私はたぶん育児ノイローゼぎみでした。
我慢することは得意だし、根性はある方だと思っていたのですが、
そんな自分への過信は、自分がどんなに頑張っても思い通りにならなく想定外のことだらけの毎日の前に脆く崩れていきました。
子供が生まれてからは美容師の仕事はやめ、しばらく育児に専念することにしたのですが・・
今考えると知り合いもいない土地でほとんど誰とも接触せず、家にこもって育児を懸命にしていたことで余計に視野が狭くなり、自分を追い込むことになってしまっていたのかもしれません。
当時は旦那さんの仕事の都合もあって、私の実家からは車で40分程度の場所に住んでいたのですが(旦那さんの実家には一時間半くらい?)、
母はそのことでも私をよく責めていました。
「普通は奥さんのことを思って奥さんの方の実家の近くに住むもんなのに、お前の旦那はそういう優しさが全然ない。
そんな旦那を選ぶお前が悪い。だから最初っから反対だったんだ!言う事きかないからそういうことになる(延々)」
(母はなにかと「普通は普通は」という言葉を使います)
・・確かにすごく大変な毎日の中で、そう言われているとなんだかそんな気持ちになってきていました。
旦那さんに対して『自分勝手な冷たい人、子供や私のことを考えてくれていない、自分の仕事の都合しか考えていない人』というような気持ちが大きくなっていき、
なんだか更に不安と孤独とイライラが募っていきました。
そんな私のイライラと不信感のせいで喧嘩になることも多く、
それでも旦那さんは自営業ということもあり、
家庭の事情がどうであれ、生活費を止めないためには仕事をやらないわけにはいかないので、
大喧嘩をしようが何があろうが、毎日朝から晩まで仕事を頑張っていました。
・・しかしそれが余計に私にとっては『こんなことがあってもまだ仕事?』『家庭より自分が大事だから悩みもせず平気でいられるんだ。』『男は仕事だけしてればいいからいいよね。』
といった不満に繋がっていったのですが・・・。
多分旦那さんの仕事についてもいつも母に
「きちんと会社勤めしてるサラリーマンだったら時間から時間まで仕事して、あとは家のことできるし、ボーナスももらえるしお金の不安もないのに不安定な自営なんかやって」みたいなことをことあるごとに言われ続けていたので、私も同じように不安に思うようになってしまっていたのだと思います。
しかしこの思考回路、相手の気持ちや立場を全く考えてない、自分側の事ばかり考えているほんとに典型的なうんこ思考ですよね(笑)
でもそんな思考こそが、私が育った家での普通であり『常識』でした。
いつも自分が被害者で、そんなところは私も母にそっくりな考え方をしていたように思います・・・。
・・というより私自身の考えなんてあったんでしょうか?
うん。なかったんです。
子供の頃からしてきたことは、言われたことをこなすこと。
考えていたのは『やりたくない』『でも怒られたくない』ということ。
それだけでもう精いっぱいで、
『自分で何かを建設的に考える』ということをして来なかった私には、自分の頭で考えて、自分の主張をしていいのだという発想さえなくなっていたのです。
常に一番頭を占めていたのは『どうやったらいろんな嫌なことから逃げられるか』だったと思います。
大げさなようですが、本当のことです。
私はいつも、母に言われたことをそのまま『そうなんだ』と自分の考えのように思っていただけで・・
本当の自分の気持ちについて考えたことがたぶんなかったのだと思います。
そして私はどこかで当たり前のように、自分の育った環境での常識が一番正しく、他が間違っているのだと、
そう思っていたのだと思います。
(つづく)