18話 子にとって毒親とは一体・・・? 2

毒親
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(前の記事のつづき)

過去、自分の周りにあったもの、
そして今ここに居る『自分』を作ってきたものは何だろうか?

それを知るには自分の人格が作られる過程の幼い頃から遡って考える必要があります。
何が、どんな体験が、誰の言ったことが、自分の今持っている考え癖等に影響を与えて来たのか・・
何が『この心』を作ったのか・・・。

その人の人格を形成する要因を作った環境って、
例えば子供の頃からの教育を行っている周りの環境だったりするわけですが、
それは幼稚園や学校の先生とかの専門家だけではありません。

それより何より一番に関わっていたのは、子供が小さい時から一番近くにいて長く接し、心や考え方を形成する過程で最も大きな影響を及ぼす人物、
そして子供が生きていくのに必要不可欠な存在、『親』です。
子供にとって最初に接する人であり、必要不可欠であるがゆえに、子供をコントロールできてしまう立場なのが『親』。

子供は生まれてから初めて接したその環境を、どんなに歪んでいようが間違っていようが(虐待されようが)『当たり前』のこととして認識していきます。
他に何も知らないわけですから当然なのですが。
なので、心で何か感じることがあったとしても、頭では「これが悪い」とか「あれが間違ってる」とか「酷いんじゃないか」とかの疑問を持たないまましばらくは親の元で成長していくのです。

人って当たり前だと思ってしまったものに『間違っているんじゃないか?』と疑問を持つことはなかなかできないんです。
ここが怖いところで、
そういう意味で、外部からの強力な情報がない限り、閉鎖された『家庭』っていう空間では、
親はまっさらな子供にどんなことでも刷り込むことができてしまう状況にあるんです。
(親より強力な情報提供者なんて小さい頃はそうそういないのですが)

言い方は悪いですが、こういう空間で子供は、
親にとって都合の良い人間にも、力強く自分の道を切り開いて行く人間にも、そして犯罪を犯す歪んだモンスターにも・・
どうにでも作れてしまうんです。
その子にどんな個性があろうとも。
親ってそれ程の大きな影響力を持っているんです。

・・こんな風に、良いようにも悪いようにもコントロールできて、子供の、人間としての基盤を作ってしまうのが親なのですが・・
必ずしもその親が正しい情報を持っているとは限らないのです。
親になる人がみんな、世の中の原理原則を知り尽くしたような完璧な人格者なら良いのでしょうが、
大概は20~30代の成長過程の普通の人間なわけですから未熟なのは当たり前とも言えます・・。
自分が大人になればわかることですが、子供の目から見て神みたいに見える大人でも、実は自分のこともままならない未熟な人間であることが殆どなんです。

その親から教えられたことなのだから、当然、その中に、例えば幸せになるために間違った情報なんかがある可能性も大いにあるわけです。
と、いうか、全てが完璧に正しい人なんてまずあり得ないので、必ず間違った情報は含まれているんです。

過去を遡って間違いを見つける必要があると言ったのは、そういうことです。
『今』幸せでないのなら、過去に幸せになるための間違った情報を刷り込まれてしまった可能性が大いにあります。
例えば「人の言う事を聞いて、自分が嫌なことを我慢することが偉い」・・・とかね。いろいろあります。
それらのことは後でゆっくり書いていこうと思っています^^

『親』の話に戻ります。

子にとってそんな重要なポジションの『親』なんですが・・・
それを意識的にやっている親などほぼいないと思います。
どうやればどうなるかなんてわからない人が殆どです。

もっと言うなら、
殆どの親になる人は、よもや自分がそんな責任重大な役割を担うとか考えないで親になるのが普通です。
産んで、ご飯あげて、学校に行かせて、、大人にすればオッケー、いや、それだけでもう十分責任は果たすことになる、くらいの考えで親になります。

でもね、体験したことのない事なんて、子育てに限らず何でも誰もがそんなもんです。
その先にどんな大変なことがあるかなんてやってみなければわからないし、事前に妄想し過ぎれば何もできないし、
別に想像力の欠如だとか責めることでもありません。

