“今目の前にある全ての問題は、
実は殆どの事が外側ではなく自分の内側にあるものが引き起こしていているんではないか。”
・・と前に書きましたが、
言い換えれば、
今目の前にあるものそのものではなくて、それををどう捉えるかという心の方に問題があるとしたら・・・ということです。
全く同じ状況になっても
「そんなの大した問題じゃない」と強がりではなく思う人と
「これは大変な問題だ!もう終わりだ!」と思う人と
かと思えば「これは逆にチャンス!やってやるぜ!」と思う人と・・・
ほんとうに様々な人がいることを考えると、
そこで起こっている出来事、つまり外側は同じなのだから、もうその人達の内面になんらかの違いがあるからとしか言いようがありません。
・・ただ、同じような言葉でよく『自分の受け取り方次第』とか『考え方次第』とか言う人がいますが、
私はそんな簡単な言葉で言い表せるほど単純なものと思っているわけではありません。
ものすごい虐めにあって死すら考えている時に、
『受け取り方次第』『自分に問題がある』と言われたらそれはもう救いようもないです。
違います。
決してそんな簡単なことではないです。
・・でも、それでも私は、例えどんな問題にぶち当たったとしても、それを回避、解決する方法、立ち上がる方法、自分を救う方法は絶対にあると思うのです。
そしてそれを思い付くことができるのはその人自身であって、
思いつくのも、行動に移そうとするのも、更には自分を救おうと前向きになれる気持ちさえ、その人自身の心に他ならないと思うのです。
それが培われていなかったら、できないんです。
そう、『できない』んです。
実際、問題なんか誰にでも、いくらでも起こります。
何も悪いことしてなくても起こるんです。
当たり前なんです。
・・そして、それを乗り越えながら生きて行くのが人生というものです・・。
それができない心を作ってしまった原因が本当の問題なんだということを、私は言いたいのです。
『様々な問題に対処できる健全な心』
それがなかったら、自分に起こる全ての事が、乗り越えられない困難な壁になってしまいます・・・。
・・では一体、それが培われなかった本当の原因は何なのか、
その原因を探っているうちに行きついた一つが『毒親』問題です。
私は40年とちょっとの間に、常にいろんなことで悩み、苦しんできました。
いろいろな問題が起きましたが、
正直、身の回りに起こる問題は全部周りの人や環境のせいだと思っていました。
なので自分では何も成す術は思いつきません。
『この環境さえなくなれば』
いつもそうやってその場から逃げてみたり、災いが過ぎ去るのをじっと我慢して待ったりしました。
・・でもどんな環境になっても、やっぱり苦しみはなくなりませんでした。
『どうしていつも自分はロクな目に合わないのか』と不思議でたまりませんでした。
一体どうすれば私は幸せになれるのか?
どうしたらいいのか、正しいことを誰か教えて!
、、、そう思っていろんな人に相談しました。占いにもたくさん行きました。
けれども正しい答えはわかりませんでした。
何が正しいのか、何を選ぶのが正しいのか、どうしたらいいのか・・・
それをグルグル考えました。
分からなくて分からなくて、自分が嫌になって泣き明かしました・・・。
ですが(これは後で書きますが)行きつくところまで行って、もうどうにもならない壁にぶち当たった時にふと、俯瞰して自分を見れた瞬間がありました。
・・その時に思ったのです。
『どうして私はいろんな問題を抱えて苦しんでしまうのか?
どこへ行っても、どんな状況になっても同じような苦しみがあるのはなぜなのか?
私にずっと付きまとうこの苦しみの正体は一体何なのか?』
・・周りでなく自分の内側に目を向けた瞬間です。
私はたぶん初めて、自分の内側についてほんとうの意味で真剣に考えることを始めたのです。
全てはこれを解明するところからのような気がしました。
そうして辿りついたのが、自分が子供だった頃からの体験、親との関係において自分の中に築いてきたもの、そして毒親の問題というわけです。
意識下にある自分の『考え方』及び、無意識下にある『考え癖』に至るまで、自分の全ての原点、つまり基盤となるもの、
全てはそこから始まっていて、それが今の自分の選択や思考、全てのことに及んでいるのだと、そう確信しました。
(毒親とはスーザン・フォワードさんの本、『毒になる親』の略でしょうか・・
実はそこらへんはよくわかりませんが;
とにかく子供の人格形成、人生にとって結果的に毒になるような行動をする親のことを毒親と言う言葉で表現したいと思います。)
はたして毒親とはなんなのか?
子供を虐待する親のことなのか?
パチンコ屋の駐車場に放置する親のことなのか?
その親が子供の将来に及ぼす影響とは・・・
もう少し掘り下げます。