13話 家を建てるストレスで目が開かなくなる

結婚と離婚
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旦那さんはそんな感じであまり土地探しには乗り気ではなかったので、主に私が頑張って地元の土地を探しました。

インターネットで探したり不動産屋を巡り、めぼしいところを見付ければ現地に足を運んで視察して、
それでも見つからなければとにかく車で市内をウロウロして売地を探したりしました。

良い場所が見つからなければ地元に住めないかも・・という思いでとにかく必死に探し歩きました。

そしてなんとか気に入った土地を見つけるのに約半年以上・・・
ちょっと小さめですが、立地もいいし、旦那さんもなんとか納得してくれました。
かなり疲れましたが見つかって良かったと・・。本当にホッとしました。

で、建物です。

建物のことは、土地探しと並行してやっていたのですが・・・
まず工務店をどこにするかでかなり悩みました。
と、いうより揉めました;実家と。

実は私側の父は自営で外壁の仕事をやっていて、いつも仕事をもらっている知り合いの工務店があります・・・。
繋がりもありますし、田舎ですのでそういう付き合いみたいなもんはけっこう重要視されてるのもあって、
本当ならそこに頼んで建てればいろいろとスムーズに行くのですが・・・

なにしろ旦那さんがデザイン等にこだわる人で、いろいろな会社のパンフレットを見たり見学に行ったりした上で、どうしても違う所で建てたいと・・。

私はまたしても心穏やかじゃなくなりました。

書くと無駄に長くなりますので端折りますが・・
私の両親からすれば『そんな勝手な話はあったもんじゃない』ということで、
実家にも話し合いに行き、かなり揉めました。

でもまあ、結局は、
旦那さんはこれから自分が長い期間ローンを払い続けるのに、気に入った家も建てられないなんて嫌だという気持ちが強く、
デザイン新しめの家を手掛けている建築会社にお願いすることで私の両親の方が折れました。
折れたと言っても不満が無くなったわけではなく・・
『仕方ないから我慢した』という感じです。

後に母は
「私がどんだけの気持ちでいつも我慢してると思ってんだ。
お前のことを思って我慢してやってるけど、普通だったら許されないぞ。
なんでこの歳になってこんな思いをさせられなきゃなんないんだ。
お前があんな男を連れてこなければこんな思いしないで済んだのに、私はお前のせいで体を壊して神経もやられた」と言う恨み節を私に言い続けるようになります。
・・かなりのストレスを溜めていたようです・・・。

ちなみに私はというと、終始『なんでもいいからどっちか譲って丸く収めてくれ』と願っていました。
例によって私に『どうしたい』とかはほぼなく、あるのは『早く家を建てて落ち着いて生活できるようになりたい』」という思いだけでした。
正直建売りでもなんでも良かった感じです。

・・思えば子供の頃から母に『こうしろ』と言われれば、もうそれは決まったも同然のことで、考える余地などないのが常でした。
とにかく大人しく言われた通りにしていれば問題なくやり過ごせてきた私にとって、
いちいち反発したことで起こるこういうもめ事は本当にストレスでした。
『どうでもいいからとにかく平和に暮らしたい』
・・考えていることはいつもそればかりでした。
かといってどちらを不機嫌にさせるのも怖かった私は決定的にどちらかの味方をするとか、両方を取り持つとかのどっちもできず、
両者の戦いを、台風が過ぎ去るのを待つかのごとくただただじっと他人ごとのように我慢して待っている感じでした。
常に自分は『被害者』でした。

・・そして次の難関、建築会社との打ち合わせが始まりました。
なにせ何かを選択したり決めるということが極度に苦手な私にとっては注文住宅のあらゆることを決めなきゃいけないというのは正に地獄でした。
・・意見などないのです。
『どうしたいか』がない私にとって、物を決めるには常に人に『どうすればいいの?』と聞かなければわかりません。

自分で決めて間違っていたらどうしようという不安が常に付きまとい、どうしたいかどころじゃないのです。
なんでもいいです、正しいものを作ってください・・という心の叫びが常にありました。

ただ、『何が不都合か』ということは敏感に感じました。
言ったように、旦那さんはデザイン等へのこだわりが強く、しかも比較的自由な発想をする人だったので、いろいろあれこれ設計の人に注文を出したり相談したりしています。
それがいわゆる『私の基準での普通ではない』注文だと思うと、横で聞いていて
ギョッとして焦り出します。。
『ええ?!屋上作るの?無駄じゃない?金額は?』
『ええ?!布団干す場所ないの?』
『ええ?!シャッター付けないなんて不安過ぎる・・・』

いろいろ『普通』から外れてしまう恐怖で寒気がしましたが、
だからといってどうしていいかなんてわかりません。
とにかく建築会社さんに対して、プロの考えで『普通』に『使いやすく』して欲しいという思いが強く頭の中を駆け巡りました。

ちなみに私にとっての『普通』とは、当然私が育ってきた環境で培われた価値基準での普通なわけですが・・・
普通でないことを極度にいけないことと思っていた私の、普通から外れることへの恐怖は計り知れませんでした。
まず親に何を言われるかわからないし、今後生活がどうなってしまうかもとても不安でした。

『こうしたい』という意見はないけど『それはちょっと・・』と思うことばかり。
何も言わないととんでもないことになってしまう・・・『普通』からかけ離れてしまう・・
でも反対したからといって、ではどうすればいいのか私にはわからない・・・
親に訊けばわかるだろうけどそれもできない。(私は親が許可すれば何事も大丈夫だと思っていたようです)

あれもヤダこれもヤダで旦那さんと意見が食い違ってばかりじゃ家なんて建たない。
早く着工してもらいたいのに・・・。
どうしよう
どうしよう

私にとって地獄の打ち合わせは週一くらいで行われ、毎回2時間以上は余裕でかかりました。
本当にヘトヘトでした。

そんなこんなの私にとって極限のストレスフルな家建て計画を進行して行って一年くらい経った頃でしょうか・・・
やっと家が建つ目途がついたとともに、私はそれまでのストレスが一気に出たのか、瞼が閉じてしまうという症状に見舞われることになりました。

開けようと思ってもどうしても閉じてしまうので、常に薄目をしている状態で視界も狭く、
指で瞼を押し開けないとちゃんと物が見れない状態にまでなってしまい、車の運転すら困難になってしまったのです。

あらゆる医者に行って検査をしましたが原因不明。
結局最後は母に「漢方薬のいい医者に予約とってやったから行きなさい」と、いわゆる嘘をつかれ、それから実は心療内科だったそこの医者に通うことになり、薬依存の生活が始まってしまうことになります。

薬は大変な思いをして後で自力でやめるのですが、それはまた後で書きます。

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