19話 親の『愛』がなかった(毒親育ちだった)としても・・・

毒親
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『産んだはいいが自分自身が未熟なゆえに子供に愛を持てない親』が問題だと私は思っています。
自分のやっていることが愛だと勘違いしている親も含めです。

では愛とは何でしょうか?
・・概念的なことは難しいですが、
子供に対しての愛を言うなら、
『受け取る側が自分と違う一人の人間なのだという事を認め、その人の本当に望む幸せを理解しようと耳を傾け、本当に必要なことをサポートしようと努力する』ことが愛だと私は解釈しています。
自分側の一人よがりの愛は愛ではありません。
だから例えば・・・『相手を自分のことのように思う』は一見よさげな言葉ですが愛ではないと思っています。
相手は自分ではないからです。
一緒にされても相手は困ってしまいます。(嬉しがるのは共依存者だけです。それについても後で書きますが)

『こうすれば相手は幸せに違いない』という自分の勝手な思い込みによる強引な『与える』行為は一見相手を愛しているように見えますが、
実は自分が安心したり感謝されたり見返りを求める心から来る行動であり、他者を理解することからの逃げ・・怠慢でしかありません。
要するに『相手のため』と偽った自分のための行動、自己愛です。
どんなに「あなたのために」と言っていても、ほんとうにあなたのためになっているかはそのあなたにしかわかりません。
『あなた』を自分だと思っていたり、所有物だと思っていたりしたら本当の『あなた』の声は聞こえません。
『あなた』を一人の別人格を持った人間として声をちゃんと聞き、理解しようとする姿勢、そして『あなた』の本当の気持ちに沿った行動をしようとする努力、
この『本当のあなたを受け入れる気持ち』が愛だと私は思っています。
完璧なものを与えることではありません。。
わからなくても努力する、です。本当に100パーセント他人を理解することなんて無理なんですから。例え自分の子であっても・・。
大事なのは『私はわかっているわけではない』という謙虚さと『わかろう』と努力する姿勢です。
この姿勢があれば、人間関係のいろんなことが変わってきます。
相手の自分との違いを認め、尊重する努力の姿勢、大事です。
、、簡単なことのようですが、自分のプライドや欲求の方が相手のことより大事だったらできません。
自分の方が偉いとか、相手の方が劣っているとかいう気持ちがあれば到底無理です。

本当に相手を愛することは難しく時間がかかります。
例えどんなに相手を思っていて、相手の言葉に耳を傾け続けても、
自分と違う人間のことを100パーセント理解することは不可能なので、これで完璧!ってことはたぶんずっとありません。
だから怠慢では到底できることではないのです。
それをやれるのが愛のパワーですから愛のパワーってつくづくすごいです。

『愛する』
本当は難しいんです。
一生のうちに本当に自分以外の人を愛せるようになる人はどれだけいるでしょうか・・・?
もしかしたら一度も愛を持てないまま人生を終える人も少なくはないのかもしれません。

・・それでも、どんな親の子でも、子供は親の愛を信じています。
本来、親は子を愛するものだということが遺伝子に組み込まれ、純真な子供はそれを本能的に信じるようになっているのかもしれません・・・。
複雑な気持ちになります・・・。

愛を持てない親、学べない親は普通に存在します。
書いたように、愛することはとても難しいことなので、必ずしもみんながみんな愛を学べるわけではないと思っています・・。
愛を持てない親は成長しません。
ですが愛を持つことや成長は強要されてできるものではありません。
誰が期待しても責めてもお願いしても無理なもんは無理です。

残念ながらまだなんらかの解決していない問題が親自身の中にあって、人間として未熟で、学べる段階になってなければ無理です。
『子供に愛を持てない親』は、その未熟な段階で子供を産んでしまっただけです。
そうやって未熟な親、そして子供を産んでも成長しない親はたくさんいます・・。
悲しくてもそれが『理想』ではない現実です。

確かに子供にとって毒になってしまうことから『毒親』という責めるような言葉を使ってはいますが、
親は神ではありません。
普通の、弱い一人の人間です。
それがありのままの事実であって、『親』としての理想を掲げて期待しすぎてはいけないのです。

