どうして人生が苦しいのか・・
どうして自分は常に周りに問題を作り出す人間になってしまったのか・・
いえ、言い方悪いので変えます、
自分の周りに起こる出来事のほとんどを『大変な問題』と思い、常にそれに振り回されて苦しんでいた・・・ということでしょうか。
その原因を探るために過去に遡って考えることが重要だと言いました。
なぜなら過去のどこかに、自分をそういう考え方、考え癖にしてしまった原因があるからです。
もちろん原因は一つではありません。
それまでの人生、いろんな出来事がたくさんたくさんあったはずです。
そしてその中に原因もたくさん、記憶の中にごちゃっと、散らばったり絡み合ったりして存在しています。
それらを一つ一つ、丁寧に紐解いて行って、その中から今自分が抱えている苦しみの正体と原因を見つけ出すことができれば、
あとはきちんとした対処をすることで改善もできるのです。
だから過去の記憶を遡ってきちんと自分自身を考えること、心の整理をすることが、とても重要だと私は思っています。
・・ただ、ここで言いたいのは、
過去から原因を見つけ出すということは、過去を遡って犯人捜しをすることでは決してないということです。
誰のせいでこうなった、とかは実はけっこうどうでもいい事です。
人のせい(例えば親のせい)にして一時的にほっとする作業ではありません。
重要なのは、自分が信じ込んできたことの中で『幸せになるために間違っていたこと』を探し出すことです。
そして自分がその間違った考えに支配されてしまっていたことを自覚し、
呪縛から解放されることが目的です。
言い方はキツイですが、成長過程で刷り込まれて来た幸せになるための間違った教えの洗脳を解く感じです。
そして私が思うもっともっと重要なことがあります・・
Most important thing!です。
・・もちろん、まず自分が救われることは大事です。
それがなければ始まりませんから。
ですが、その先にもっと大事な事があります。
それは、自分がその苦しみの原因(間違い)を後の世代に無意識に、または『よかれ』と思って引き継いでしまわないようにする、ということです。
自分が救われると同時に、被害を与える側、つまり自分が『毒親』になってしまわないために、
何が『毒』なのかをちゃんと把握し、自分の中に毒があるということを自覚し、改善する必要があると思うのです。
・・ここでは毒親をテーマにして書いていますが、ぶっちゃけ毒親だけじゃなく、会社の老害とかも全部そうです。
『毒』になる存在はどこにでもあり得るので、誰もが他人事じゃないんです。
私は無駄に苦しんでいました。
無駄に苦しむ=毒がある、ということです。
自分がしていたのと同じ苦しい考え方や考え癖をこれからの世代の人達に引き継がせたくない。
実はこの思いが強かったというのが私が恥を忍んでこのうんこ丸出しブログを書こうと思った一番の理由です(笑)
『私も苦しんできたんだからあなたも同じように苦しむべき』
そうして苦しみを、努力とか根性とか美徳とかの大義名分を使って正義の名のもとに引き継いでいく・・
これが毒親の考え癖だと思っています。(根っこにあるのは自分の生きて来た人生を肯定して安心したいという未熟な魂、自己愛ですが)
まあ、マジそのうんこな考え撒き散らかしてこれからの時代を担う大切な若い人達に引き継がせようとしないでくださいと言いたい。
・・まあ、主に自分に対してですが(笑)
・・それとこれは毒を持っている人に関する余談ですが、
「気付いて変える必要がある」とかいう類の話になると、
必ずものっすごい拒絶反応を起こす人はいます。
その言葉自体は全ての人に当てはまることだしフラットに見ればただの改善の案でしかないんですが、
必要以上に逆立つ人は、
自分が否定されて攻撃されるように受け取ってしまう癖があるので相手を敵とみなして戦闘態勢に入ってしまいます。(その変換癖も毒の一種ですが)
そして『自分はここまで生きてきて今更何かを変えるのは嫌。振り返らず突っ走って逃げ切れればそれでいい』というような、
『それが私の人生、私は私』的ないわゆる『受け付けませんバリヤー』を張ってしまう人、けっこう多いです。
もうそうなったら何も受け取らないだろうし会話にもならんので、伝える方にかなりの会話力が求められてくるわけですが・・・
伝える側もそこまで必死になる人も、会話術に優れている人もなかなかいないのでそこで壁ができてコミュニケーションは終了してしまいます。
こういうことって、ほんとによくあります。
『価値観の違い』とかの言葉で片づけてしまうパターン。
実は分かり合おうとする努力が双方に足りないだけでただの怠慢だと思っていますが・・。
・・まあ、みんな忙しいし、それは仕方ないことです。
全ての人が分かり合うべきとかの理想もまた現実的でなく無理難題な空論です。
・・ですが、私はそういう、『毒を持っていながら変わりたくない人』にこれだけは言いたいのです。
『自分が逃げ切れればそれで満足なのですか?』ということ。
人の中で生きる以上、自分のことだけではなくもっと周りにいる人のことも考えてください、とお願いしたい。
うんこ撒き散らかしながら突っ走られてもエライ迷惑なのと、
そもそも『逃げる』というのだから何か考えなければならないことがあることには薄々気づいているということだし、
せっかく人として生まれてきて何も考えずに逃げて終わる人生が、果たして死ぬ時に『よかった』と思える人生なのか疑問に思ってしまいます。
(・・ていうのは私の個人的な考えだし、その人が死ぬ時にどう思おうが自由なので余計なお世話とも言えますが。)
とにかく自分の人生を肯定するためだけにうんこまき散らかしたり無理やりなすりつけてうんこ界に巻き込もうとする行為がいかに迷惑行為かということくらいは自覚しておくべきだと思います。
そういう人は『変わりたくない』というのならせめてうんこ撒き散らかさないように静かにひっそり生きてくださいと言いたい。
まあ、どんな風に生きたとして、得てして自分の行いは全てなんらかの形となって必ず自分自身に返って来るもんだとは思っていますが。私も然り。
話を戻します。
過去に遡って、自分の考え方(信じているもの、正しいと思っているもの、怖いと思っているもの、悪だと思っているもの等)の基盤となるものがどのように形成されたかを探るのに重要になってくるのが、
過去に自分が置かれていた環境だと思います。
自分の置かれていた環境にあったものは・・・
次にそこらへんと毒親のことを書いて行こうと思います。