10話 子育てに関する母の助言と育児ノイローゼ 2

結婚と離婚
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前の記事の続き)

それから母は子育てにおいてもあらゆる面で口出しをしてきました。
誰も相談する人がいなかった私は毎日が心細く、複雑な心境ではあったものの、母の助言は心強いと思っていました。
子供が小さい時は、孤独が一番怖かったように思います。

子供が成長するにつれて問題もちょっとずつ変わっていきますが、
その都度母にはいろいろ言われました。

おむつをなかなか外すことができなかったことではかなりダメ出しされました。
「保育園に預けちゃえば、全部保育園でちゃんと上手に躾けてくれるのにお前は仕事もしないでくっついてるだけでロクな躾けもできない、保育園に入れた方がいい子に育つ。
あそこんちの子だってあそこんちだって、みんないい子だ」

断乳の時もなかなか時間がかかってしまったことでかなりダメ出しされました。
「いつまでもダラダラおっぱいくれてるあんたが悪いんだがね!ずっとやめられなかったらどうするん?
まだやめてないん?!!なんでサッとやめられない!もう本当にお前はどうしょもないんだから」

母は家にも40分かけてよく来てくれました。
手伝ってはくれましたが、家に来て「あれがダメだ」「これがダメだ」と、とにかく言っていきます。
子育てに関するいろんな指示もして行きました。
「これを買ってきなさい」「子供にはこれを与えなさい」

私の家庭のことはいつも事細かに聞いてきました。お金の事情も全部。
聞かれても言わなきゃいいと思われそうですが、不思議と私は母に隠し事をしたり嘘をついたりすることができませんでした。
ヘビに睨まれたカエルのように、母に聞かれたことは必ず答えなきゃならないという脅迫観念のようなものがあって、全てを喋ってしまっていました。
やはり怖かったのだと思います。

母は旦那さんのことは相変わらず常に文句を言っていました。
「こんなこともしてくれないの?なんて旦那なの!普通じゃないからね!」

私の両親は共に働いていたからか昔から外食をすることが多く、うちに来ても度々赤ちゃんを連れて一緒に外食に連れて行ってくれようとしました。
「外で食べちゃえば簡単だから、連れてってやるから食べちゃいなさい」
まあ、一つでもやることが減るのは疲れている私には有難いことでもありました。
いろいろ仕切られていると正直楽だったのもあります。
昔からそれに慣れていたし、なにより自分で「こうしたい」とか何もありませんから(笑)

・・ですがうちの旦那さんは外食があまり好きではありませんでした・・
旦那さんは、嫌なことはちゃんと主張する人ですが、ならどうしろとかは言わない人でしたので、
自分の主張がなく指示されなければ動けない人間の私は、毎回一つの案を絶たれる度に混乱してクラクラしていました。
『ダメなの?ならどうしたらいいの?どうしたらいいの???』・・・
こんな感じでしょうか・・。

母には旦那さんの外食嫌いについても「酷い」ということをよく言われました。
「外食行かないんじゃ毎日料理つくんなきゃなんないし大変だがね!ほんとにめんどくさい男だ!我儘ばっかり言って人のこと考えてない」

・・私はすごく複雑な心境でした。
母が言っていることは間違っているわけじゃないとは思っていましたが・・
同時になにか子供の頃感じていた、あのモヤモヤした心境が蘇ってくるような感じもしていました。

母は私の味方をしてくれているはずだし心強いはずなんですが、
それに反して私の自信はどんどんなくなっていきました。

何をやってもダメな自分。
旦那さんもこんな人。
子供もこんな私が育てたらきっとどんどんダメになっていく。普通と違う・・・。
どうしたら普通にできるの?
どうして私は普通にできないの?
そういえば私は昔から普通じゃなかった。
やっぱり人間失格?

一人じゃどうしたらいいのかも考えられない、そんな自分に情けなさも感じていました。
『本当に私は人と比べて未熟だ』と。

・・そんな毎日を送っていくうちに、なんだか怒るかぼーっとすることが多くなりました。
もちろんそんな自分をどんどん嫌いになっていきました。
『私って、何かいいとこあったっけ・・?』

昔やってた得意なことなんかは何一つ生活の役にも立たず、
人間としては普通以下の私は全然得意でもない子育てや家事を一生懸命やってるけど何一つ普通レベルにもできず、
このまま私の『良さ』を発揮できずに人生終わるんかな・・
そもそも『良さ』なんてあったかな・・・
と、そんな気持ちにまで発展していきました。
旦那さんにも母にも、人間性を全否定されているような気がしていたし、
私は家庭の中では本当に無価値でいらない人間なんだと・・その思いが強まっていきました。

意味がない。
存在自体に意味がないから消えてなくなってしまいたい。
もう追いつめられるのも疲れた。

一人の人間としてもみなされていないような・・
何かを評価されるどころか、存在も認められてないような
どんなに頑張っても何の意味もないような・・

それでもやらなきゃならないことは山程あるし、心はヘトヘトでした。
なんのために生きているのか、よくわからなくなっていきました。
褒められるために頑張っても、誰も褒めてくれないどころか貶され全否定される・・。
こんなに頑張ってるのに誰も認めてくれない
もうダメだ
何をやってもダメだ
私はダメだ

・・・
なんか考え方がちょっとおかしいですね(笑)
そんなことで絶望してしまうこと自体、ちょっと、いやかなーりズレていたんです。

本来、やるべきこと、自分の目標があれば、誰の評価もそんな重要ではないはずなんですよね(笑)
自分の信念においてやりたいことをやろうと思っていれば、誰に貶されようが大した問題ではないはずなんです。

『私は子供が小さいうちは自分が傍にいて子育てしたい』そう思ったなら、誰にどう言われようがやればいいんです。
どこの誰がどんな風にやっていようが人は人、
大多数がやっていたとしてもそれが合っているか間違っているかなんて実際はわかりません。
、、でももし状況や考えが変わって『やっぱりそうじゃない方がいいかな?』と自分で判断したならやめればいいだけの事です。
そこに自分を追い込む要素も凹む要素も何もありません。
人の意見を頑なに拒絶するのがいいというのでもなく、情報は情報として受け入れて、その中から自分でどうするか『選ぶ』のです。
別に聞いてしまったからやらねばならないわけではありません。
やるかやらないかは自分で選択していいのです。

要は『どうしたいか』
それが全てです。
・・で、その『どうしたいか』がなかったことが私の最大の問題だったわけです(笑)
だから人生全てにおいてどうすればいいかわからずしっちゃかめっちゃか・・
『どうしたいか』を考える頭を大人になるまでに形成できなかった、それが一番の問題だったのだと今では思います。

私は全てのことを、自分が人に認められたり褒められたり、何より怒られないためにやっていたのかもしれません。
これは完全な自己愛ですね・・・。
自分以外のことにまで目が行ってません。

・・でも、そんな私でもほんとうにダメにならなかったのは、私の子供に対する『愛』があったからだと、今では思います。
子供への気持ちは本物。
たぶんこれが、自分のことではない初めての『外に向けた気持ち』だったのです。

それが私を強くし、立ち上がらせ、救ってくれたのだと思います。
子供がいなかったら私はきっと今でも腐ったうんこだったんじゃないでしょうか(笑)
生きていなかったかもしれません。

そのことについては後で子育ての記事として詳しく書いていこうと思います。

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