・・・ですが、絶望することでもありません。
親がいくら『無理』であることがわかったとしても、
親と自分は違う人間だからです。
親がいないと生きて行かれないのは親の保護下にある子供の頃だけです。
自立できれば後はいろんな意味で自由なんです。

自分の中のことは本来自分で改善できます。
親の手助けは大人になれば必要ありません。
自立して自分で自分を改善すればいいだけです。
そのために必要な情報も世の中には溢れています。
改善しようと思う意志があればいくらでも可能です。
そこに、親に認めてもらったり許可してもらわないとできない理由はどこにもないんです。
実際はそんな、『親から与えられなかった不足』なんかは何の足かせにもならないのです。

しかし、その不足に縛られていつまでも一人でできる発想が持てなく、
親に自分を愛してもらい、改善してもらうところから始めようとダメな親に依存しているとずっとどうにもならない人生のままです。
身も蓋もない言い方ですが、自分のこともどうにもできない親が、子供のことをどうにかできるわけがないということは受け入れなければなりません。

もしも自分の人生がずっと親の人格や行動にかかっているのだとしたら、まず親を改善するところから始めなければならなくなりますが・・
残念ながら人を変えることはできません・・。
気づいてもらうことくらいならできるかもしれませんが、それさえもどれだけ時間がかかるかも、生きているうちに達成できないかもわかりません。
もうそうなると親の成長任せ、人任せ、運任せ=『親のせいでいつまでも私はダメ』な人生になってしまいます。
親がなかなか成長してくれない、自分の思うものを与えてくれないことに始終苛立って、親にこだわり続ける人生になってしまうのです。

アホらしいです。
子供が親とは別の人間のように、親もまた子供とは違う人間です。(同じことですが(笑))
自分と違う人が、例え親であろうが自分の理想通り思ってくれるわけはありませんし、
そもそも自分の何を人の責任にしていても何も変わらないし何の得もありません。
そうこうしてるうちに100年やそこらすぐ経ちます・・・。

親が成長できなくても自分は一人で成長できます。
自分の人生は、親を成長させるための不毛な人生でもありません。
親に与えられなかった不足しているものは実は親でなくとも自分で補えることが殆どです。

・・・ただ、過去にどんな、自分に対する親の過ちを見つけても、それによって自分が上手く生きれなくなってしまったことが判明しても、
原因が分かったことで憤りや不満を感じても、「そんなのは関係ないから捨てるべき」とか「過去は変えられないから忘れるべき」とか言うわけではありません。
何でもそうですが、気づいた時点で吐くだけ吐いた方がいいのです。気の済むまで。
どんなに吐いても現実的にはどうにもなりませんが、何かを封じ込めていたことに気付けたなら、それを解放することは自分が前に進むために必要なことです。
だからそのために吐くべきです。

・・そして気が済んだら、とりあえずその先が大事です。
どんな不満があろうがわだかまりがあろうが変えられない過去と親は置いといて、
自分は自分の中の間違いだったことを改善し、自分を成長させ、自分の未来を自分自身の力で切り開いていくのを先にするのが幸せに向かえる健全な行動です。

わだかまりなんかをどうしても解決しないと親が死んだら後悔するとか、そこまで親にこだわっている場合は、
親を人生の最重要項目に入れることを自分で選択していると自覚して自己責任の上でやればいいと思いますが・・。

しかし敢えて言えば、人に勝手な期待をかけるのは自分のエゴです。
親にだって自分で気づき成長するペースや権利があるのです。
どんな親でも、例え人生の中で間に合わなかったとしても、です。
自分の人生と親の人生、誰の人生も別のものです。
それぞれに自分の人生を生きる権利があります。
混ぜて考えてはいけません。
お互いにお互いを変えようとしていたら、お互いにとっての苦悩や不幸の始まりになります。
親は親、自分は自分、が人が幸せになれる基本です。
どちらか一方が依存するのも、お互いに依存し合うのも、どちらも大概は幸せになれません。
それを証拠に、人の悩みの多くはそれが原因で起こっているのです。

