2019-06

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徒然

54話 必要以上に人に気を遣うおばあちゃん

おばあちゃん(母の実母)について少し書きます。おばあちゃんは私から見るととても優しくていろんなことに一生懸命で、、なんというか『努力』の人でした。母が店を始めててんてこ舞いな頃には、毎日のようにいろんな料理を作って、2キロくらいの道のりを原...
徒然

53話 母の生い立ち

母の生い立ち、と言っても、実はあんまり詳しくは知りません(笑)・・母は自分の過去の事をあまり子供に話さない人でした。秘密にしていたというより、暇がなかった感じでしょうか。。自分の昔の話を子供にじっくり聞かせる、なんていうゆったりとした時間の...
毒子エピソード

52話 訪問販売の浄水器事件

結婚して3年くらいの時でしょうか・・まだ実家から離れたアパートに住んでいた時の事です。私はいつものように子供をみながら家で家事をしていて、旦那さんは仕事をしていました。(ほぼ家でやる仕事なので)そこへ一本の電話が掛かってきます。電話を取った...
徒然

51話 私の現状

“結婚と離婚”で書いたように、私は一度離婚をして再び戻り、元の家で家族と共に暮らしながら、離婚前再び母の店で働き始めた状態のまま仕事を続けています。なので状況的には離婚前と何も変わっていないような感じですが・・私の中身は大きく変化しました。...
毒子の生い立ち

50話 毒子の生い立ち 10(まとめ)

(前の記事のつづき)ざっと書きましたがだいたいこんな生い立ちです。やらかしはしましたが、なんというか、非常に“取るに足らない”人生を送った若い頃の私だと思っています。この前半の人生で得た宝は“本心で話せる友人達”と、自分の中のフラストレーシ...
毒子の生い立ち

49話 毒子の生い立ち 9(バンドをやるために上京)

(前の記事のつづき)今思えば遅い反抗期というものだったんでしょうかね(おい)友達と『いろいろ話す』ということを経験し、少しばかり視野が広がったからかもしれません・・短大を卒業し、二十歳にしてようやく“自我”というものが芽生え始めた私は、その...
毒子の生い立ち

48話 毒子の生い立ち 8(短大生活、そして店をやりながらの美容学校の通信過程)

(前の記事のつづき)美容師の免許を取る方法は二通りあります。一つは普通に美容学校に通う方法で、もう一つは通信で取る方法です。今は通信課程は3年ですが、昔(私の時代)は2年でした。なので短大に行くのと同時進行で美容師の免許が取れるという計画で...
毒子の生い立ち

47話 毒子の生い立ち 7(裏口入学?)

(前の記事のつづき)電車に乗って東京の親戚の家へ。母はそのおじさんの好物だという〇〇屋の高級カステラを2万円分も買い込み、手土産として用意しました。私はなんだかどういう心持でいいのかわからないような複雑な心境で電車に乗っていたのを覚えていま...
毒子の生い立ち

46話 毒子の生い立ち 6(優等生な中学生時代とやる気を無くす高校生時代)

(前の記事のつづき)中学生の頃は、私はいわゆる“優等生”でした。母が常に、口癖のように「○○女子高(地元では名の知れた進学校)に入りなさい。」と言っていたのもあり、私もそのように『そこに入らなければいけないんだ』と思い、それに向けて勉強して...
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