ほんとは産んでから学ぶ人が殆どなんです。
産んでみたものの、子育てが始まってから気づくことはとても多く、どうにも思った通りにいかず、『人』を育てることの難しさに気づき、
そこで戸惑って外から学ぼうとする親もいれば、子供に向き合ってぶつかって格闘しながら手探りで学ぼうとする親、
逃げたり適当にやり過ごそうとする親もいるし、様々です。

問題なのが、『逃げる』『子供と向き合わない』『自分の都合の良いやり方を押し通しやり過ごそうとする』親、
いわゆる『子供の内面を見ようとしない』親・・・
つまり『自分側は何も気付いたり変わろうとせず子供の方を自分に都合良く変えようとする、自分自身は成長しようとしない親』です。

子供の内面を見ないということ・・・
それはつまり子供の気持ちを無視する→認めない、ということです。
理由は実は簡単で、親自身が未熟だからです。
未熟な人は怠慢です。
未熟であるがゆえに、自分以外の人間を理解して、それに合わせて付き合うことが、
もっと簡単に言えば、“人のために自分を変える”ということがとっても大変で億劫で、出来ないのです。

『人に振り回されたくない、自分のペースでなんでもやりたい』というのは、もともと誰もが持っている気持ちではないでしょうか。
その思いが、人を思う気持ちよりも強いままであれば、人より自分を大事にし、結果人のことまで気が回らないので人を無視することになります。
ちなみに『話をきかない』とかの類もそうですが、『決め付ける』ことも心を無視するという意味では一緒です。
未熟→自分で精いっぱい→人のことが手抜きになる
です。
本来無視してはいけない立場で、対象がどんなに大切な存在であっても、人間的に『未熟』だと、その人の器によってそうするしかできないんです。
そして例え形的に親になったとしても、人間が未熟なままであれば、自分のことが精いっぱいでいつまでも自分以外の人間のことを深く考える余裕は持てません。
そこに悪気が有る無しは別として、『未熟』だったら出来ないんです。
自分を守ること、自分が評価されること、自分を可哀そうに思うこと・・・未熟な人の考えることはたくさんあっていっぱいいっぱいです。
自分>自分以外の人
です。

本来人は親になると、子育てをしながら成長します。
成長とは『気付いて変わる』ことです。
例え初めは人として未熟だったとしても、子供への愛に目覚め、大切さに気づき、子供のためにどんな難しさも乗り越え理解しようという気持ちが強くなります。
その本当の意味で人を理解しようとする気持ちが生まれることで、
それまで頑なに守って来た自分の思い込みや執着を捨てて人として大きく成長することができるものです。
それが子を産み、愛することで得られる人としての大きな人生の宝とも言えるのではないでしょうか。

しかし、親になる人が心になんらかの問題を抱えていたりして、自分のことであまりにも精いっぱいな場合、
自分以外の人間のことを考える余裕がないので、当然愛する余裕も持てないことになります。
愛せない・・愛することに気付けない、
それはつまり、その後の一連の成長は得られない、ということです。

自分以外の外側に対する愛情がなければ全てのことが『自己犠牲』の観点になってしまいます。
煩わしい他者のために自分が犠牲になる気持ち・・いわゆる『被害者』。辛く苦しいです。
これでは自分以外のために大変なことなど到底できません。

その成長できない親が未熟なまま子供を育て続け、子供に愛を与えるのではなく自分の不足を埋めるために子供を利用してしまう、
それが子供に毒を植え付けます。
そうなると、子供も未熟な人間から抜け出せない毒のある人間になってしまいます。
この、毒を与えてしまう親こそが『毒親』で、それが子に引き継がれ行ってしまうことを毒の連鎖だと思っています。

『未熟な人間』が毒親になってしまう可能性は高いと私は思っています。
毒親の親もまた毒親である場合が多く、連鎖している場合が多いので、
この毒の連鎖を自分の代で止めるっていう、強い信念が毒抜きには絶対必要であると、私は考えています。
自分が救われ、自分から後の代を救う、っていう強い信念、
これがあれば自分が腐ってる暇はなくなってきます。

まずは自分の中に毒があるということを自覚すること、
それがいつどのように植え付けられたどんな毒なのか把握すること、
理解したら解毒すること・・・

何度も言いますが、
無駄に苦しい=毒がある
と、いうことです。
なにかずっと人生が上手くいかない、自分でもわからない生きづらさがあると感じているなら、
自分の中の毒を探ってみることは大事です。
原因は絶対にあるはずです。