理屈でいろいろ書きましたが・・
人にはそれぞれいろんな事情があります・・・。
簡単にいくものではありません。
執着があったりするとほんとうにその考えの枠を外すのが不安だったり苦痛だったりの辛い作業になります。
しかし、何かに助けてもらいたいという甘えを自覚し、捨て、まず、自分で立つ覚悟をすることができれば、
その一瞬は辛いですがそこからトンネルを抜けた新しい世界が始まるのです。
何を変えるのも不安や苦痛は伴いますが、変えずにずっとどんより苦しむのか、勇気を出して壁を乗り越えて明るく新しい未来へ行くのかの選択だと思うのです。
私は後者を、断然推奨します。いろ~~んな意味でです。
いえ、越えれば誰もがそう言うと思います(笑)
『乗り越えてよかった!』と。

毒親問題もそうです。

まず世の中の理想のフィルターに惑わされず現実を直視すること。
なにが痛くても良くなるための痛みなのでガマン!
ショックで泣きたきゃ思う存分泣く。
そして本当の現実を受け止めたら、あとは前を向いてそれに対する正しい対処をすること。

『親に愛がないはずはない!』『親が間違っているはずがない!』と頑なな考えに縛られていては、愛がない親や間違っている親、愛をもらえなかった自分に対処することはいつまでもできません。
それでも信じたい気持ち・・ここが親子問題の解決が難しい一番大きな原因じゃないかとも私は思っていますが・・・。
親の愛を信じたい、でも現実はいつも一つです。
良い意味で諦め、正しい目で現実を見ることができれば・・執着を捨てれば次に行けます。
本当の自分の幸せを探し始めることができます。

世の中には思い通りにならないことはたくさんあります。絶対に欲しくても手に入らないものはたくさんあります。(恋愛も一緒ですが)
どれだけ早くにその事実を受け入れ、見切りをつけて次に行けるか、です。
投資で言う『損切』ってやつです。悔しくてもやるんです!明日のために!(かなり余談)

限られた人生、なるべく早くに本当の自分の幸せを探し始めた方がいい。
探し始める、
そこが本当の人生の第一歩です。

ちなみに私は40過ぎてから人生の第一歩を踏み出しました。
遅いけど、遅くはありません(笑)
まだ生きているし、これからも人生は続くからです。

間違った愛や、歪んだ愛を受けて来たことを自覚して、そこから受けた悪いものを自分自身で取り除いていく。
親はやってくれませんし親を『本当の愛のある親』に変えることもできません。それを事実として受け止めて、自分は自分で変わるんです。
親のことは変えられないが、自分で自分のことを変えることはできます。
それが全てです。

いろいろ書きましたが、
『自分の親はいい親だったから毒親問題は関係ない』
という人も多いと思います。

でも実は
今、何かに苦しんでいる人がいるとしたら、不都合な何かを常識と思い込んでしまっている可能性も多いにあることを忘れないでください。
『毒』という言葉は良い響きの言葉ではないので拒絶反応を起こす人もいるかもしれません。
でも、どんな『良い親』も間違います。

幸せになるために間違っている事、
これが自分の中にあったら改善すべきです。

まずはそれに気づくことができないと何も始まりません。
『気づく』ことは本当に難しい。
意地も執着もプライドも、正義感も倫理観も、全てのフィルターを取り去ったまっさらな目で自分の心の声を聞かないことには気づけません。

繰り返しになりますが・・
やってはいけないことはたくさんありますが『こう思ってはいけない』ことはありません。
『私がこんな風に思っているはずはない!』なんてマザーテレサ並みの人格者気取っても中身うんこならそれは偽りです。
うんこはいくら隠しても見ないふりをしても確実に人生に影響を及ぼすものです。
そもそも元から自分の中にうんこがない人なんていません。(たぶんマザーテレサでさえ)
最初から素晴らしい人間なんていないんです。
自分のダメなところもちゃんと認めて改善できるかどうか・・
自分を直視し、うんこに気づき、悩み、もがき考え、勇気を持って改善を積み重ねた人こそ真の人格者、幸せを掴める人だと思います。

まず自分の本当の気持ちに耳を傾け、なんでもいいから『気づく』こと、そこからだと思っています。

今回ずいぶん抽象的な話になってしまっているのでもう少し具体的に書きたいと思います(笑)

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