば子供がそれを未熟な親に気づかせてあげるための時期であり、
子供にとっては健全な心の成長と自立のために必要な一つの段階であると。
そして、良好な親子関係を築くためという点に於いては親のラストチャンスなのかなと私は思うのです・・・。
そこで親が向き合ってちゃんと考えるか、逃げるか、力で押しつぶすか・・・
その対応で今後の様々なことが変わって来る可能性は高いと思っています。
例えば逃げれば子供がニートになる可能性も高くなるし、力で抑圧すれば後々になってなんらかの形で爆発する可能性もあります。
それは大人になってからかもしれないし、内に向く子もいれば外に出る子もいます・・・。とても恐ろしいことです。
ちなみにこれといった反抗期がない場合もありますが、それは
もともと親が子供を一人の人間として尊重していてコミュニケーションも取れていることにより、敢えて子供が反抗する必要がない場合、
逆に親が完全に力で抑圧して思考すら支配してしまっている場合(これは厳しい場合と甘い場合両方あると思います)、
または親がなんら子供の内面に対し興味がないことを子供が感じ取っていて、期待を持てず諦めている場合、
だと思います。
(ちなみに私は後者の二つのミックスで反抗期はありませんでした)
しかしどんなにうまくいっているようでも子供自身の未熟さもあるので大概はなんらかの反抗期を経るのが普通だと思います。
親がどんな完璧な心理カウンセラーや教育者だったとしてもです。
・・思春期の子供というものは得てしてわけわからんことを言い出すものです(笑)
中二病っていう言葉もあるくらいですしね。
(逸れました)
毒親の話に戻ります。
親が『子供に向き合わない人』『子供の事をちゃんと考えない人』=『自分の考えを押し通す人』『自分のことしか考えられない人』だと、子供がその分親のことをいろいろ考えなければならなくなります。
人と人が一緒に上手く生活するためには、双方が相手を理解しようと努力し、尊重し、許容したり譲歩したりしていくか、
もしくはどちらかがどちらかに合わせる(従う)かのどちらかしかないですから。
子供にとって圧倒的に強い立場にある親が、思うように子供が反応しないとキレたりヒステリーを起こしたり威嚇してきたり、
はたまた生きて行くために必要な何かを与えないとかの脅しをしてきたりするのであれば、これはもう完全に後者で、子供が親に合わせるしかなくなります。
(親が本気かどうかに関わらず、です。)
子供は自分が平和に生きるために、親の言うことを聞き、望むことを探り、反応するようになってしまいます。
親のために自分はどういう行動をしたらいいのか?
こうしたら機嫌を取れる?こうしたら怒られない?どうしたら・・・??
・・・そんなことばかり考えて行動していると『自分はこうしたい』みたいな建設的な気持ちは徐々に後回しになり、しまいには忘れてしまいます・・。
『自分の気持ち』を常に封じ込めて相手の顔色ばかりを見ることが習慣になることで、そのうち『自分の本当の気持ち』が自分にもわからなくなってしまうのです。
こうなってくるともう、
『自分がどうしたいか?』ではなく、
『自分はどうすれば存在を許されるのか?』という、相手ありきの、受け身の思考しかできなくなってしまいます。
根底に『自分はここに存在していい』という自信がなくなってしまうことからの発想です。
親の言うことを聞くことで存在が許されてきた習慣があると言うことは、
言い方を変えれば、言う事をきかなければ存在が許されない、という感覚が常識化してしまっているということです。
言う事をきかなければ罰を与えられるかもしれないし、捨てられるかもしれない。
この感覚は強迫観念に近いものがあります。
自分中心にしかものを考えられない親に合わせることを強いられてきた子供はこうやって、
生きて行くために邪魔になってしまう部類の恐怖や不安や強迫観念を無意識に抱え込んだまま成長していってしまいます。
そして怖いことに、その染み付いてしまったものは例え親がいなくなったとしても容易に消えるものではないのです。
何をするにも選ぶにも、知らず知らずにそういった恐怖や不安にとらわれた思考がずっと付きまとい、それが足かせになってしまいます・・。
『怒られそうだからできない』
『何をやっても怒られてきた自分の選ぶことなんかどうせダメなんだろう』
『やりなさいと言われないと何をやったらいいかわからない』
・・もちろん、大人になってまでそんなことを意識下で思っている人なんていません。
しかし、大人になって怒ったり指示したりする親が傍にいない環境になったとしても、
それを頭では分かっていても、
なぜだかその恐怖心や不安、それによって生まれる自信のなさだけはずっと心に存在し続けてしまうのです。
・・最悪、「やりなさい」と言ってくれる人や自分を怒る人に出会いコントロールされることを自分から引き寄せてしまったりすることさえあります。
本人がそれで楽しいなら、幸せなら問題ありません。
しかし、そういうわけではないのが殆どです。
本当に望んでいることではないのです。
そう生きたいんじゃなくて、そのような生き方しかわからないとも言えます。
『本当は苦しいのになぜかそういう生き方をしてしまう人』
『なぜかダメ男ばかりを選んでしまう人』