今の苦しみの本当の原因を探るために、
そしてそれを根っこから取り除いて、心から明るく楽しく幸せな未来に向かうために、
子供の頃から遡って、自分の毒を見つけ出す作業、
まず大事です。
自分のために、そして自分が育てていくこれからの人達のために。

「過去のことをいろいろ考えず、前だけを向いて歩こう」
「昔のことを執念深く考えるのは恥ずかしいこと」
「親を悪く思ってはいけない」
・・・こんな思いがあるなら、それは心理的ブロックでしかありません。それもまた植え付けられた思い込みの『毒』です。
人の中で生きている以上やっちゃいけないこと言っちゃいけないことはたくさんありますが、思っちゃいけない感情なんてありません。
封じ込めなきゃいけない理由はどこにもないんです。

自分の中にうんこな情報や感情があったとしても、認めなきゃ解毒はできません。
「私は違う!」って言い張っても、見えないふりしても、うんこついてたら何かしら支障きたすもんです。
それが意味がわからない苦しみであったり悩みであったり不幸であったりするんです。
まず素直に自分の『心』に耳を傾け、うんこな感情があったとしてもそれを目を逸らさず受け止め、
しっかり狙いを定めて解毒するんです。
そうしなければ前へは進めない、っていうのが嘘偽りのない、正常な人間の心理だと私は思っています^^

無いことにしても在るものはあります。

人生の中で直視したら痛いことって、たくさんあります。
でも勇気を持って直視しないと取り除けないものも、たくさんあります。

性的虐待を受けた・・・痛いです。最悪です。思い出したくもないことです。
でも封じ込めても無くなりません。
自分の中に大事にしまって持ち続けるのがハッピーなことでしょうか?
そんなはずありません。
捨てるために、直視するんです。
狙いを定めて撃つ!ゴルゴのように。

変わるために必要なこと、それはこの勇気一つです。
勇気を出すことさえ封じ込まれているならそれも毒です。
もう、全部解毒しちまおう!と、私は言いたい!小一時間言い続けたい!

・・漠然的に書いてしまいましたが・・
毒親問題はとっても複雑でややこしい問題です。
誤解も生じやすいし、親子の問題には人の感情や倫理やいろんなものが絡んできます。
なので一言で全てを語るのは無理です・・・。

具体的にどんなことが毒親の行動なのか、
毒親の言動や行動でどういう風にその毒親の子の人生が狂っていくのか、
それは私の実体験を交えてこれからどんどん書いていこうと思っています。
・・受け取り方はいろいろあると思いますが、『事実』として書いていきます。

それとここで一つお願いがあります。
こんな私の拙い文なのですが、どうせ読むなら『気づこう』という気持ちで読んで頂きたい。

否定する気持ちや他人事で読んでも時間の無駄、それどころか時間を取られたり嫌な気持ちになるだけ損になるからです。

私の文だけに限らず、どんな文でもどうにでも受け取ることはできますしどうにでも使えます。
『気づき』もそうです。
『気づきたい』という意志があって初めて人は気くことができるものです。
気づく気がない場合はどんな良い本を何百冊読んでも、何を見ても一緒です。
理解力がどうのとかの問題でもなく、全ては自分側の意志次第だと私は思っています。
漫画からでもそこらへんに生えてる雑草からでも、人は何でも学ぶことはできます。
気づきの一つのきっかけにするのか、否定して終わらすのか、はたまたメシウマにするのか・・それは受け取る人次第だし自由だと思っていますが、
せっかくなので『何かを気づいて糧にしたい方』に読んで頂ければと強く思います。
『少しでも誰かのお役に立てれば!』という気持ちが大きく、敢えて恥を忍んでヘタレを晒すことを決意した私なので。

バッサリ否定する気持ちしかない場合は、こんな文はただのうんこになるのでそっと閉じて頂くことをお勧めします。
そもそも大概のことは書く側よりか読む側の力量であると、私は思っています。
なので多少(?)下手くそも痛いのも承知で書き綴っちゃいます。
うんこからでも何かを拾い、参考にしたいと感じたあなただけ、どうぞ宜しくお願い致します。

うんこブログって題名にした方が良かったかもしれません。

毒親についてもう少し書いていきます。

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