『何をやっても依存症になってしまう人』
いろいろな例がありますが・・
実は自分の身の回りに起こっている事の殆どは、子供の頃からの刷り込みによって行動し、選択してしまったことによって引き起こされた結果とも言えるのではないでしょうか・・。
物事の受け取り方、考え方、物事を選ぶ判断基準、これを間違って刷り込まれてしまったために起こる悲劇はたくさんあるのです・・・。
それ程、その人の基礎、人格を作る過程での刷り込みはその人の人生において重要なんです。
何度でも言いますが、
これが間違っていることによって人生が上手くいかないなら、当然その基礎から疑って、改善すべきなんです。
親ですが・・
前にも言った通り、親はいろいろ無自覚なのが殆どです。
自分が子供に刷り込んでしまったことがそこまで後々まで子供の人生に影響を及ぼしてしまうことを自覚している人も少ないと思います。
自分自身も刷り込まれたことによって人生が変わっているとは気づいていない人が殆どだからです。
でも『基礎を作る』ということはそういうことです。
大事な大事なことですが、結局何もわからずに『よかれ』と思ってやった親には、悪気もないのでどうにもできません。
『無知』、『考えない』とは私は罪だとまで思ってしまいますが、、、知らなかったら罪とは言えません。
仕方ないことなのです・・。
たとえ自分のしたことが原因で、子供が成長してからどうなったと知ったとしても
『そんなつもりはなかった』『悪気はなかった』、もしくは『親は頑張ったのだから親のせいじゃない』ということになります。
あるいは自分が間違った育て方をしていたことを棚に上げて「なんでこんな子に育った!」「私は一生懸命やったのに!」「こんな子産まなきゃよかった!」と嘆きだす親さえいたりします。
もう目も当てられません。
親は頑張った。
それは事実。
実際子供を産み育てることはそれだけでも容易なことではありません。
その頑張りに感謝するのもいいでしょう。
けれどもそれが正しかったかはまた別の話です。
更には親がどれだけ頑張ったとか親のせいだとかせいじゃないとか全部、正直子供には関係のないことです。
間違いは間違いだし、刷り込まれてしまった不必要なことがあるならそれは親がどんなに頑張って刷り込んだものだろうが取り除くべきです。
子供は親が承認欲求を満たすための道具ではありません。
恩返しをしてもらうために生むのでもありません。
(そういう時代もあったのかもしれませんが今は違います)
・・ですがそれに気づくのは親自身の課題であって子供側にはどうにもできません。
・・だからこそ、子供側はそこにこだわることをなるべく早くに捨て、『自分が変わる』しかないのです・・。
これは自分以外の他者に対する諦め、というより悟りだと私は思っています(笑)
前向きな思考です。
子は、自分の思い描いた人生を生きられないのだとしたら、
どんな過去があったとしても、親がどうのよりまず自分で自分を変えなければなりません。
「〇〇のせいで変われない」と決めた時点で、その通りの変われない人生になってしまうからです。
「〇〇のせいでこうなった」
でも、「〇〇のせいでこうなったからその人に直してもらう」は無理です。
自分で変わるしかないのです。
理不尽なようですがそれが現実です。
例え誰のせいでそうなったとしても、誰かに変えてもらわなきゃ変われない、というのは甘えであり依存です。
その考えをしている限り、不毛な人生を送ることになります。
親が失敗をおかしたというのなら、それは未熟だからです。
未熟な人は自分の事で精いっぱいだということを忘れてはいけません。買いかぶっちゃダメです。
人に愛を与え、救える力なんてないのです。
それどころかその人自身が「誰かに自分を良くしてもらいたい」「誰かが認めてくれれば」「誰かが愛してくれれば」
「優しくしてくれれば」「感謝してくれれば」「理解してくれれば」と願っているものです。
・・そして子供にすらそれを求めてしまう。
それが『毒親』と呼ばれる未熟な人達の特性です。
悲しくても、認めたくなくてもそうなんです。
毒親自身もまた、与えられなかったいろんな不足で苦しんでいます。
だからこそ毒親になってしまうわけですが、
でもそれを克服できるのはその人自身でしかありません。
毒親は自身で気づき、課題をこなし、
子は子自身の課題をこなす必要があります。
親が子に不足を求めるのも、子が親に不足を求めるのも、どちらも不毛な人生への道です。
変えられないことを見極め、執着を捨て前を向くこと、
親がどうであっても自分は変わる、
『自分で変わる。』
その決意が必要です。
幸せになりたいなら本当に必要です。
・・これは何度でも言って行こうと思っています^^
毒親とはこういうもの、
ということを散々書く前に、
例え毒親に育てられたとしても・・ってことの方に重きを置いて書いてみました。
気づいたことで不満や恨みが出てきて、『仕返しする!』『毒親だってことを気づかせて変えさせる!』なんてことに意識が向いてしまっては本末転倒だからです・・・。
大事なのはそこではありません。
一番大事な目的は『幸せになること』です。
そこからブレたらいけません。
自分の人生、そして自分の後の世代の人生を大切にしましょうという事を一番に言いたいというのは変わりません。